第22話 変身したわたし、どうですか?

 わたしは階段の途中にいる先生を見上げ、先生は一階フロアにいるわたしを見下ろした。

 二人同時に唇が動き、わたしたちは同じことを口にした。


「マジか……」


 わたしと先生は年齢差という海溝よりも深い溝があるはずなのに、妙なところで気が合う。


 マーサがつぶやいたとおり、変身した先生はイケおじと呼ぶには若々しすぎる。知的な美青年と言ったほうがピッタリ。

 サラサラストレートの黒髪。横にさらりと流れている前髪から見えるのは、意地悪そうなつり目。けれど、人の心を惹きつける求心力のある青い瞳。

 先生は細身のネイビーパンツを履き、白シャツの上に綺麗な青色のジャケットを羽織っている。

 先生は表情に乏しいので、黒い服だと、陰気で近寄り難い印象を与える。明るい色の服を着ることで顔色が良く見え、さらには、清潔感と爽やかさを高めることに成功している。

 

「先生。あの、髪がサラサラ……」

「ストレートパーマをかけた。ノアナの髪も、その……落ち着いている」

「わたしはボリュームを抑える魔法のトリートメントをしてもらったんだ。ゆるふわ髪って言うんだよ」

「そうか……」

「先生。あの、両目がはっきり見えている……」

「前髪を横分けにした。ノアナも、その……髪を下ろしている」

「うん。ブローをしてもらったから、ツインテールにするのはやめた」

「そうか……」

「うん。あの、眼鏡は……」


 マダム店長がクスッと笑った。


「ノシュア様は視力がいいんですよ。度の入っていない眼鏡をかける必要はないと、わたくしがお止めしました」

 

 ダサくて陰気な先生が、劇的に変身してしまった。暗黒の呪いから解き放たれ、イケメンモデルへと変わった。

 それでも中身は変わっていないはずなのに、わたしはどうしてしまったのだろう。心臓がドキンドキンとうるさく波打って、胸がぎゅーっと苦しくて、息がうまく吸えない。頭がぽわぽわしている。

 わたしはだらしがないし、頭が悪い。だからなのだろう。自分とは対角線にある人に憧れる。

 変身した先生は、清潔感のある知的な大人の男性へと様変わりした——。

 超絶わたしの好みのタイプ!!!!!

 

 先生の隣に立っているマダム店長が、笑顔を向けた。


「ノシュア様の仕上がりはいかがでしょう?」

「ま、まま、まあまあですね。元がアレなので、こんなもんじゃないかな」


 マダム店長は、今度は先生に話を振った。


「ノアナ様、とびきりかわいくなりましたね。とっても素敵ですわ」

「まあまあだな」

「なんだとぉ! かわいくなったって言ってよ!」

「君だって、まあまあだと言ったではないか」

「真似しないでください! あの……わたし、本当に、まあまあですか……?」


(なにを聞いているの、わたしは! でも、気になるんだもん!)


 スタッフがかわいいと褒めてくれたけれど、それでは足りない。先生が変身したわたしをどう思っているのか、本音を知りたい。


 わたしの近くにはハルベリーとマーサがいるし、先生の真横にはマダム店長がいる。店内にはスタッフ三人と数人の客がいる。

 なのに、誰もが口を閉ざし、呼吸を押し静まらせている。まるで『赤ちゃんが寝ています。無音にご協力を』の札が立っていて、みんなが音を立てずにいるかのよう。


 先生は眉根を寄せると、まごついた口調で言った。

 

「なんというか、その……ワンピースが、似合っている」

「うん」

「上着も、似合っている」

「うん」

「髪も、いい感じだ」

「うん」

「肌が、ツヤツヤだ」

「うん」

「つまり……全体的に、いい感じだ」

「うん?」

「結果的に、いいと思う」

「んん?」


 痺れを切らしたらしいマダム店長が、にこやかな微笑を顔に張りつけたまま、尖った声で尋ねた。


「ノシュア様、曖昧な言葉では伝わりません。かわいい。普通。かわいくない。三択でお答えください」

「答えないとダメか」

「はい。お答えにならないのはお嬢様に失礼です」

「そ、そうだな……かわいいと、思う……」

「ノアナさん。ノシュア様は、かっこいい。普通。ダサい。どれですか?」

「わたしにも聞くのっ⁉︎」

「ノシュア様も知りたいと思いますわ」

「……かっこいいです……好みの顔です」


(わわっ! 言わなくてもいいことまで言っちゃった。わたしのバカっ!)


