第38話 希求

 殻に閉じこもっていても、時間は過ぎていく。

 死の誘惑はつきまとうが、一歩を踏みだせない。なにが自分を生に繋ぎとめているのか、わからない。


 二十四歳になったある日。

 ふと、机の引き出しの奥にしまったままの天職結果用紙のことを思い出した。自分の天職があまりにも多いので、検査官が書いてくれたのだ。

 七歳のときに受けた天職検査では、四十五個。

 十七歳のときに受けた天職検査では、四十六個。

 数が一個増えている。なにが増えたのかというと……。


『ノアナ・シュリミアの夫』


 細長い文字を見つめる。


「……ノアナ・シュリミアって、誰?」


 魔法使いの天職の他にも私には、魔道具職人。結界師。呪術師。政治家。会社経営者。数学教師。料理人。掃除屋。整理整頓アドバイザー。医者。微生物学者。天文学者。海洋調査長。資産運用アドバイザー。司法官。書記官。通訳。言語研究者。開拓者。品質管理者。心理分析官。建築家。射撃士。操縦士……などの天職がある。

 その中で異彩を放っているのが、ノアナ・シュリミアの夫という謎の天職。


「夫ということは……結婚して、家庭を持つということか? 興味ない」


 結婚する気は皆無。自分の遺伝子を残すなど、不快でしかない。そもそも、女性と心を通わせるなど不可能。

 用紙を投げ捨て、ベッドに寝転がる。が、再び用紙を手に取った。どうしてか、無性に気になる。


「ノアナ・シュリミアって、どういう女なんだろう?」


 ノアナ・シュリミアについて、探偵に調べさせた。彼女の母親が園芸師であるとの報告が入り、母親に別荘の庭を管理する仕事を依頼した。母親は、仕事を引き受けてくれた。

 ノアナ・シュリミアの母親は、仕事熱心で気のいい女性だった。彼女の心を読んでみると、裏表がない。


「慎み深く、偽りのない女性の子供なのだから、きっと、ノアナ・シュリミアもおとなしくて賢い人だろう」


 庭を散歩しているていを装って、母親に近づき、それとなく家族のことを尋ねてみる。

 幸せがとろけたような笑顔で、母親は教えてくれた。


「娘がひとりいます。名前はノアナで、十四歳。勉強も運動も苦手で、試験では毎回最下位ですけれど、素直な明るい子で、自慢の娘なんです」

「素晴らしい天職でもあるのですか?」

「いいえ。才能が不安定だそうで、天職はまだわかりません」

「失礼ですが、それなのに自慢の娘なのですか?」

「ええ。私たちのもとに生まれてきてくれた、それだけで自慢の娘なのです。娘を、世界一愛しています」


 元々不安定だった足元が、完全に崩れ落ちた。

 生まれてきた、ただその一点で、ノアナは愛されている——。

 自分の両親とは大違いだ。屋敷に引きこもった自分に、両親はこう言った。


「心の弱いヤツだ。情けない。それでユガリノスグループを背負えると思っているのか。甘えるんじゃない」

「心を読みたくないなら、読まなくてもいいわ。でも、魔法は使ってくれるわよね? お母さんね、出演が決まりそうな映画があるの。でも、ヒロイン役のブラルシドが嫌いでね。監督に伝えたんだけど、だったら私が降板しろって。ひどい話だわ! だから、事故に見せかけてブラルシドに怪我をさせてちょうだい。……嫌だって言った? 冷たい子ね! 産むんじゃなかったわ!!」


 生まれてきただけで愛される人がいるというのに、自分は両親に尽くしても得られるものがない。能力を搾取されるだけ。あの人たちには愛を与える気はなく、便利な道具を必要としているだけ。


