第23話 ジャングルレストラン
知り合いのおばちゃんが働いている大衆食堂で、先生にお昼を奢るつもりだった。けれど、先生が世界的超大金持ちだと知った今、大衆食堂に連れていくのは気が引ける。
計画を変更する。
「美容室のお姉さんに教えてもらったんですけれど、近くに超オシャレなレストランがあるんですって。そこでお昼にしましょう」
「お気に入りの食堂に行くと言ってなかったか?」
「だって、オシャレをしたんだもん。お昼もオシャレに楽しみたいです」
「見栄を張ることはない。ノアナの舌はなにを食べても美味しく感じるのだから、大衆食堂で十分だ。私も大衆食堂というものに行ってみた……」
「あ、ここだ! 入りましょう!」
コンクリートジャングルに突如現れた、遺跡のようなお店。赤茶色の石が組み合わされた外装と、洞穴のような店の入り口。
美容室のお姉さんは「ジャングルに行った気分を味わえるよ」と話していた。
店の入り口である薄暗い洞穴を抜けると、そこは店内。湿度の高い暖かな空気に、体温が上がる。
「本当にジャングルだ……」
亜熱帯の植物が生い茂っており、左手奥には滝。最奥には大きな水槽があり、カラフルな熱帯魚が泳いでいる。
「あー……時空が歪んで、ジャングルに来ちゃったのかな……」
「座標はずれていない。ジャングルを再現してあるだけだ。この店は相当に高いぞ。出よう」
「心配しないでください。お金ならあります。任せて!」
給仕のお兄さんに案内され、植物の間を歩き、水槽前のテーブルに着く。先生も渋々といった感じで席に座った。
「先生、いつもありがとうございます。お世話になっているお礼です。好きなものを食べてください」
一人前の大人になった気分で、メニュー表を開く。
パチパチと目を瞬かせる。金額を、二度見、三度見する。目を擦って、もう一度金額を確認する。
(え? なにこの値段。全部ゼロが一個多いっ!! しかも、水が有料⁉︎)
ジャングルレストランは、食材にとことんこだわったお店だった。
自然放牧最高級肉。産地直送天然魚。農薬不可極上小麦。大自然で育てた一番搾りオリーブ油。契約農家直送オーガニック野菜と果物。若返りの泉から汲んだ自然水。
しかも超一流シェフたちが腕を奮っているらしく、一番安いピクルスですら、スーパーで買う値段の三倍する。芸術的に盛り付ける手間暇も値段に含まれているらしい。
わたしはふらふら〜っと席を立つと、力のない声で「トイレに行ってきます」と、断りを入れた。先生がなにか言ったが、耳に入らない。
トイレもジャングルだった。迷彩柄のスピーカーから、甲高い鳥の声に混じって野生動物の鳴き声が流れている。
わたしは便座に座ると、財布の中身を確認した。
「全財産、持ってきたのに……。一番高い『最高級トリコノ子牛のフォアグラソース添え』を頼まれたら、破産しちゃう。水にもお金がかかるなんて……。手洗い場の水をコップに入れて飲むという方法も……」
やっぱり、大衆食堂に行けば良かった。でも今さら遅い。値段にビビって店を出るなんてダサすぎる。
(貧乏人がセレブな世界に来ちゃいけなかったんだ。住む世界が違うってこういうこと。落ち込んじゃうな……)
いつまでもトイレに引きこもっているわけにはいかず、のろのろと席に戻る。
「なにを頼むか、決めましたか?」
「雑炊が食べたい」
「は? 雑炊?」
メニュー表を隅から隅まで探したが、高級レストランに雑炊があるわけがない。
「ないです。別なものにしてください」
「嫌だ。雑炊が食べたい」
「だったら、夕食を雑炊にしたらどうですか?」
「ダメだ。今すぐに雑炊を食べたい。雑炊は胃弱者の心強い味方なのだ」
「そんなこと言われても、ないものはないです。わがまま言わないでくださいっ!」
ムッとして言葉を返すと、先生はわたしを置いてけぼりにして店を出て行ってしまった。
「メニューにないものを食べたいだなんて。世界的超大金持ちっていうのはわがままなんだから!」
先生の後を急いで追って、外に出る。先生はすでに歩きだしていた。迷いのない確かな足取りは、どこかを目指しているようだった。
「どこに行くんですかっ⁉︎」
「雑炊を食べに行く」
「雑炊雑炊って、雑炊愛が強すぎるっ! そんなに雑炊が好きなら、ゾウスーイって名前にしたらどうですか!」
「だったら君は、ピーマン・ゲロッチョって名にしたらどうだ?」
「バカバカバカバカっ!!」
大嫌いランキング四位のものを言ってくるなんて!
ちなみに、大嫌いランキング一位は勉強。二位はお化け。三位は早起き。四位はピーマン。
先生を大嫌いランキングに復活させようか考えていると、ふと、やけに歩みがゆっくりであることに気づく。先生は長身モデルみたいな長い足を持っているのだから、早く歩いてもよさそうなのに……。
慣れないハイヒールを履いているわたしに合わせた歩調は、いまだ継続中らしい。
大嫌いランキングに入れるのをやめる。
先生は裏通りに入ると、古びた飲食店の前で足をとめた。
「この店で食べよう」
「え……。あ、あの、先生はこのお店で、食べたことがあるの?」
「ないが、ブティックの店長から、この店に雑炊があると聞いている」
店を眺める。四十年も営業しているだけあって、屋根も外壁も看板も汚い。
超大金持ちが入るお店ではないし、セレブ御用達最高級ブティックで働くエリート店長が人に勧めるお店でもない。
「本当にマダム店長が、このお店のことを話したの?」
「ああ」
「あ、あのね……。わたしのお気に入りのお店って、ここなんだ。集合アパートで同じ階に住んでいたおばちゃんが働いているの。でも、全然オシャレなお店じゃない……」
「オシャレさなど求めていない。胃に優しい食事があるかどうかだ」
胃に優しい食事って、病人か! とツッコミを入れようとして、気づく。
嫌味は先生の健康のバロメーター。
嫌味が絶好調ということは、体調が悪いわけではない。別な理由で、雑炊を求めている……。
「ねぇ、先生。さっきのレストランで、わたしが困っていることに気づいて、場所を変えてくれたの?」
「困っていたのか? 知らなかった。私は雑炊を求めて来ただけだ。奢ってくれるのだろう?」
わたしを見る先生の目は穏やかで、どきりとする。
変身前の先生はうざったい前髪が目を隠していて、目の動きがわからなかった。今も前髪は長めだけれど、左右に流れているので両目がはっきりと見える。
先生の唇は不機嫌そうに結ばれているし、頬の筋肉は硬直している。それにつり目。無愛想そのもの。
だけど、わたしを見つめる眼差しは穏やかで、あたたかい。
「うん! お昼奢ってあげるね。雑炊あるよ!」
わたしははにかみながら、先生の腕を引っ張って大衆食堂に入った。
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