 店内に拍手が鳴り響く。


「ノアナちゃん、おめでとうー! お幸せに」

「結婚式のドレス選び。私に担当させてください!」


 満面の笑顔のハルベリーとマーサ。

 絶対に勘違いしている。かっこいいとか好みの顔だとか言ったけれど、好きとかそういうことではないから!

 

「ノアナ。店を出よう」

「はいっ!」


 わたしと先生は、駆け足で店を出た。



 ◇◇◇



「とんでもない目に遭ったー!」

「まったくだ」


 街を歩きながらわたしと先生は緊張を解き、深々と息を吐く。


「先生、誤解しないでくださいね。かっこいいと言ったのは、前と比べてマシになったっていう意味で、好みの顔だと言ったのは……もにゃもにゃですから」

「もにゃもにゃとはなんだ?」

「ノアナ語で、秘密っていう意味です」

「便利な言葉だな。それなら私も、ノアナをかわいいと言ったのはもにゃもにゃだ。だが、これだけは言っておこう。ゲロッチョTシャツは部屋着にしたほうがいい」

「そう、そこっ! なんで外国語の意味、教えてくれなかったの⁉︎ 超恥ずかしかった!」

「ゲロッチョ愛好家なのかと思って」

「ゲロッチョってなんですか⁉︎ 意味不明!」


 ゲロッチョってなんなの? とぶつくさこぼすわたしに先生は「ノアナの顔はゲロッチョみたいだな、という使い方をするんじゃないのか?」と、適当すぎる嫌味を言ってきた。

 先生のお腹に軽くパンチする。

 先生はかっこよく変身しても、嫌味な性格であることに変わりはない。そのことにホッとする自分がいる。こういう会話が、きっと、わたしたちには合っている。

 

「お腹が空きました。お昼にした……」

「危ない!」


 背後から子供の甲高い声が聞こえたかと思うと、いきなり手を引っ張られた。

 五歳ぐらいの男の子が、わたしの真横を走り過ぎていった。

 先生が手を引いてくれなかったら、ぶつかっていただろう。


「先生、ありがとうござ……」


 手を引っ張られた反動で、体の重心が横に傾き、よろけてしまった。転びそうになるわたしを、受け止めてくれた先生。

 顔に当たっているのは、先生の胸。背中に感じるのは、先生の手。

 つまりわたしは……先生の胸にすっぽりとおさまっている。

 心臓がバクバクして、口から飛び出してしまいそう!

 ドキドキしてしまい舞い上がっているわたしとは違って、先生は普段と変わらない声音でそっけなく言った。

 

「君に五センチのヒールは無理だ。転ぶのが目に見えている」

「むむっ!」


 胸のドキドキが怒りに変わり、先生の胸を押しやる。


「どんな靴を履こうが、先生には関係ないでしょう!」

「関係なくはない。隣を歩いているのだから。君はぺたんこ靴を愛用しているのだから、ハイヒールに慣れていない」


 先生は右腕を曲げた。


「私の腕を掴みなさい。そうすれば、転ばなくてすむ。それと、足が痛くなったらすぐに言いなさい。新品は靴擦れを起こしやすい」


 胸のドキドキが舞い戻ってくる。唇を噛んで、甘い疼きに耐える。

 わたしは、わかってしまった。いや、本当はもっと前からわかっていた。でも、自惚れているような気がして自粛していた。

 先生は嫌味だけど、優しい。その優しさは全世界に向けられた博愛的なものではなく、わたしに向けられている。先生は、わたしを大切にしてくれる。生徒としてではなく、お試しとして――。

 

 わたしはためらいながらも、先生の腕に手を伸ばした。

 先生は長い脚がもったいないぐらいの、ゆっくりとした速度で歩いてくれた。生まれて初めてハイヒールを履いたわたしには、その速度はちょうどよかった。

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