第40話 脅迫
さて。私は一年五組の担任教師であり、風紀担当でもある。
女子生徒のスカートの長さは膝頭の上ぐらい、と校則で決められている。それよりもスカートを短くしている生徒には、口頭で注意をしなくてはならない。
「ノアナ・シュリミア。そのスカートはなんなんだね。生地が足りなくなったから、仕方なしに短くしているのかね?」
「そんなわけないでしょう! 先生って嫌味ですねぇ!!」
「嫌味……。私は嫌味なのか?」
「すっごく。とんでもなく。最悪なほどに」
ノアナの母親に相談する。
「生徒があまりにも生意気なため、心穏やかに話せない。あの子たちの笑いは実に低レベルで、深く考えもせずに感情のままに話す。大人を舐めている生徒らを、嫌味でやっつけたくなる。教師として失格です」
「教師も人間ですもの。生意気なことを言われたら、嫌な気持ちになるのは当然です。やさしい先生ばかりでは生徒はつけ上がります。厳しいことを言う先生も必要だと、私は思います」
ソフィーヌは受容性が高い。私の話を肯定し、励ましてくれる。彼女は最期まで愛情深かった。
その年の晩秋に、ソフィーヌは亡くなった。ノアナは号泣し、落ち込み、衰弱した。私も喪失感を抱いて、彼女を見送った。
彼女が慈しんで育ててくれた別荘の庭を、私はとても気に入っている。
母親が旅立ち、私は今度こそ本当の意味でノアナを守らなくてはならなくなった。
「そのためにはまず、嫌われ者から脱却しなくてはならない」
心を読まなくても、ノアナが私を大嫌いであることは、表情や話し方で十分に伝わってくる。
歩み寄りが必要だ。校則だからと頭ごなしに注意をするのではなく、どうして校則を破るのか尋ねてみよう。
「ノアナ・シュリミア。制服のスカートを短くすることに、どのようなメリットがあるのか教えてくれ」
「いいですよ。教えてあげます」
ノアナがふふんっと、得意げな顔をした。この子は、相手が下手に出ると調子に乗る癖がある。イラッとくるが、無表情でやり過ごす。
「これは、メリットとかそういう話ではないのです。おしゃれ心の問題なのです。暗黒の呪いにかかっている先生には理解できないと思いますけどね。ぷぷっ!」
ノアナがせせら笑ったことで、歩み寄りは失敗した。私はプライドが高い。相手が生徒といえども、笑われるのは好きではない。
「ふむ。メリットではなく、おしゃれ心の問題だと。なるほど。大変に参考になった。やはり君に聞いて正解だった」
「わわっ、褒められた! わたしって、すごい?」
「ああ、実に素晴らしい」
「きゃあー! 嬉しい。へへっ。十代の気持ちを知りたくなったら、わたしに聞いてください。教えてあげます」
「そうか。では早速……」
ノアナは褒められた嬉しさで頬を高潮させている。ここでやめておけば、嫌われ者から脱出できるというのに……。
プライドの高さが邪魔をする。
「今日は気温が低く、風が強い。そのせいで、脚に鳥肌が立っているぞ。とてもじゃないが、おしゃれには見えない。だが、十代女子には鳥肌がおしゃれなのだろう。鳥肌がおしゃれ。なるほど。参考になった」
「ぼふー!! さ、ささ、さいてぇーーっ!! 先生って本当に意地悪で陰湿で、嫌味のスペシャリストですねぇ! 大嫌いっ!!」
こうして私はますます嫌われた。プライドの高さと嫌味な口をへし折ってやりたい。
私は地の底まで落ち込んだあと、一週間かけてようやく浮上した。ノアナに歩み寄るべく、再挑戦する。
ノアナは勉強ができないが、特に数学が苦手だ。数学の授業中は、ほぼ寝ている。
ノアナの寝顔は無防備で、なんというか……率直な言葉で表現するのなら……かわいい。彼女の寝顔を見ていると幸せな気持ちになる。できれば、授業中ずっと寝ていてほしい。
だが教師としては、生徒の居眠りを見逃すわけにいかない。今までは叱ってきた。だが方法を変えてみよう。
熟睡しているノアナの頬に、水性ペンで花丸を書いてみる。起きたノアナが爆笑してくれたら、私たちの関係が少しは和むだろう。
(それにしても不思議だ。顔に落書きをしたら普通は、マヌケな顔になるのではないか? それなのに、ノアナは落書き顔でもかわいいのだな。この子は、かわいさ一択しかないのではないだろうか?)
