第34話 残忍な瞳に宿る特殊な力

 学校内外を探したけれど、先生は見つからなかった。たまたま廊下で校長先生と会ったので聞いてみると、先生は体調不良で早退したとのこと。


「やっぱり具合が悪かったんだ。だから、わたしのことを助けてくれなかったんだ」


 先生はわたしのことを見捨てたわけでも、ルキーマからのプロポーズに無関心だったわけでもない。体調が悪かったから、反応できなかっただけ。

 そう思うことにして、五組の教室に戻る。

 教室に入った途端、ルキーマが駆け寄ってきた。


「ノアナ。どこに行っていたの? 姿がなくて寂しかったよ。一緒に帰ろう」


 ルキーマが目を合わせてきた。彼の榛色の瞳が視界の中心に入った瞬間、脳がグラっと揺れたような衝撃が走る。


「わたし、ひとりで帰る!!」


 急いで鞄を持って、昇降口へと走る。

 自転車の鍵を外していると、背後から声をかけられた。


「それが君の自転車なの? 古いし、チェーンが錆びている。僕が新しいのを買ってあげる。ノアナは未来の妻だからね」


 ルキーマはわたしの手から自転車を奪った。


「なにするの!」

「持ってあげる」

「乗って帰るから、返して!」

「ねぇ、ノアナ。もしかして僕を避けている? ノアナのことを大切に思っているのに、そういう態度をとられると傷つくよ。君のことを知りたいし、僕のことも知ってほしい。自転車を奪うやり方をしたことは謝る。でもノアナと話したいんだ」


 しつこくて強引な皇子様が謝罪したことに、まごつく。

 隣を歩くルキーマを、チラッと見上げる。

 彼は体格がいい。骨格がしっかりしていて、制服の上からでも筋肉が鍛えてあるのがわかる。筋肉大好きミーナだけじゃなく、他の女子生徒も「逞しくて素敵!」とはしゃいでいた。

 けれど体つきの勇ましさに反して、笑顔は親しげで、声は穏やか。瞳はやさしさがとろりととけているかのように柔らかい。

 

(プロポーズを受けるつもりはないけど、避けたらかわいそうだよね。ここはちゃんと話し合って、花嫁になる気はないって言おう)


 わたしが警戒心を解いたことが伝わったのか、ルキーマは嬉しそうに笑った。


「ストレンジェフって料理、知っている?」

「ううん、知らない」

「燻製にした子羊の肉に激辛香辛料をつけて食べる、サウリ国の伝統料理なんだ。僕の一番好きな料理を、いつかノアナにも食べさせてあげたいな。あ、ごめん。肝心なことを聞くのを忘れていた。肉は食べられる? それと辛いものは大丈夫?」

「うん。どちらも好きだよ」


 食べ物の話に自然と頬が緩む。

 わたしたちはしばらく他愛もない話をした。ルキーマはサウリ国のことを話し、わたしは学校のことを教えてあげた。

 友達のような会話が心地良く、わたしはすっかり元気を取り戻して、笑顔で話せるようになった。

 ルキーマが「ねぇ、ノアナ……」と呼びかけた。その声は今までより低い音程で、穏やかさが消えていた。

 

「僕を見て」

「ん?」

「大切な話をしたいんだ。僕の目を見て」


 ルキーマの押していた自転車の、カラカラという車輪の音が止まった。

 真面目な瞳がわたしを見下ろし、わたしは戸惑いながらもルキーマを見上げた。吸引力のある彼の瞳が、視界の中心に据えられる。

 グラリ——。

 頭を強打してしまったかのように、意識が揺れる。

 周囲の音が消え、ルキーマの声だけが耳に響く。


「僕とノアナは夫婦になるのだから、なにひとつ隠してはいけない。ノアナが僕に隠し事をしたら、夫婦仲に悪影響を及ぼしてしまう。信頼関係を築くために、僕たちの仲を深めよう。ノアナは僕の質問に正直に答えて。知っていることすべてを正直に僕に話すこと。それが妻の義務であり、ノアナの幸せにつながる。ここまでは理解できた?」

「なんとなく……」

 

 発した自分の声が、遠い。


「なんとなく? わかりやすい言葉を使ったつもりなんだけど。君って相当にバカなんだな。僕の質問に、ノアナは正直に答えろ。これならわかった?」

「うん。わかった」

「なにがわかった?」

「ルキーマに正直に話す」

「そういうこと」


 ルキーマは満足げに息を吐いた。


 ルキーマの榛色の瞳は残忍で、命じる声は冷たい。目を逸らしたい。でも逸らしてはいけない。だって、わたしはルキーマと夫婦になるのだから。なにひとつ隠すことなくすべてを、夫であるルキーマと共有しなくてはならない。知っていることを全部話さなくてはいけない。それがわたしの、幸せ。


「そうだな。まずは、簡単な質問をしよう。好きな人はいる?」

「うん。ユガリノス先生」

「は? 本当に? へぇー、意外だな。でも無理だと思うよ。君みたいなバカ、相手にされないんじゃないかな。顔はかわいいけどさ、幼いんだよな。チビだし、色気がないし。……隠し事をしないで正直に話すというルールに沿って、僕も正直に言ってみたんだけど。怒った?」


 ルキーマの瞳を見上げたまま、わたしは首を横に振った。そんなわたしにルキーマは口角を上げた。その微笑は残酷な心から出たものに思えた。けれどわたしは幸せを感じた。夫となる人が正直に話してくれて嬉しい。


「ユガリノス先生の天職がなにか知っている?」

「知らない」

「ひとつも?」

「うん」

「先生が好きなら、天職ぐらい聞いておけよ。君って役立たずだな」

「ごめんなさい……」

「俺の調べたところによると、天職は数学教師。だがユガリノスグループ会長の息子なのだから、権力と金で天職結果を書き直させることはできる。俺は、先生の真の天職は魔法使いだと睨んでいる。魔法使いなら姿を変えられる。目の色や髪の色を変えることもできる」


(あ、そういえば……。天職、ひとつだけ知っている)


 先生は魔法使い。だけど、誰にも話してはいけない。なぜなら、引っ越し荷物を魔法で片付けてくれた交換条件として、先生が魔法使いであることを秘密にすると約束したから。

 でも、ルキーマには話してもいいだろう。だって、なにひとつ隠すことなく話さないと夫婦仲が悪くなってしまう。役立たずな妻ではいけない。夫の役に立たないと嫌われてしまう。

 ユガリノス先生が魔法使いであると話すことは、きっと、ルキーマの役に立つ。

 

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