第41話 爆発
ルキーマのノアナを殺す発言は単なる脅しだ。彼の心を読んだからわかる。
ルキーマは狡猾だが、臆病だ。彼の心を占めているのは、恐怖心。情報を得ずに帰ったら仕置きを受けるという恐怖と、ジュリサスを連れて帰ることができたら父親に認めてもらえるという哀れさが同居している。
同情する。親に操られている様は、昔の自分を見ているようで胸が痛む。だが、ノアナを傷つけようとする者を容認することはできない。
その晩、私は悩んで一睡もできなかった。魔法でルキーマを操って、国に帰すことはできる。だがそうすればルキーマは失敗した罰を受けるだろう。
ルキーマに自分を重ねて見てしまう。
(ルキーマは瞳孔催眠術の能力を父親にいいように利用され、搾取されている。昔の私のようだ。いや、私よりひどい。私は体罰は受けなかった。だが、ルキーマは違う……)
欲深い父親からルキーマを逃し、彼に絡みつく恐怖の鎖を外してやりたい。
「ノアナを守りながら、ルキーマを助ける。どうしたら……」
翌朝。悩みすぎてボーッとした頭で、ノアナに提案した。とりあえず、彼女を安全圏に置きたかった。
「お試し夫婦、一旦終了にしないか?」
ノアナは小さい子どものように泣きじゃくった。
「やだやだ! 先生と離れたくない!!」
「離れるわけではない。学校では会える」
「でもそれって、生徒と先生としてでしょう! そんなの嫌だもん。先生は夫で、わたしは妻で、そういう関係じゃないと嫌だもん。え〜ん!!」
「それはどういう……」
「先生の妻はわたしじゃないとダメぇ。他の人を妻にしないで……えぐ、ひっく」
「ノアナ……プロポーズしているのか……?」
「ブロボーズってなんですかぁ? わたしは先生と一緒にいたいだけだもん! うわ〜ん!!」
ノアナは泣きながら私の胸に飛び込んできた。ノアナの両腕が私の背中に回され、その腕に力が入った。
ノアナに求められている——。幸福感に痺れる。
私もノアナを抱きしめ、安心させるために背中をポンポンと叩いた。
「すまなかった。夫婦関係は解消しない」
「本当に?」
「ああ」
ノアナはすんと鼻を鳴らすと、私の言葉が嘘ではないのか確かめるような目で見上げた。
不安げに揺れている澄んだ瞳。雫が溜まったまつ毛。濡れている頬は紅潮し、ふっくらとした赤い唇からは嗚咽がこぼれている。
泣き顔の愛らしさに、疑問が沸く。
ノアナの天真爛漫な笑顔は非常に魅力的だ。そのことは説明がつく。笑顔は相手に安心感や親しみを与え、幸福作用のあるエンドルフィンを脳内に放出させる。
だが笑顔だけでなく、泣き顔も怒った顔もすねた顔も真顔もかわいいというのは、どういう理屈なのだろう? この子のかわいさに感心してしまう。よくもまぁ、こんなにかわいくいられるものだ。
お試し夫婦でいられることにノアナは安心して、笑った。涙のあとの笑顔があまりにも尊かったものだから、私は心配になった。
「私の前では泣いてもいいが、他の人の前では泣かないほうがいい。特にベルシュの前では」
「なんで?」
「ベルシュが君に惚れ……ではなく、ゴホン。なんでもない」
「ふーん?」
こうして私とノアナのお試し夫婦生活は続いた。
だが、問題がなくなったわけではない。ルキーマは瞳孔催眠術を使って学校関係者を操り、二年五組に転入してきた。ノアナに求婚したのは、ノアナに危害を加える気があることを私に知らしめるため。
元を断つために、私はサウリ国に潜入することに決めた。
ノアナに手紙を書く。悩んだ末に、罪を告白することにした。
『私は魔法で人の心が読める。ノアナの心も読んだ』
ノアナは私が夫になるのを望んでくれた。その清らかな思いに対し、私は心を盗み読みするという卑怯な真似をしている。
彼女のために、誠実でありたい。真実を告げ、謝罪したい。
