第32話 砂漠の国の皇子からの求婚

 新学期が始まって、一週間が過ぎた。

 今日は朝から最悪だった。まず、目覚まし時計が壊れて鳴らなかった。一時間も寝坊してしまい、先生に当たり散らした。


「どうして起こしてくれなかったの!」

「何度も起こした」

「でも起きてない!! 魔法で起こしてくれたらよかったのに!」

「ノアナ……」


 先生は身支度を終え、出勤する直前だった。玄関ロビーでわたしたちは向き合った。

 わたしは唇を尖らせ、先生は心なしか沈んだ顔をしていた。


「今日は休んだらどうだ?」

「なんで? だって元気だよ。風邪を引いていないのに、休んだらズル休みだよ。わたし、優等生になるって決めたのに」

「そう、だな……」


 先生は勝手に会話を終わらせて、学校に行ってしまった。

 わたしは急いで食堂に入ると、パンを齧った。ウインナーをくわえながら、外に出る。すると自転車が濡れていた。昨夜、雨が降ったらしい。


「時間がないのに! もぉ!!」


 タオルを取りに家の中に戻る時間はない。制服の袖でグイッとサドルを拭くと、冷たさの残るサドルにまたがった。

 全力で自転車を漕ぐ。

 あまりにも全速力だったものだから、土道にできた大きな水たまりを避けることができずに突っ込んでしまった。派手な水しぶきがあがり、靴下とスカートがびしょ濡れになる。


「最悪すぎるっ!!」


 今までのわたしなら、寝坊した時点で時間通りに学校に行くことを諦めたし、制服が濡れたら、間違いなく学校をサボった。

 けれど、わたしは心を入れ替えたのだ。優等生になるために、歯を食いしばって、ペダルを踏む足に力を入れる。


 わたしは結局、体験実習レポートは提出しなかった。職員室に行ったら、先生と才女フランソワが話していた。先生は、フランソワの体験実習レポートを誉めていた。それを見たら、日記もどきの駄文レポートを提出するのが恥ずかしくなって、紙をくしゃくしゃに丸め、ゴミ箱に捨てた。


 課題を提出しなかったわたしは、もはや優等生とは言えない。けれど劣等生になりたくないという意地で、懸命に自転車を漕ぐ。

 そのおかげで、時間ギリギリに学校に着いた。

 急いで自転車を置き場に突っ込むと、隣にある自転車が倒れた。それはさらに隣の自転車を倒し……ドミノのように次々に倒れていく自転車。


「うぎゃあーーっ!!」


 今日はなんて最低最悪な日だろう! 悪魔が「ノアナ・シュリミアに意地悪してやる」と、呪い玉を放ったに違いない。

 わたしは自転車を直すと、半泣きになりながら二年五組の教室へと走った。

 ——七分の遅刻。

 二年生になって、初めて遅刻をした。

 先生を見ると、その横に知らない男子がいた。褐色の肌をした顔立ちの濃い少年は、わたしを見てにっこりと微笑んだ。


「遅れて来たあなたのために、もう一度自己紹介をします。僕の名前は、ルキーマ・イルマニ。砂漠の国、サウリ国から来ました。第七皇子です。どうぞよろしくお願いします」

「皇子様ーーっ⁉︎」


 ルキーマ・イルマニは日差しの強い砂漠の民らしい褐色の肌と、歯並びの綺麗な白い歯。短めの茶髪。凛々しく太い眉に大きな目。高い鷲鼻をしている。

 リクシア国ではお目にかかれない濃い顔立ち。

 肩幅はがっしりとしていて、勇ましい立ち姿は皇子らしい貫禄さが漂う。

 筋肉フェチのミーナが、瞳をきらきらと輝かせて挙手した。


「質問があります! サウリ国の第七皇子とあろう方が、なぜ五組なのですか?」

「学力からすると一組だそうですが、僕が無理を言って、五組にしてもらったのです」


 クラス全員の顔に、(どうして成績不良者のクラスに?)という疑問が張りつく。

 ルキーマははにかんだ。

 

