第48話 誕生日プレゼントはキス(後編)

 一時間目は現代語の授業。

 ミーナから貸してもらった『筋肉美を目指せ!』という雑誌を、現代語教師の目を盗んで見る。けれど、半裸の男性の写真に耐えきれなくなり本を閉じた。

 ミーナは言った。キスが恥ずかしいなら、筋肉作りをサポートするという手もある。雑誌を見て、どの筋肉が好みか私に教えて。そしたら、この筋肉を作るのにはどのようなサポートが必要なのか、案を考えてあげると。


(別にわたしは、先生に筋肉マッチョになってほしいわけじゃないんだけど……)


 二時間目は地学の授業。

 ミーナの彼氏である脳筋勇者トリコゼーノに貸してもらった、ストリート系メンズファッション雑誌。机の中に忍ばせ、地学教師に見つからないようにページを捲る。


(うーん……。安物のパーカーとか派手なグラサンじゃ喜ばないよね。だいたい、先生にストリート系ファッションって似合わない。プレゼントするなら、指輪?)


 大人の色気と品格の漂う先生に、いかついドクロの指輪をプレゼントするのはどうなんだろう?


 三時間目は外国語の授業。

 ベルシュにパン作りの雑誌を貸してもらった。わたしがパンを作ってもいいのかな?


 四時間目は歴史の授業。

 休み時間に廊下で会った、二年一組の才女フランソワ。年上の知的男性への誕生日プレゼントをどうしたらいいか相談したところ、本を貸してもらった。

 歴史の教科書を読んでいるふりをして、貸してもらった『失敗したくないが挑戦したい人のための株式投資』の本を開く。一ページ目で睡魔が襲ってきた。


(フランソワは、これから上がる株をプレゼントすべきよ! って言ったけれど……。なにが書いてあるのかチンプンカンプン)


 昼食を挟んで、五時間目は数学。ユガリノス先生の授業。

 けれど勉強するどころではない。今日は五時間で終わり。この授業が終わったらすぐにプレゼントを買いに走らないといけないのに、肝心のプレゼントがまだ決まっていない。


(どうしようどうしよう、困った。こうなったら、鉛筆を転がして決めよう)


 筆入れから五角形の鉛筆を取り出すと、持ち手上部をカッターで削る。そこに黒ボールペンで、『キス』『筋肉』『ドクロ』『パン』『株』と書く。


(転がして出たものを、プレゼントしよう)


「ノアナ・シュリミア。なにをしているのだ?」

「ふぁっ⁉︎」


 突然かけられた声に驚いて、肩が跳ねる。見上げると、机の横にユガリノス先生が立っていた。鉛筆の削りカスに視線が向いている。


「えぇと、これは、その、鉛筆の芯が折れたから、削っていただけです……」

「鉛筆になにか書いていたようだが?」

「やだぁ。なにも書いてませんってばぁ!」


 誤魔化し笑いをしたものの、右手がプレゼント候補を書いた鉛筆に当たって、床に落ちた。慌てて拾おうとしたが、先生のほうが早かった。


「真面目に授業を聞くように」

「はい……」


 先生が返してくれた鉛筆を、ぎゅっと握りしめる。


(見られたかな?)


 先生を観察するが、表情が変わっていない。笑うのを忘れたような仏頂面。家では表情筋を和らげているのに、学校では相変わらずの不機嫌顔だ。

 先生は見なかった。そういうことにして、鉛筆を転がす。


 五角形の鉛筆は机の上をころころと転がり——『パン』で止まった。

 と思ったら、また転がって、『キス』で止まった。


(んん⁉︎ 一回止まったのに、また動いた! なんで⁉︎)

 

 世の中には不思議な現象があるものである。

 でも、安心した。わたしもキスが一番いいと思っていたから——。

 恥ずかしくて気持ちが定まらなかったけれど、鉛筆ころころに背中を押してもらえた。キスと出たのだから、先生にキスのプレゼントをしよう。

 前を見ると、先生と目が合った。先生はサッと教科書に視線を落とした。


「問五の答えだが……」

「先生。問四を抜かしています」

「……そうだな……」


 副委員長のミーナに指摘され、先生はバツが悪そうな顔をした。神経質で真面目な先生が間違えるのは珍しい。

 


