第36話 ユガリノス先生の秘密

 ルキーマは表情を強ばらせたまま、ゆるく頭を振った。


「なにを言うかと思ったら……。君らのような劣等生に同情されても意味がないし、苦労のない人生などない。俺は友達を作りにここに来たんじゃない。君らとの会話に価値はない」


 わたしは人の気持ちに敏感なほうじゃない。だけど、ルキーマが偽りの言葉を自分自身に言い聞かせているように思えた。だって、ルーチェと話しているときのルキーマの表情は好奇心で輝いていたから。好奇心に価値はないと、わたしは思わない。


 ルキーマが、わたしやクラスメートたちに催眠術をかけたことは許せない。先生との約束を、危うく破るところだった。

 けれど、怒りの感情をぶつける気にはなれない。

 天職とは、天から与えられた才能を仕事に活かすこと。その職業に貴賎はない。そう言われているけれど、人々の意識が、憧れの職業と下に見られる職業を作りだしている。

 天職検査でハズレを引いてしまった人には、肩身の狭い人生が待っていることをわたしは知っている。


「わたしね、八歳の天職検査で、才能が不安定で天職が定まらず。って出たんだ。両親は焦ることないって言ってくれたんだけど、まわりの人はそうじゃなかった」


 ——ノアナさんは、人の気持ちがわからないのね。まぁ、天職結果がふわっとしたものだからねぇ。お母さんがね、ノアナちゃんとは遊ばないほうがいいって。天職のいい子と友達になりなさいって。君ってなにもできないんだな。バカすぎる。さすが、天職検査で秀でた才能がないって出ただけあるな。天職が一個もない人っているわけないじゃん。え? ノアナ? ハハっ!! すげー残念な女。