 ノアナ・シュリミアの母親は心配そうに私を見つめた。


「ジュリアス様、大丈夫ですか? お顔の色が優れませんが……」

「私を心配してくれるのですか?」

「もちろんです。悩み事があるのですか? お役には立てないかもしれませんが、お話を聞くことはできます」

「でしたら……お願いがあります。あなたの娘さんを見てみたい。今度、連れてきてもらえませんか?」

「私にとっては自慢の娘ですが、世間一般的には、特に秀でたところのない子で……」

「私は家族というものがわからない。あなたと娘さんのやり取りを見たいのです」


 母親は翌週、娘を連れてきてくれた。二階の窓辺に立ち、ノアナ・シュリミアを観察する。

 彼女は目がぱっちりとしていて、小柄だ。天真爛漫なかわいい顔をしている。ひょろりとしていて目の細い母親には似ていない。おそらく、父親似なのだろう。


「髪……癖が強くて、爆発している……」


 ノアナ・シュリミアは、なにが楽しいのか笑ってばかりいる。やたらと無駄に走り回っていて、落ち着きがない。


「おとなしい子ではないらしい。だがまぁ、元気なのはいいことだ」


 ノアナ・シュリミアは、母親の草むしりの手伝いを十分ほどでやめた。それから突然、木登りを始めた。が、ちっとも登れない。彼女はすぐに諦めると、湖で遊び始めた。洋服が濡れたが、気にしていないようだ。湖の茂みにいるなにかを、ノアナは掴んで振り回した。母親の元に走っていく。

 開けてある窓から、元気な声が飛び込んでくる。


「お母さーん! ヘビを捕まえたよぉーー!!」

「ひえっ⁉︎」


 思わず甲高い奇声を発してしまった。


「無理だ……野生児すぎる。妻どころか、好きになれる気さえしない……」


 だが、天職検査に間違いはないとされている。悩んだ末に、ノアナの心を読んでみる。


(なんて素敵なお庭! メルヘンパークにしたいな。妖精、どこかにいないかなぁ? お腹すいた。サンドイッチ食べよう。あ、この草かわいい。名前をつけてあげよう。コロリンチョ。もう一回木登りに挑戦しよう。一番下の枝までは行きたいな。あ、あの雲。ソフトクリームみたい。お腹すいた。そうだ、服がびちゃびちゃ。着替えて……ああっ、そうそう、木登り! あ、でも、着替えが……でも、サンドイッチ。あ、でも妖精探し……)


 待て待て待てっ! 心が散らかりすぎている!! 


 ノアナ・シュリミアという子は、好奇心旺盛で注意力散漫。思考が飛びがちだ。こういうタイプは、興味本位にいろんな物事に手をつけた挙句、結局どれも中途半端で終わる。


「顔は嫌いじゃないが、なにぶんアホすぎる。まずは濡れた服を着替えるのだ第一優先だと思うのだが……妖精探しを始めたぞ。妖精は空想の産物で、現実にはいないのだが?」


 ノアナ・シュリミアがぱっと顔を上げた。あまりにも唐突だった。二階の窓際から見ていた私は隠れる暇がなかった。

 目が合う。

 

「こんにちはー!」


 ノアナ・シュリミアは満面の笑顔で、両手を大きく振った。

 動転し、カーテンを閉めてしまった。が、すぐさま窓を開け、「君の好きなオーナメントを置いていい! 妖精とか」と叫んだ。

 それから窓を閉め、カーテンを閉ざし、ベッドに突っ伏した。

 心臓の動きが早い。呼吸が忙しない。頭が働かない。顔が熱い。胸が奇妙に疼く。

 容姿には自信がある。自分を見る女性らの目に情欲が浮かんでいるのを、幾度も経験してきた。しかし、心に闇という化け物を巣食わせた者に擦り寄ってこられても迷惑でしかなかった。今までは……。


「ノアナは自分を見て、どう思っただろう?」


 気になって、ノアナの心を読む。


(オーナメント? なにそれ? お菓子かなんか……あっ! わかった。お菓子の家を作ってくれるんだ。やったぁ! ♪屋根はビスケット〜扉はチョコレート〜壁はマシュマロ〜♩煙突は飴で、テーブルは〜🎵)


「アホノアナっ! 違うしっ!! なんていう手のかかる女だ!」


 ベッドから飛び降りると、すぐさま一階に駆け降りた。オーナメントの件をノアナの母親に伝えるよう、使用人に頼んだ。


 その日一日、ノアナのことを考えた。翌日も、その翌日もノアナのことを考えた。

 哲学者の言葉を思いだす。

『苦悩は、苦悩した瞬間に生まれる。苦悩しなければ、苦悩は生まれない』

『人生が単純でないのなら、それはあなたが複雑に作りかえているからだ』


 ノアナの心に負の感情がないわけではない。劣等感や悲しみなどが読み取れた。だが天真爛漫に笑えるのは、瞬間を生きているからなのだろう。感情がその場限りで、尾を引かない。

 なんでも難しく考えて、迷路に迷い込む自分とは大違いだ。

 自分とノアナは、真逆に位置している。見ている世界が違う。ノアナの見ている世界は、自分の知らない世界。

 ノアナの見ている世界に、ふれてみたいと思った——。


 

 

 


 



 

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