 ◇◇◇



 放課後。ユガリノス先生から呼びだしをくらった。指導室に入る。


「なんですか? 夕食の相談ですか? 美味しいレストランならどこでもいいですよ」

「美味しいピーマンが出るレストランでもいいだろうか?」

「却下」


 先生が窓にもたれるようにして、立っていた。先生の後ろの窓はオレンジ色に染まっている。

 先生の横にわたしも立って、窓にもたれる。


「今日は内職に勤しんでいたようだな。現代語と地学と外国語と歴史の先生から、ノアナは上の空で全然授業を聞いていなかったと報告が入った。これに対して言いたいことはあるか?」

「ぼふー! 真面目に説教してきた。信じられない!」

「信じられない? どうして指導室に呼ばれたと思っていたんだ?」

「それは、その……もにゃもにゃ……」


 鉛筆の転がり方がおかしかった。もしかして先生が魔法を使って、『キス』を上にした?

 その考えに至った直後に指導室に呼ばれたので、先生は指導室でのキスをお望み⁉︎ そう思ったのだけれど……。どうやら違ったらしい。


「今日は勉強する気分じゃなかったんですー。じゃそういうことで、帰ります」

「誕生日プレゼントはどうするんだ? 授業を聞かずに、考えてくれていたんだろう?」

「ぎくっ!」

 

 わたしはうつむくと、胸の前で両手の指をもじもじと動かした。


「あの、あのね、先生。朝、不機嫌でごめんね。雨だったからブルーな気持ちになっちゃって、八つ当たりした」

「気にしていない」

「でね、それで、今日は先生の誕生日でしょう? 最高のプレゼントを贈りたいと思って調べていたんだけど、これだっていうのがなくて……。筋肉サポートとドクロの指輪とノアナ手作りパンと株っていう候補があったんだけど……」

「どれも嫌だな。特に、ノアナ手作りパンは胃腸を痛める予感しかしない」


 みんなの前では不機嫌顔なのに、わたしの前では柔らかい表情で笑ってくれる先生。先生の笑顔が、キスをプレゼントしたい気持ちを後押ししてくれる。


「あともうひとつプレゼント候補があって……あの、あのね、キス、なんだ。どうかな……」

「いいと思う。ぜひ、もらいたい」

「でもね! わたし、キスしたことがないから、うまくできないかも。がっかりさせちゃうと悪いから、その……家でぬいぐるみ相手に練習したほうがいいよね?」

「座ろう」


 先生はわたしの肩を押した。力の働くままに、西日が照らす床に座る。


「……練習相手ならここにいる」

「練習してもいいの?」

「好きなだけどうぞ」


 目を閉じた先生。長いまつ毛と美しい鼻梁。横に流れるサラサラの前髪。シャープな輪郭。

 やはり先生はかっこいい。大人のクールな色気と知的さを放っている。

 心臓がドキドキしすぎて口から飛び出してしまいそうな緊張感の中、わたしは目を開けたまま、おそるおそる先生に顔を寄せた。

 ゆっくりと唇をふれさせる。まずは額に。そしてこめかみに。頬に。唇の横に。


「どう?」

「いい感じだ」

「本番をしてもいいと思う?」

「ああ」


 先生の唇は赤みが薄い。嫌味ばかり言うその唇は、温度が低そう。ふれたら氷のように冷たいんじゃないか。そう思ったのだけれど……。

 唇にふれてみて、わかった。先生の唇は適温で、柔らかくて、癖になりそうなほどに気持ちいい。


「お誕生日おめでとうございます。キスのプレゼント、どうだった?」

「最高だ」


 息が混ざる距離でわたしたちは見つめ合う。


「学校でキスをしても良かったのかな? 校則違反?」

「校則では、校内での不純行為は禁止されている」

「わわっ! 校則を破っちゃった!!」

「いや、これは不純行為ではない。純粋な行為だ」

「そうなの?」

「風紀担当の教師が言っているのだから、間違いない」


 わたしたちは笑い合うと、どちらともなく、自然と唇を重ねた。

 初めてのキスはユガリノス先生と。そしてこれからも、キスはユガリノス先生と。

 ぎこちなかったキスが、徐々に馴染んでいく。体温が混じりあう。

 先生とキスをするのは気持ち良くて、最高に幸せ。

 



 


 

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