第20話 先生が知ることのない情報
スタッフが、こちらを見ながらヒソヒソ話をしている。その目は冷ややかで、わたしを歓迎していないのがわかる。
激安服屋の処分品ワゴンの中から購入した蛍光緑色のTシャツは、見た感じからして安っぽい。ペラペラの生地の胸元に描かれているのは、意味不明な外国語のデザインロゴ。
露出している肩と、お腹と、脚。履き古してボロボロのサンダル。
明らかにわたしは、セレブ御用達最高級ブティックから浮いている。
自分にできる精一杯のオシャレをしているけれど、超一流ブランド店においては、わたしの存在は痛々しいものでしかない。
「帰ります!」
場違いであることに耐えきれずに、出口に向かう。先生の低音ボイスが追いかけてきた。
「ノアナ! 毒ガエルTシャツを、一生着るつもりか」
「一生なんて着ないし。そもそも毒ガエルじゃないし!」
「君には美的センスがない。いくら激安服屋で買ったとはいえ、もっとマシな服があっただろうに。君のファッションセンスは壊滅的にダサい。しかも、露出をオシャレだと勘違いしている。あと前々から思っていたのだが、頭にピンクブロッコリーを飾るのはいかがなものかと」
「ドッカーン!! なんでそんな意地悪なことを言うのっ!」
店を出ようとしていた足を止め、先生を睨みつける。
「わたしだって言わせてもらいますけどねぇ! 社員たちの憧れの的らしいですけれど、それは先生の中身を知らないからだよ! 嫌味で口うるさくてダサくて陰気で神経質で潔癖症で超つまらない数学なんて教えていて。お金持ちというプラス要素があっても性格が悪すぎるから、プラマイゼロだから!」
「そうだ。私は性格が悪い。このひねくれた性格は、死んでも直らないだろう。プラマイゼロとは、随分と採点が甘いのだな。私なら、マイナス一万点をつける」
「ピキピキ……嫌味が通じない!」
怒りの感情というのは不思議なもので。怖気付いていた気持ちが吹き飛んで、言葉がスラスラと出てきた。
(もしかして、先生。わざと意地悪なことを言ったのかな……)
違う世界の住民ではない。わたしと同じ場所にいる。だから、今までと同じ態度を取ってもいいよ。そう、教えるために。
店を出るのをやめて、先生の元へ戻ることにする。くたびれたサンダルの底から発せられるペタンペタンという間抜けな音が、最高級ブティックに響く。
「決闘を申し込む!!」
「辞退する。店長、この子を変えてやってくれ。露出はなし。上品な令嬢に変身させてくれ。金はいくらかかってもかまわない」
「なんでわたしなの⁉︎ 変身するのは先生だよっ! マダム店長、この人をイケおじに変身させてください!」
「私はこのままでいい」
「ダメっ! 先生は陰でこっそり、死神コスプレ男って呼ばれているんだから」
「それを言っているのは、君だろう?」
「ドキッ! な、なんで知って……」
マダム店長は、ローズ色の口紅が綺麗に塗ってある唇を綻ばせた。
「大変に仲がよろしくていらっしゃいますね。ノシュア様が楽しそうに話しているのを初めて目にしました。お任せください。お嬢様とノシュア様を、華麗に変身させてみせますわ」
「別に私は……」
「ノシュア様。女性が寄ってこないのに成功していますが、それでは、大切な女性も寄ってこないのではないですか?」
マダム店長が意味ありげに目を細めると、先生はバツが悪そうに前髪をモジャっと払った。
「お見通しというわけか」
「おふたりの会話を聞いていると、信頼関係があるからこそ、好き放題に言えるのだと思いますわ。愛を金で買えると言う人もいますが、金で買えない愛こそ、真実なのでしょうね。お相手の方が羨ましいですわ」
「……羨望の目を向けるのは彼女ではなく、私だ。出会えた幸運に感謝している。彼女がいなかったら、私は生きていなかった」
わたしには大人の会話を理解するのは難しい。相手とか彼女とかいった曖昧な単語を使わないで、キッパリと名前を言ってほしいものである。
マダム店長は目を見開くと、穏やかに微笑んだ。
「ノシュア様のお気持ち、しかと受け止めました。大切なお嬢様を預けてくださり、光栄です。美容室とエステを追加してもよろしいでしょうか?」
「頼む。ピンクブロッコリー髪と肌荒れを落ち着かせてやってくれ」
「鳥の巣頭の先生にも美容室をっ! 丸坊主にしてもいいです!」
「ふふっ。丸坊主には致しませんが、素敵に変身させてみせますわ」
マダム店長は、顔の横でパンパンっと二度、小気味よく手を叩いた。
「全スタッフ、聞いていましたね。プロの底力を見せるわよ。マーサは美容室に。ハルベリーはエステルームに連絡してちょうだい。お嬢様を上品なご令嬢に変身させますよ!」
先生をイケおじに変身させるつもりが、なぜかわたしまで変身することになってしまった。しかも上品な令嬢って⁉︎
わたしは海に漂う小舟が嵐に翻弄されるかのごとく、同ビルの最上階にあるエステルームに連れて行かれた。
綺麗なお姉さんスタッフに全身をツルツルに磨いてもらった後、同ビル三階にある美容室で、天パを抑える魔法のトリートメントをかけてもらう。
不本意な成り行きではあったけれど、最高に気持ちがいい。
(生まれて初めてのエステ、最高だったなぁ。天国に行った気分。またエステを受けたいなぁ。美容室のシャンプー、いい香りだったなぁ。アイスティーとケーキまで出してもらって、オシャレなお姉さんと楽しいおしゃべりまでして、幸せだなぁ)
幸福な時間に脳がとろけそうになる。
それにしても不思議なのは、先生がいろいろと知っていること。
(ピンクブロッコリーっていうのは、ベルシュの発言なんだけれど……。なんで先生が知っているの? それに、死神コスプレ男って呼んでいるのを知っているのはルーチェだけ……。それだけじゃない。先生はなんで、わたしが激安服屋で洋服を買っていることを知っていたんだろう? ルーチェから聞いた?)
ルーチェも先生を嫌っている。そのルーチェが先生に、死神コスプレ男とか買い物の話をするとは思えない。先生はどこから情報を仕入れたのだろう?
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