おまけ

第47話 誕生日プレゼントはキス(前編)

 雨がしとしとと降っている。空は暗く、空気はひんやりと冷たい。湿気のせいで髪が爆発している。

 こういう日は学校に行きたくない。ズル休みして、ベッドで漫画を読みながらお菓子を食べたい。

 けれどわたしには、ユガリノス先生という堅物な夫がいる。「学校に行きたくなーい! サボるぅー!!」とベッドにしがみついたのに、魔法で無理矢理にシャワー室に運ばれてしまった。

 そういうわけで、わたしは怒っている。夫婦喧嘩というやつだ。……といっても、わたしが一方的に怒っているだけなんだけど。


 先生が作ってくれた朝食を無言で食べる。いつもなら「美味しい! 先生って天才!!」って称賛するけれど、今日はだんまり。

 先生は自分の使った皿を洗い終えると、なにか言いたそうにわたしを見た。わたしはノアナ語を使って不機嫌であることを示す。


「ふみゃあ。なんか用ですかぁ?」

「夕食、食べたいものはあるか?」

「別にぃ」

「そうか……。今夜はレストランに行かないか?」

「なんで? 割引券をもらったの?」

「そういうわけではないが……」

「ふーん。もしかして誕生日とか?」

「実は……そうなのだ。祝ってもらう年齢ではないのだが、お試しとはいえ夫婦なのだから、誕生日を知らせないというのも不義理かと思い……」


 先生は視線を下方にうろたえさせ、眉を下げた。


「誕生日を一緒に過ごしてもらえたら、嬉しいなと……」

「あ、あああ……」


 食べかけのバジルパンが手からするりと落ちて、床に転がる。


「あのあのっ! 欲しいものある⁉︎」

「ない。欲しいものは手に入れた」


 なんで今日に限って、わたし怒っているの!

 いつも「先生が夫で本当に良かった。わたしって世界一の幸せ者」って、ご機嫌のいいことばかり言っているのに。

 知らなかったとはいえ、先生の誕生日に不機嫌でいたことを反省する。


(よしっ! こうなったら最高のプレゼントを用意して、先生を喜ばせるぞ!!)


 気合を入れると、床に転がったバジルパンを拾って食べる。先生は目を丸くした。


「落ちたものを、なぜ躊躇なく食べるのだ……」

「バジルと小麦は地面から生えている。地面に落ちた。これつまり、本来の場所に戻ったということ。よって、落ちたものを拾って食べるというのは大地の恵を再度感じる素晴らしい行為だという、ノアナ理論です」

「ノアナ理論……。表面的にも深層的にもまったく賢くない理論だ。そもそも、君がパンを落としたのは地面ではなく、大理石の床。大理石は元を辿れば、貝やサンゴからできている。大地の恵ではなく、海の恵だと思うのだが?」

「むむむ⁉︎」


 先生は細かい。それとも、わたしが大雑把というべき?

 

 

 ◇◇◇



 朝のホームルームが始まる五分前に教室に入ると、ルーチェの姿がなかった。


「雨ぐらいで学校を休むなんて、まったくもう! いざってときに頼りにならないんだから」


 仕方がないので、学級副委員長の筋肉大好きミーナに相談する。


「ミーナ、教えてほしいことがあるんだ。知り合いに年上の男の人がいるんだけど、誕生日になにを贈れば喜ぶと思う?」

「男?」


 ミーナの細い目がキラッと光った。


「その男の筋肉はどんな感じ?」

「え? 筋肉?」

「そう。筋肉。どの程度の筋肉量と質の持ち主かによって、贈り物が決まる」

「そういうもの?」

「反対に聞くけれど、相手の筋肉を知らないで、どうやってプレゼントを選べと?」

 

 ミーナの筋肉好きは遺伝子レベルかもしれない。揺るぎない性癖だ。

 ユガリノス先生を思い浮かべながら、話す。


「うーん……。あまり肌を出さない人だからよくわからないけれど、細身だから、逞しい筋肉はないかも……」


 ミーナはあからさまに興味を失った。


「へなちょこボディの男に用はない」

「あ〜ん、ミーナ様ーーっ!! ミーナ様は用はなくても、わたしにはあるんですぅ。立派な筋肉はないですけれど、お金ならたんまりとある人なんです。欲しいものは手に入れたって言われちゃって。だから、なにをプレゼントしたらいいのかわからなくて困っているんです。哀れなノアナにお助けの手を!」

「へぇー。欲しいものは手に入れた……ねぇ……」


 ミーナは顎先に指を当てると、好奇心が抑えられないというふうにほくそ笑んだ。ミーナは逆境を楽しむタイプだ。


「ズバリ聞くけれど、その男とはどういう関係?」

「えっと、それは、なんというか、あの……言えないです……」

「なるほどね。彼氏ってわけね」

「きゃあー! 言っちゃダメっ!」

「それで、お付き合いしてどれくらい? 彼の誕生日を祝うのは初めて?」

「うん。初めて。存在を知ったのは一年前だけど、付き合ったのは最近で……」

「じゃあ、キスはまだ?」

「ふぇ⁉︎」


 みるみる顔に熱が集まってくる。恥ずかしがって騒ぐわたしに、ミーナは勝利の笑い声をあげた。


「私が思うに、その男は若くてかわいい彼女ノアナを手に入れて満足している。でもノアナはお子ちゃまだから、手を出しずらくて、キスはまだってところね。だったら話は簡単。誕生日プレゼントにキスをすればいいのよ。ノアナから」

「わわ、わわわわわわ、わたわた、わたしから、誕生日プレゼントにキスをっ⁉︎」


 ドダンっ!!


 激しい衝突音がした。音のしたほうに目を向けると、ユガリノス先生が額を押さえてうずくまっている。

 ミーナがわたしを軽く睨んだ。


「ノアナが大声を出したから、先生が驚いてこけちゃったじゃない! こけた拍子に教卓に額を打ったわよ」

「あ……キス発言。先生に聞かれちゃったかな?」

「声がデカかったから、聞こえたと思うわ」


 どうしよう!! 本人に聞かれてしまった。

 誕生日プレゼントにキスをするのはアリ? それとも別なプレゼントのほうがいい?

 困ったぞ。


 


 


 



  

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る