第24話 お試し妻は大変!
「いらっしゃいま……ありゃま!」
料理を運んでいた店員が目を丸くした。
ふっくらとした体型のこの店員は、わたしが少し前まで住んでいた集合アパートの同じ階のおばちゃん。母が病気になったときとても心配してくれて、毎日おかずのお裾分けをしてくれた。
「もしかして、ノアナちゃんかい⁉︎」
「はい」
「あららららっ! どうしたの、その頭! かわいくなったじゃないの。それに綺麗な洋服を着て。宝くじでも当たったのかい⁉︎」
「そういうのじゃないんですけど……」
おばちゃんはなにかに気づいたようにハッと息を飲んだ。その視線の先は、先生の腕を掴んでいるわたしの手に向けられている。
慌てて手を離すと、顔の前で両手を振った。
「違うんです! そういうのじゃなくて……」
「うちのとこも年が離れていてねぇ。周りから反対されたのよ。でも今でも仲良くやっている。年の離れた男だからっておばちゃんは反対しないよ」
「いや、あの……」
おばちゃんはどんぶりを片手で持つと、空いた手を頬に当てた。頬がうっすらと染まっている。
「はぁぁぁー、かっこいいねぇ。顔がいいし、足は長いし、育ちの良さそうな雰囲気だし。間違ってもここら辺にはいないタイプだ。ノアナちゃん、素敵な彼氏を見つけたんだねぇ。そのお洋服、彼氏に買ってもらったのかい? いいねぇ」
おばちゃんはわたしの後ろにいる先生をチラっと見ては、照れている。
おばちゃんに先生のことをどう紹介したらいいものか、迷う。
おばちゃんは親切な人だけれど、口が軽いし、声がデカい。今もおばちゃんの声が狭い店に響いて、客たちが興味津々にこちらを見ている。
学校の先生だと紹介したその噂が、ラテルナお婆ちゃんやレマー爺さんの耳に入ったら大変だ。ラテルナお婆ちゃんなら「あの先生と仲良くやっているようだね。財布を射止めることに成功したようだ。じゃあ、アパートの改築費用を……」そう言い出しかねないし、レマー爺さんなら「教師と校外で会うとはふしだらな! わしが見張ってやらねば!」と、いらないお節介心を燃やす可能性がある。
ここは話を逸らすしかない。
「おばちゃん、お腹空いた! ハンバーグ食べたい!!」
「ああ、そうだね。席に案内するよ」
おばちゃんは麺の入ったどんぶりを男性客の前に置くと、壁際の席に案内してくれた。
若い女性店員が、すぐさまお冷やを持ってくる。
「ミリーって言います。メニューが決まったら、ミリーって呼んでください。私が注文を取りにきます」
「ありがとう。もう決まってるんだ。わたしはハンバーグ定食。先生は雑炊でいい?」
「ああ」
ミリーの愛想のいい笑顔が固まった。
「先生? 彼氏じゃないの?」
「うん。おばちゃんの勘違いだよ」
「じゃあ、あの……私にもチャンスありってことで……」
「ん?」
ミリーは意味ありげな含み笑いをすると、厨房に下がった。
(チャンスありって……)
店内の様子が変わったことに気づく。
店に入ってきたとき。客たちは食べることに熱心で、おしゃべりをしている人はあまりいなかった。
でも今は、違う。店内がざわついている。おしゃべりをしている客のほとんどは女性。そしてその視線は、先生に集まっている。
なにを話しているのか意識を向けると、隣の席の女性二人の会話が耳に入ってきた。
「彼氏じゃないって!」
「だよね。年が離れているもん。兄妹にしては全然似ていないし、親戚とか?」
「親戚とか知人とか、そんなオチだよ。だって、食堂だよ。デートで来る場所じゃない」
「だよね! どうしようどうしよう。めっちゃかっこいいんだけど! 超好みのタイプ!」
「声、かけてみようか?」
「ねぇ、遊びに誘っちゃう?」
遊びに誘う⁉︎
飲んでいた水が気管支に入ってしまい、激しくむせる。
(マダム店長が、女性が寄ってきて大変ですものね。なんて話していたけれど、本当だった!!)