「ノアナがどのように思うか知りたいが……。ノアナの心を読むのはもうやめよう。心を読まれて喜ぶ人間はいない。ノアナが私から離れていったとしても、それは自業自得だ」
寂しさが心に落ち、重りとなって気力を沈ませる。
学校を早退し、居間にあるソファーに倒れ込んだ。
ノアナは私の指示通りに、しばらくルーチェの家に泊まるだろう。家にひとりでいることに解放感はない。ただただ、寂しい。
食べず、着替えもせず、風呂にも入らず。死んだようにソファーに横たわる。
私は元々食に関心がない。食事を作っていたのは、ノアナが美味しいと笑って食べてくれるから。そのノアナがいないのだから、食事を作る気になれない。
床に落ちている髪が目に入ったが、掃除をするのが億劫で放置する。
心も別荘も荒れていく。
◇◇◇
翌日。私は職員室でプリントを作っていた。明日から三日間休みを取って、サウリ国に行く。そのために、生徒にやらせる数学のプリントを準備していた。
すると、警報が鳴り響いた。だが、職員室にいる教師らは悠長にお茶を飲んだり、談笑をしている。
私は瞬時に理解した。警報が鳴っているのは、私の頭の中だ。
「ノアナが危険にあったときのためにかけておいた魔法だっ!!」
時間割を確認すると、化学。ノアナは化学室にいる。
私はすぐさま席を立ち、走った。
途中で会った用務員が「ユガリノス先生。レポート用紙がゴミ箱の近くに落ちていました。ゴミなのかそうでないのか、確認してください」とシワシワの紙を寄越してきた。ポケットに突っ込み、先を急ぐ。
焦げた臭いが鼻をつく。
一階にある化学室の前に、二年五組の生徒らが集まっている。どの顔も顔面蒼白で、泣いている女子生徒もいる。
私に気づいた化学のジュシー先生が叫んだ。
「ユガリノス先生! なにかが爆発しました。職員室に行ってきます。生徒たちを頼みます!!」
ジュシー先生が走り去ってすぐ、キョロキョロと辺りを見回していたルーチェが叫んだ。
「先生、ノアナがいない! まだ中に……」
「私が行く! 君たちは階段下に避難していなさい!」
視界の隅にルキーマが入った。心ここにあらずといった呆然とした顔で、壁に寄りかかっている。心を読む。
(ダイヤモンドが爆発するなんて……。ノアナが指輪を受け取らないから、こっそり制服のポケットに入れてやった。指輪を受け取ったんだから、婚約決定。サウリ国に来い! そうやってノアナをサウリ国に連れていって、ユガリノス先生を誘き寄せる作戦だったのに……。きっと父は、爆発の責任をユガリノス先生に迫ることで、言いなりにさせようと目論んでいた。だけど俺は、指輪が爆発するなんて聞いていない。指輪をノアナに渡さなかったら、俺が爆発に巻き込まれていた。父は俺を道具としか見ていない。だから言い忘れたんだ……)
激情を押し留め、ルキーマの頬を引っ叩く。手加減した、生ぬるい音が響く。
ルキーマは驚きで目をいっぱいに見開いた。目の下の筋肉が痙攣している。
「サウリ国を絶対に許さない。百億倍にして返してやる。……ルキーマ。親から離れたほうがいい。君の人生は君のもの。自分のために生きる権利がある。道具として生きるのではなく、自分のために生きたらどうだ?」
ルキーマの唇が動いたが、震えただけで、言葉にならないようだった。
私は集まってきた教師らに五組の生徒を預けると、黒煙が立ち込める化学室に入った。損傷している机の近くに、二本の足が投げ出されている。
その足の持ち主の顔を見て……体から力が抜けた。
「ノアナ……」
ノアナを守ると、彼女の母親に約束したのに……。
ノアナのいる明るい光の世界に行きたかった。彼女の手を掴んだら、過去から飛び立てる気がした。だが、過去は重く、暗く、執拗にまとわりつく。
大切だからこそ、彼女の手を離すべきなのかもしれない——。
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