「サウリ国では、重要な物事を決める際、占い師に相談します。僕は王宮専属占い師に、結婚相手の女性を占ってもらいました。すると、花嫁はリクシア国にいると言われたのです。このクラスに、僕の未来の花嫁がいます」

「きゃあぁぁぁーーっ!!」


 女子たちの黄色い悲鳴があがる。どの顔も、自分こそ運命の花嫁では⁉︎ という期待で輝いている。

 ルーチェも、うっとりとしたため息をついた。


「恋愛小説みたいね。砂漠の国の皇子が、花嫁探しに来たなんて! 間違いない、花嫁はあたし!! ……って、ノアナ、どうしたの? おとなしいじゃん」

「え? あぁ。だって、わたしじゃないと思うし」

「なんでそう思うの? お金持ちになりたいんでしょう? サウリ国ってダイヤモンドが採れる国じゃん。そこの第七皇子と結婚したら、一生お金に困らないよ」

 

 お金持ちになりたい——。その夢は叶っている。わたしのクローゼットは一流ブランド品であふれている。

 ユガリノス先生が、わたしの夢を叶えてくれた。


 ルーチェがわたしの腕をつつく。


「ノアナ!!」

「うん?」

「横っ!!」

 

 泥水色に染まった靴下を脱いでいたので、気づかなかった。

 ルキーマがわたしの真横に立っている。目が合うと彼は破顔し、恭しく片膝をついた。


「まさか、こんなにかわいらしい方とは! 占い師から、花嫁の名前を聞いています。僕の運命の花嫁は──ノアナ・シュリミア。あなたです。一生大切にします。愛を誓いますから、どうか僕と結婚してください!」


 割れんばかりの絶叫があがって、空気が震える。


「なんでノアナ⁉︎ 信じられないっ!!」

「超玉の輿じゃん!!」

「あたしが花嫁になりたかったーー!!」


 二年五組の教室は一瞬にして、興奮と驚愕と好奇心と嫉妬で入り乱れた。

 わたしは動揺し、先生を見た。視線をスッと外した先生。

 ルキーマはズボンのポケットから小箱を取り出すと、蓋を開いた。中にあったのは、巨大なダイヤモンドの指輪。


「愛する花嫁のために用意してきました」

「デカすぎっ!! 六十カラットぐらいあるんじゃない⁉︎」

「僕の愛の大きさを示してみました」


 興奮するルーチェに、ルキーマははにかみながら答えた。

 クラスメートたちから羨望の声があがる。けれど、わたしは泣きそうだった。


(先生、どうしてなにも言ってくれないの⁉︎)


 先生は遠巻きに見ているだけ。眉間に皺は寄せているものの、固く口を閉ざしている。

 手のひらがもぞもぞする。虫が這っているのかと思って見ると、手のひらに文字が浮かびあがった。

 魔法だ! 先生が魔法を使って、わたしに伝えようとしている!!


『真に受けるな。そいつは、ノアナを好きではない』


 緩みかけていた頬が、瞬時に凍りつく。

 わたしは欲しかった言葉は、これじゃない。


『君は私の妻だ。求婚を断りなさい』

『ダイヤモンドぐらい私が毎日買ってやる』

『ノアナが好きだ』


 こう言ってほしかった。

 転入生なんてどうでもいい。皇子に興味はない。ダイヤモンドよりも、先生の気持ちを知りたい。

 奥歯をぎりっと噛んで、胸の痛みに耐える。

 なにも言わないわたしに、ルキーマは柔らかく微笑んだ。


「プロポーズに感激して言葉にならないのですね。なんてかわいらしい人なのでしょう」

「あー……ノアナ、具合が悪いみたい。保健室に行こう」


 わたしの様子がおかしいことに、ルーチェが気づいてくれた。

 先生はいつの間にか教室から姿を消していた。


 先生はわたしを──助けてくれなかった……。



 

 

 

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