クラスメートたちがくすくす笑っている。笑い声が届いたのか、ノアナが目を覚ました。
「うぅ、くすぐったい。虫がわたしの顔を歩いた?」
「ノアナ・シュリミア。数学が苦手なのに授業を聞かなかったら、ますますわからなくなるぞ。もうすぐで試験だ。水道で顔を洗って、目を覚ましなさい」
水道にある鏡を見て、落書きに気づいてもらいたかった。だが、ノアナの隣に座っているルーチェがノアナを押しとどめた。
「ほら、早く板書して。ここ、試験に出るところだよ」
「そうなの? じゃあ、書かなくちゃ!」
ルーチェはいたずら好きというべきか、意地が悪いというべきか。落書き顔を消させたくないらしい。
ノアナは結局、右頬に赤の花丸印をつけたまま一日を過ごした。
翌日。ノアナは職員室に乗り込んできた。
「昨日、私の顔に落書きをしたでしょう! ラテルナお婆ちゃんっていう大家さんに教えてもらうまで気づかなかった。先生、ひどい!」
「ひどいのはルーチェだと思うが……。それよりもなぜ、学校から帰るまで気づかなかった? お手洗いに行った際に鏡を見るだろう?」
「見ない」
「手は洗うだろう?」
「洗わない」
「ノアナっ!! 君は重大な問題を抱えている!!」
「なに?」
衛生について熱く語ったところ、ノアナは逃亡した。見ていた校長から「ユガリノス先生、話が長いです。ノアナさんにしては三十分も聞いていたのですから、偉かったと思いますよ」と含み笑いをされた。
三十分、私の側にいてくれた……。もしかして口では大嫌いと言いながらも、本音の部分では嫌いではないのでは?
希望の光が差した直後、転機が訪れた。ノアナの天職が、私の妻だったのである。
「うわあ〜ん!! こんなのってひどいっ! わたしの天職が、あの怖くて嫌味で陰険なユガリノス先生の妻だなんてぇー!! 神様の意地悪っ!!」
……本音の部分でも、大嫌いだったらしい。
だが春休みの職業体験実習を通して、私たちは関係を改めていった。
私は嫌味を封印できなかったし、ノアナの大雑把な性格も変わらなかった。だが、そのままの相手を受け入れることができるようになった。
きっといつか私たちは……本物の夫婦になれる——。
そう思ったのも束の間。夢は、砕け散った。
サウリ国の第七皇子であるルキーマが、私の別荘を突き止めて、夜更けに訪れた。
ノアナは眠れないのか、趣味室で音楽を聴いている。明日から新学期だというのに困ったものだ。
ルキーマは、私とノアナが街を歩いているのと見たのだと意味深長に微笑んだ。
「父から、ジュリサスを連れてくるよう命じられています。ジュリサスはどこにいるのですか?」
「どこにもいない。病気で死んだ」
「本当ですか? ユガリノスグループの会長はお酒の席で、『ジュリサスはどこかで生きているかもしれない』と話していたそうです。ジュリサスを見つけられたら、サウリ国で使ってもいいとのこと。隣国を攻めるのに、ジュリサスの魔法が必要なのです」
勝手なことを言う父に殺意が湧く。
ルキーマの要求を突っぱねると、彼は双眸に狡猾な光を宿らせた。
「手ぶらで帰るわけにはいかない。先生、ジュリサスを探すのに協力してください。力を貸してくださらないのなら……ノアナを殺します」
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