隣の女性客がタイミングを見計らうように、こちらをチラチラ見てくる。どうしよう……という声が聞こえてくるけれど、わたしも言いたい。
どうしようどうしよう! 派手な格好をした、いかにも夜のお仕事をしていますというお姉様方の遊びに先生が誘われてしまう! どんな遊びなのか想像できないけれど、危険なにおいがする!!
「あの……」
「お待たせしました」
紫色のタイトなワンピースを着たお姉様がこちらに身を乗り出したと同時に、ミリーが雑炊とハンバーグ定食を運んできてくれた。
助かったと、胸を撫で下ろす。
ミリーはピンク色のメモ紙を、スッと、雑炊のお椀の近くに置いた。
ミリーは先生に向かってウインクし、他のテーブルに注文を取りに行った。
先生は肩肘をついて、壁に貼ってある変色したポスターを見ている。気がついていないようなので、教えてあげる。
「ミリーが紙を置いて行きましたよ。ウインクしていた」
先生はため息をこぼすと、ピンク色のメモ紙には目をくれず、雑炊を食べ始めた。
メモ紙になにが書いてあるのか気になる。先生が見ないならわたしが……、手を伸ばすと、なぜか一瞬にして消えた。
「えっ?」
「気にしなくていい」
「魔法でポケットに入れたの?」
「闇に葬った」
「闇⁉︎」
スリットの入ったロングドレスを着ている隣のお姉様が「うちらも連絡先書いて渡しちゃおうか?」と言ったのが聞こえた。
(あ、もしかして、ミリーは連絡先を書いたの⁉︎)
どうしよう! 先生が狙われている!! 呑気にハンバーグを食べている場合じゃない! いや、お昼を食べに来たのだからハンバーグを食べるのが正解なのだけれど、この大衆食堂は貧乏人の住む北区に近い。お金に飢えた女性たちの目の前に、高級な服を着た知的イケメンが現れたのだ。玉の輿願望のある肉食女子たちが狙うのは当然のこと。わたしはお試し妻として、お試し夫を守らなければならない。お試し夫が肉食女子と危険な遊びに行くのを、指を咥えて見ているわけにはいかない!!
でも、どうやって肉食女子を追い払おう?
まとまらない考えで頭をいっぱいにしていると、先生は雑炊を食べ終わっていた。わたしは考えるのに夢中になってしまって、フォークを動かすのを止めていた。ハンバーグが半分、残っている。
隣の席のスリット女性が、声をかけてきた。
「突然、すみません。今日はお休みなんですか?」
「そうです! でももう帰ります!!」
先生の代わりにわたしが答える。
貧乏人にハンバーグを残すという選択肢はない。わたしはハンバーグを口の中いっぱいに押し込めると、席を立った。
「しぇんしぇ!! 帰りまほっ!!」
どんぐりで両頬がふくらんだリスみたいに、わたしの両頬もハンバーグでパンパン。
先生は、プッと吹きだした。
「モゴモゴ。おばしゃん、おかぇけぇ!」
「ん? なんだい?」
「モゴモゴ。おかぇけぇ!」
「ノアナちゃん。お買い物に行くのかい?」
「モゴモゴ。ほうじゃなくてぇ!」
口内を占領しているハンバーグのせいでうまく話せない。
あたふたしていると、先生が「お会計をお願いしたいそうだ」と通訳してくれた。
先生のおかげで無事に会計を終え、急いで店を離れる。外に出て三十歩ほど歩いたところで、後ろを振り返る。誰もついてきていない。わたしはおでこに浮いた汗を拭った。
「もっとゆっくりハンバーグが食べたかったぁ」
「ゆっくり食べてよかったのに。遊びに誘われても断るのだから」
「聞こえていたんだ。あーぁ、先生のお試し妻って大変!」
先生はなぜか楽しそうに笑っている。お試し妻の苦労も知らずに呑気なものだ。
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