第五章 お試し妻は無敵です!

第42話 別れの手紙

 体が痛い。熱くて、苦しくて、頭の中が(痛い痛い痛い痛い……)と悲鳴で埋め尽くされている。指一本動かせない。息をするのが苦しい。熱をもった鋭利な痛みに襲われ、声にならない助けを求める。

 先生、助けて。先生……。 


「ノアナ……ノアナ……守ってやれなかった。なにもかも、私のせいだ。すまない……」


 誰かが、わたしの名前を呼んでいる。この低い声はユガリノス先生だ! 助けに来てくれたんだ。

 嬉しくて、涙が滲む。

 

「ノアナ、大丈夫だ。魔法で治してやる。だが体は治せても、心の傷は治せない……。君から笑顔が消えてしまったら、私は、一生自分を許せない……」


 先生の声を聞いたら、元気復活! 

 頭の中にこだましていた悲鳴が消え、皮膚を焼くような痛みが心なしか和らいだ。

 けれど、唇が思うように動かせない。唸り声しか出せない。だったら……。

 先生、わたしの心の声を読んでちょうだい!!


(もしもーし、先生聞いていますかー? これしきのことで、笑顔が消えたりしませんってば! わたしはやわな女じゃありません。なぜかポケットにダイヤモンドが入っていて、ルキーマに返そうとしたら爆発したけど、こんなことで心に傷ができるわけがない。体が痛いから怪我をしたんだろうけれど、大丈夫。先生に看病してもらう。だから心配しないで。自分を責めている先生のほうが心配だよ)


「怖い思いをさせて悪かった。君の側にいる資格が、私にはない……」


 わたしの心の声が聞こえていないの? 緊急指令。今すぐに、わたしの心を読め!!


「君を守るためには……離れたほうが……」


 だめだ、こりゃ。よし、こうなったら笑いかけてみよう。


「えへ、えへへ……」

「ノアナ! 痛いのかっ⁉︎」


 ちがーう! 先生のあんぽんたんっ!! 全然伝わっていないなんて、心が読める詐欺?


 怒る心とは裏腹に、体は楽になっていく。ジクジクとした痛みが徐々に引いていく。それに伴って、強烈な睡魔が襲ってきた。意識が沈んでいく。

 わたしは、深い眠りにストンと落ちた。



 ◇◇◇



 目が覚めたとき。わたしは病院のベッドに寝ていた。

 側にいたルーチェがわたしの首根っこを抱きしめ、「三日間も眠っていたんだよ! もう二度と目を覚まさないんじゃないかって、怖かった!!」と、わんわん泣いた。


「ドライで自分ファーストなルーチェが泣いている……。夢?」

「あたしを泣かせるなんて、友達失格。知り合いに降格だからね!」

「そんなぁ!!」


 医者を呼ぶために病室を出ようとしていたベルシュが、振り向いて笑った。


「ルーチェ、寝ないでずっと祈り続けていたんだ。それにしても、ノアナってすごいな。爆発の一番近くにいたらしいのに、火傷をしていないし、かすり傷もない。奇跡の人として、町中の噂になっている」

「奇跡じゃなくて……」

「奇跡じゃなくて?」

「あ、ううん! なんでもない」  


 神様の奇跡じゃない。先生が魔法で治してくれたのだと思う。

 先生に猛烈に会いたくなった。けれど、目覚めたわたしを待っていたのは精密検査。その検査の合間に、ルーチェに質問する。


「ユガリノス先生は?」

「学校を休んでいる。あの日、いろんなことがあったからね。ルキーマの目がおかしくなって、ルキーマも病院に運ばれたんだ」

「どうしたの? 破片が目に刺さったの?」

「ううん。検査しても目に異常はないって。医者は、心理的なものじゃないかって」

 

 ルーチェは待合室の椅子に座ったまま、両手を組んで伸びをした。その顔は晴れやかで、声にも余裕がある。


「人の目を見るのが怖いんだって。それでも見ようとすると、ひどい頭痛に襲われるらしい。ルキーマは、瞳孔催眠術師の才能を持っている。人の目を見られないということは、その才能を使えないということ。ルキーマはひどく落ち込んでいたけど……あたしは良かったと思っている」