 過去に言われた言葉は、消えることなくわたしの心にある。

 明るく振るまってはいても、劣等感はあった。けれどユガリノス先生は、そんなわたしを受け入れてくれた。

 ——君はダメな子ではない。出来ないことがたくさんあるだけで、ダメではない。

 そう言ってくれた優しい先生を、わたしはどんどん好きに……好きに……。


「きゃあーーっ!! 照れるぅーー!!」

「いきなりどうした⁉︎ まわりの人はそうじゃなかったの続きが……照れる?」

「脳内で勝手に話を進めて、周囲をポカンとさせる。これがノアナスタイルってものよ」


 唖然としているベルシュと、呆れ顔のルーチェ。

 ルキーマは鼻で笑った。天職を当てられたときのピリピリとした緊張が消えている。


「まわりの人はそうじゃなかったが、好きな男は、才能のない自分を受け入れてくれた。そう言いたいのなら、聞く価値はゼロ。くだらない。帰る」


 背中を向けたルキーマに、ルーチェが思い出したというように声をかける。


「クラスメートたちの催眠術を破っちゃった。普通に話しかけただけなんだけど。あなたの労力を無駄にして、ごめんなさいね。明日もう一回頑張って」

「やだよ。めんどくさい」


 ルキーマはそのまま歩みを進め、建物の角を曲がって姿を消すまで、一度も振り返ることはなかった。

 ルーチェは腕組みをすると、ふふんと笑った。


「素直じゃないヤツー。本当は友達が欲しいくせに。ああいう歪み腐ったヤツ、大好物なのよね。絶対に友達になってやる」

「ええっ、そんな!! ルーチェの友達はわたしでしょう。ダメ!」

「こういうことわざがある。近くにいるポンコツな女よりも、ダイヤモンド産出国の男を友達にしろ」

「そんなことわざ、絶対にない!」


 ルキーマと友達にならないで。わたしを見捨てないでー! とすがるわたしに、ベルシュが宥めるように肩をポンポンと叩いた。


「心配しなくて大丈夫だよ。友達は何人いたっていいんだから。ルーチェとノアナはこの先もずっと友達だと思うぜ」

「そういうことじゃないの! ルーチェの一番の友達はわたしじゃないとダメなのっ!!」

「独占力の強い人ってやあねぇ。言っておくけど、あたしの友達リストの一番から千番までは空白。ノアナは千一番目の友達だから」

「ふみゃあ! そ、そそ、そんなぁーーっ!!」


 嘘泣きしているわたしの耳に、同時に飛び込んできたもの。

 ベルシュの「ルーチェってツンデレだな。それって結局ノアナが一番の友達ってことじゃん」

 ルーチェの「ユガリノス先生から手紙を預かっているんだった。先生が、ルキーマの天職を教えてくれたのよね」

 わたしの耳が反応したのは……。


「先生からの手紙⁉︎」


 食いつくわたしを、ルーチェは犬を追い払うかのようにシッシッと手で遠ざけ、鞄から手紙を取りだした。

 心臓が破裂してしまいそうなほどの緊張感。震える手で、手紙を開封する。

 平凡な便箋に書かれた、几帳面な字。



『ノアナ。私のせいで面倒事に巻き込んでしまい、心から申し訳なく思う。本当は直接会って説明と謝罪をしたいが、ルキーマの目がある。彼は私をサウリ国に連れて来なければ、皇位を剥奪すると父親である国王から脅されている。追い詰められたルキーマがなにを仕出かすかわからない。そうならないよう、私も裏で動く。だがそのために、ノアナの側にいてあげられないことが心苦しい。

 ルキーマは私の素性を探るために来た。ノアナが目的ではない。そういったわけで、少しの間距離を置こう。

 頼みがある。しばらくルーチェの家に泊まってほしい。くれぐれも料理をしないように。ルーチェに追い出されてしまう。君は外から帰ってくるとすぐに靴下を脱ぐ癖があるが、たまに廊下に落ちているぞ。手でしっかりと持って洗濯機に入れなさい。それと使ったものはすぐに元の場所に戻す。ルーチェは私ほどではないが几帳面だ。後でやろうと思っていたでは嫌われるぞ。

 これはルキーマとは関係ない話だが、自分らしさを消してまで優等生にこだわる必要はない。教師としては、優等生になる努力をするのは大歓迎だ。だが今のノアナを見ていると、歯痒くなる。

 私は二年前、君の天真爛漫な笑顔と明るい心に救われた。君の心に触れると、心を覆う黒雲が晴れる。ルーチェには癒しの聖女の才能があるが、ノアナにもそのような才能があると思う。それが世間一般の職業に結びつかず、私の妻という非常に限定された職業であるというだけの話。陰湿で嫌味な、たったひとりの男を慰める才能など、つまらないと思うだろう。けれど私の背後には巨大な資本があり、何億人もの従業員がいる。ノアナのお陰で私が生きているということは、非常に重い意味を持つ。君には感謝してもしきれない。

 最後に。私は魔法で人の心が読める。ノアナの心も読んだ』

 


「どうした⁉︎ 勉強ができないから、一年生からやり直しとでも書いてあったのか?」


 手紙を持ったまま固まっているわたしに、ベルシュがおどおどと声をかけた。


 ——魔法で人の心が読める。ノアナの心も読んだ。


(そういうことだったんだ……)


 話していないにもかかわらず、先生はいろんなことを知っていた。

 ピンクうさぎのぬいぐるみを父からもらったこと。ピンクブロッコリーと呼ばれていたこと。蛍光黄緑のゲロッチョTシャツを激安服屋で買ったこと。

 もしかしたら、引っ越ししたいという願望や、恋心はないけれど付き合うならベルシュだなと思っていたことも、心を読んで知ったのかもしれない。


 わたしの心が読まれていた——。


「あは、あははー。あはははははーーーっ!!」

「どうした⁉︎ ノアナが壊れたっ!」

「どうしようどうしよう!! 困った。どうしよう。ゲロッチョ! あ、ゲロッチョってこういうときに使うのかな?」

「ああ、ゲロッチョTシャツの話ね。亜熱帯にいる毒ガエルの鳴き声だよ。デザイナーが毒ガエル愛好家らしいよ」


 ルーチェによりゲロッチョの正体がわかったけれど、わたしの心が晴れることはない。

 先生がわたしの心を読んでいたなら、大嫌いって言っていたくせに、いつの間にか好きになって、今では大好きになったことも知っている⁉︎


(あわわわわ、どうしよう! 恥ずかしいっ!! でも、でも……。今晩はハンバーグが食べたい。とか、靴下の片方を見つけたら洗濯機に入れておいてね。とか、眠れないから趣味室で音楽を聴いているんだけど先生も来て。とか、そういったことが思うだけで伝わるってこと? それって、最高じゃん⁉︎)


 言葉にしない気持ちを先生に届けられる。そう思ったら、心がぴょんと飛び跳ねた。


 

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