第四章 ノシュア・ユガリノスの独白
第37話 過去
ボクの両親は多忙で、家にいることがほとんどなかった。
両親とは月に数回、食事をするだけの淡白な関係。
親の言うことは決まっていた。
「ユガリノスグループを背負える人間になれ。そのために、死ぬ気で努力しろ。名門ユガリノスの名に恥じぬよう、常に一番の成績をとるんだ。二番は必要ない」
「ジュリサス。人の目を気にして生きてちょうだい。お母さんは女優なの。あなたの軽はずみな行動がゴシップ誌に載ったら恥ずかしいわ。私に迷惑をかけないでね」
親に保護されないと生きていけない無力な子供が、親に逆らえるはずがない。
ボクは心にモヤモヤを抱えながらも、うなずいた。
人生が反転したのは、七歳のとき。
高熱が三日間続き、心細さのあまり、使用人に両親を呼ぶよう頼んだ。けれど両親は「仕事を抜けられない」と帰ってこなかった。
熱でぼうっとする頭で、両親を憎んだ。あの人たちにとって、ボクはなんなんだろう。ボクにだって、心が備わっている。話を聞いてほしい。そばにいてほしい。やさしくされたい。愛されたい。
消えたい──。
そう思ったら、涙がこぼれた。
「おなか、すいた……」
食欲はない。けれど、なにも入っていない胃がしきりに鳴っている。
さっぱりしたものなら、食べられそうだ。たとえば、果物。そうだ、果物がいい。
「桃が食べたい」
喉から手が出るほどに、桃を求めた。
すると、ベッドに寝ているボクの手のひらの上に桃が現れた。
「え……?」
まるで今しがた木からポトリと落ちて、ボクの手のひらの上に乗ったかのような、みずみずしい桃。手のひらに感じる、ざらりとした毛の感触。甘い匂い。
お腹が鳴った。けれど、皮ごと齧る気にはなれない。
「一口大に切られた、皿に盛ってある桃がいいな」
すると今度は、小皿に盛られた一口大に切ってある桃が現れた。先ほどの桃とは反対の手のひらに感じる、クリスタルの小皿の重みと冷たさ。
「もしかしてボク……魔法を使える?」
魔法使いは老若男女の憧れ、第一位の天職。魔法使いは、人生の勝ち組と言われている。
「ボクは天から選ばれた人間なんだ! 両親が知ったら喜ぶぞ!」
使用人を通して、両親に伝えた。驚くことに、二人ともその日のうちに帰ってきた。そして翌朝には、天職検査会場に連れて行かれた。
熱が下がりきっていないし、まだ七歳なのに……。
第一回目の天職検査は、八歳にならないと受けられない。けれど特別枠として、天職検査を受けられるらしい。それも、朝早くから建物前に並んでいる人たちの行列に並ぶことなく。
「お父様。並んでいる人たちがたくさんいます。それなのに一番に検査を受けてもいいのですか?」
「ジュリサス。待っている者たちの顔を見ろ。この愚か者らは、時間が生み出す価値を無視している。一秒の重要性を知らないのだ。時間を無駄にするな」
父は、天職検査官長にぶ厚い封筒を渡した。封筒に入っているのは金だろう。
ボクは理解した。
父も母も、ボクの天職を知ったら仕事に戻るつもりだ。待ち時間など邪魔なものでしかない。
ボクは窓から外を眺めた。今日は八歳児検査。親子連れが列をなしている。子供たちはふざけ、走り回り、母親に抱きつき、おしゃべりをしている。
子供たちの笑い声が、部屋の中にまで聞こえてくる。
「待ち時間の楽しみを見つけられない者のほうが、愚か者なんじゃ……」
「ジュリサス、来なさい」
母に呼ばれ、ボクは天書が載っている書見台へと近づいた。
天職検査の結果。ボクには天職が四十五個あることが判明した。数の多さに、検査官たちは驚きと歓声をあげた。
両親も喜ぶ態度を取った。
ボクはなんの気になしに、頭の中に流れてきた言葉を口にした。
「お父様の天職は三個しかない。才能が少ないことが、お父様のコンプレックス。お父様は今、ボクを憎んでいる。お母様は、魔法で若返りたいと願っている。お気に入りの年下男優がいるんだね」
デタラメだ! と叫ぶ両親。けれど、余裕のない顔を見れば一目瞭然。
天職検査が終わったのに、両親は仕事に戻らなかった。ボクを魔法に詳しい専門家のところに連れて行った。
魔法検査の結果。僕には特殊な魔法の力があることが判明した。
それは——人の心を読める魔法。
その日からボクは、両親といる時間が多くなった。父も母も、他人の心を読ませたがった。
ボクは拒否した。こんなことしたくない、と泣いた。
「誰のおかげで生きていると思っているんだ! 育ててもらっている感謝を示せ!」
「あなたを世界で一番愛しているわ。大切で愛おしいジュリサス。お母さんのお願い、聞いてくれるわよね?」
拒否しても、泣いても、許されない。親の権限の前には子供の心など、壊れてしまったおもちゃのような雑な扱い。
ボクは諦めて、いろんな人の心を読んだ。
その結果ボクは、誰しもが深い闇を抱えていることを知った。
悲しみ。嘆き。怒り。憎しみ。孤独。無価値観。無力さ。死念慮。劣等感。嫉妬。敵意。裏切り。軽蔑。嘲り。軽視。諦め。他人を不幸に落とす喜び。諦め。救いを求める切実さ。
ボクは人を恐れるようになり、自分が人間であることを嫌悪した。
あるとき。父は、伯父の心を読むよう言った。
伯父さんは、父の兄であり、ユガリノスグループの社長。ボクは、優しい伯父が好きだった。
「伯父さんの心を読みたくないよ! 嫌だ!」
「ジュリサス。これはユガリノスグループのためなのだ。あいつが社長では世界と戦えない。あいつは会長のお気に入りというだけで、社長の座に就いている愚か者。父さんなら、ユガリノスグループをさらに拡大できる。世界最高の企業に押しあげられる。ジュリサス。父さんに協力してくれ。これはお願いではない。命令だ」
ボクは十九歳になっていた。抵抗しても無駄であることが身に染みてわかっていた。
ボクは、伯父の心を読んだ。そして、伯父には好ましく思っている女性秘書がいることを知った。けれどそれは秘めたる思い。決して外に出すことはない。なぜなら伯父は家族を愛していた。
父は、その女性秘書に伯父を誘惑するよう頼み、大金を積んだ。
女性秘書は誘惑したが、伯父はなびかなかった。家族への愛情のほうが強かったからだ。
すると、父は次の手に出た。パーティーの席で伯父の酒に睡眠薬を入れ、女性秘書と一晩を過ごしたかのように偽装した。
女性秘書は男女の関係を強要されたと、訴えた。
伯父は失脚し、離婚し、そして……命を絶った。
父は社長の座に就いた。それからしばらくして今度は、会長である祖父を失脚させたいと言いだした。
「もうイヤだイヤだイヤだ。死にたい……」
魔法使いなんて、人生の勝ち組じゃない。勝つことに意味はあるのだろうか?
ボクは、別荘に引きこもった。両親と会うことも社会と関わることも、拒絶した。
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