 飲み物を買いに行っていたベルシュが戻ってきて、わたしにリンゴジュース、ルーチェに紅茶を渡した。


「ルキーマさ、ルーチェに『価値のない人間になってしまった。それでも、僕と友達になってくれる?』って、しおらしく頼んだんだ。向こうは落ち込んでいるんだ。友達になるのが普通だと思うんだけど、ルーチェってすごいんだぜ。なんて言ったと思う?」

「うーん……なんだろう? ダイヤモンドをくれたら友達になってあげるとか?」

「時限爆弾が仕込んである、偽物ダイヤなんていらないし」


 ルーチェは苦い顔をすると、紅茶の入った紙コップをゆらゆらと揺らした。

 言う気のないルーチェの代わりに、ベルシュが答える。


「価値のない人間とは友達になりたくない。自分に価値を見出してから来い、って」

「えぇと、どういうこと?」

「自分のことを価値がないなんて言うな。自分に価値を見出せ。そしたら、友達になってやる、っていうこと。ルキーマは爆弾の運び屋としての罪を償ったら、ルーチェに会いに来るんじゃないかな」

「来なくていいし。壊滅したサウリ国の皇子に興味はない」

 

 サラッと言い放ったルーチェ。どういうことなのか問うと、ベルシュが教えてくれた。

 爆発事故があった日の夜更け。火を吹くドラゴンがサウリ国を襲った。サウリ国の軍隊は世界最強と名高いが、それでもドラゴンにまったく歯が立たなかった。ドラゴンは王宮を破壊し、国王を踏みつけた。

 ベルシュは低く唸った。


「国王はかろうじて生きているらしいけれど、骨がズタズタらしい。寝たきりになるだろうって噂。しかしさ、ドラゴンが怪我をさせたのは国王だけ。その他の人は無傷なんだ。国王はドラゴンになにかしたのかなぁ?」

「ルキーマが言っていたけど、百億倍返しなんだって。あたしには意味がわからないけれど……。なんでも、怒らせてはいけない人の逆鱗にふれたらしい」


 ドラゴンに興味はあるけれど、それよりも先生!

 精密検査の結果が異常なしとわかると、わたしはすぐさま病院を飛び出した。ベルシュが学校から持ってきてくれた自転車に飛び乗って、別荘に帰る。


「先生、ただいまー! 帰ってきたよー!!」


 別荘内に響く大声。反応はない。別荘は静寂に満ちていて、床にはホコリが溜まっている。


「ホコリ? 先生、潔癖症なのに……。具合が悪くて寝ているのかな?」


 先生の寝室を覗いたが、いない。台所に行くと、テーブルの上に手紙が置いてあった。

 


【ノアナへ

 この手紙を読んでいるということは、退院したのだろう。無事で本当に良かった。

 謝らないといけないことがある。爆発事故はルキーマの仕業だが、それを止めることができなかった私に責任がある。ルキーマは私に会うために来たのだから。

 ノアナを巻き添えにしてしまったこと、非常に申し訳なく思う。

 私は昔、天才魔法使いジュリサスとして多くの事柄に関わった。悪事に加担したこともある。私は天才魔法使いジュリサスでいることをやめたが、ルキーマのように、過去を嗅ぎつけて近づいてくる者は今後もいるだろう。私の近くにいる限り、ノアナを危険に晒してしまう。それは私の望みではない。

 君には幸せでいてほしい。私と一緒にいることで君を危険に巻き込んでしまうのなら、離れる決断をしなくてはならない。私を夫に望んでくれた君の気持ちを裏切ること、申し訳なく思う。だが、わかってほしい。悪意ある者たちから君を守りたい。君には光の世界を歩んでもらいたい。

 金銭の援助は続ける。学校に通えるし、贅沢な暮らしもできる。不自由な思いはさせないと約束する。だからどうか、私のことは忘れてほしい。

 ベルシュはいい子だ。将来、立派なパン職人になるだろう。ノアナはパンが好きだから、ちょうどいい。毎日美味しいパンが食べられる。ベルシュなら君を大切にしてくれるだろう。

 私はもう、君の心を読まない。だから安心して過ごしてほしい。

 ノアナの将来に、幸多いことを祈っている。  ノシュア・ユガリノス】



 



 

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る