第39話 名前

 ノアナのいる光射す明るい世界に、自分もいってみたい——。

 そう望んでも、行動には移せなかった。人間嫌いな自分が十歳年下の少女に話しかけ、親しい間柄になどなれるわけがない。

 悶々と日々は過ぎていくかと思われた。が、思いがけないことが起こった。ノアナ・シュリミアの母親が不治の病に罹り、仕事を辞めることになったのだ。

 母親の名前は、ソフィーヌ。彼女は苦悩の滲む顔で辞去の挨拶に訪れた。


「ジュリサス様。病院を紹介してくださってありがとうございます。入院費と生活費を出してくださるというお話ですが、お返しできるものが私にはなにも……」

「私は、人も、この世界も嫌いです。そんな屈折した人間でも、自然にやすらぎを感じる。あなたが丹精込めて育ててくれた庭の草花が、私の心を慰めてくれた。その恩返しが、金銭の面倒をみるということ。そういうわけで、あなたはお返しを考えることはない。もしなにか寄越されたら、私はまた返すものを考えないといけなくなる」

「ジュリサス様……」


 母親は瞳を潤ませ、体の前で組んでいた手をモゾモゾとさせた。


「なにか言いたいことがあるようですね?」

「あ……」


 私の指摘は図星だったのだろう。ソフィーヌは頬を赤らめた。


「私は身勝手な人間です……」

「どうしたのですか?」

「実はジュリサス様に贈り物を用意していまして……。私は長くは生きられません。私の亡き後、少しでも娘のことを気遣ってもらえたらと……そのような身勝手な願望があるのです。申し訳ございません」


 彼女は恥じ入るように頭を下げると、手に持っていた小さな箱をテーブルに置いた。うつむく彼女。

 私は心に留めていた想いを、これ幸いと口に出した。


「ありがとうございます。贈り物をいただいたお礼として……ノアナさんを守らせてください。私では役不足かもしれませんが、少なくても金銭面ではお役に立てる。ノアナさんが成人するまで、守ります」

「ジュリサス様……。ありがとうございます。ご厚意に感謝いたします……」


 彼女の言葉の最後が揺れた。感極まって泣いたのだと思った。けれど顔を上げた彼女は幸せそうに笑っていて、瞳はきらきらと濡れてはいるものの、頬を流れるものはなかった。人前では泣かない人らしい。彼女は気丈だった。

 

 

 私は引きこもるのをやめた。

 天職に数学教師を持っていたおかげで、最短コースで数学の教員免許を取得できた。そして金と権力とコネを使って、ノアナ・シュリミアの通う学校に着任し、一年五組の担任となった。

 教師になるにあたって、古い人生を捨てることにした。ジュリサスは病気で亡くなったことにし、魔法で、髪の色を金から黒に。瞳の色をすみれ色から碧眼に変えた。

 新しい人生の名前は、ノシュア。アナ・リミからもらった。



 新入生ノアナ・シュリミアに会える。

 浮かれる気持ちがあるが、表層に出すことはしない。私は教師である。特定の生徒を贔屓してはならない。

 鏡の前で仏頂面を作り、平坦に話す練習をする。


「教師としてノアナに接する。そこに一切の私情は挟まない。だが……」


 入学式三日前に、美容室でパーマをかけた。その足でノアナの母親のお見舞いに行くと、ソフィーヌは目を丸くした。


「その髪は……どうしたのですか?」

「年頃の女性は見た目を気にする。ノアナも、天パであることを気にしているのではないかと思ったのです」

「ええ、そうです」

「やはり。担任が手強い癖毛ならば、ノアナは自分はマシなほうだと安心するでしょう。なによりいじめを防げる。子供というのは、他人の欠点を見つけるのがうまい残酷な生き物です。ノアナが癖毛のことでからかわれないよう、モジャモジャパーマをかけてみました」

「ノアナのためにそこまで……。ノシュア様のほうが逆に心配です。生徒たちに変なあだ名をつけられはしないですか?」


 ジュリサスを社会的に抹殺すると両親に宣言したとき。両親は容認する代わりに、自分たちのために魔法を使って欲しいとの交換条件を出した。私と両親の関係は代償を必要とする。だがノアナの母親は、私が生徒たちにからかわれはしないかと無償で心配してくれる。

 社会的に成功している両親よりも、私はノアナの母親を尊敬した。



 入学式当日。私は癖の強いパーマと全身黒服で、一年五組の教室に入った。

 全身黒服には意味がある。

 ノアナの心を読んだ際に、(黒い服が似合う人っていいなぁ)と、黒服男性への憧れがあったからだ。


 さて、ノアナはどんな反応をしてくれるのだろう? 

 このネクタイピン。母親が贈ってくれたものだと気づくだろうか?


 生徒を見渡しながら、さりげなくノアナの反応を確認する。ノアナは頭の両側にピンク色の爆弾を飾っているような髪型なので、いやでも目立つ。

 ノアナは口をポカーンと開けていた。いつまでたっても口を半開きにしているので、よだれが垂れはしないかと心配になる。

 心を読んでみる。


(頭で鳥を飼いたい人? 全身黒って、死神好き? モジャ髪で死神のコスプレ愛好家で、陰気でダサくて表情筋が死んでいる人が担任教師なんて萎える。がっかり)


 学校が終わったその足で、ノアナの母親の病院に向かった。


「全身黒はやり過ぎたかもしれない。だが、おかげで誰一人話しかけてこなかった。実に爽快です。ジュリサス時代はわんさか人が寄ってきて、煩わしくてならなかった。当分、全身黒服とモジャ髪でいくつもりです。……自分の話ばかりしてすみません。あなたを勇気づけないといけない立場なのに……」

「私は話すより聞くほうが好きです。ノシュア様のお話は楽しいですし、お見舞いに来てくださることにどんなに勇気づけられているか。それよりも、ノアナのことなのですが……。あの子は勉強が嫌いで、集団生活も苦手です。みんなと同じことができません。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」

「いいのです。集団が低脳な奴らの集まりだったら、みんなと同じことをするのになんの意味もない。ノアナの魅力は自由な思考と無邪気さ。そしてそれは、枠の外にある。ノアナには非凡でいてほしいと思っています」


 ああ、そうか。と私は納得した。ノアナの心は自由で、その自由に、私は憧れる。ノアナの手を掴んだら、過去から飛び立てる気がする。


「ノアナを褒めてくれたのは、ノシュア様が初めてです。ありがとうございます」

「愚痴も言えます。今日早速、『モジャ髪』というあだ名をつけられました。あだ名をつけたのは誰だと思いますか?」

「まさか……」

「そのまさかです。友達から『ノアナもモジャ髪なんだから、同類じゃん』と突っ込まれていました。自爆したーって騒いでいました」

「ふふっ。あの子らしい」


 ソフィーヌはずいぶんと痩せてしまった。それでもノアナの話になると明るく笑う。私もまた、ノアナの話をすると自然と心が明るくなる。

 ノアナの持つ光が、私たちを照らしている。


 

 


 

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