第三章 砂漠の皇子の求婚は波乱のはじまり

第26話 新学期の朝

 ピピピピピピピピピピピ…………。


 小鳥が機械的に鳴いている。

 いい夢をみているのだから、邪魔しないでほしい。よって、小鳥を抹殺することにする。

 わたしは目覚まし時計を掴むと、遠くに放り投げた。目覚まし時計は床に落ち、「ピッ」と短く鳴いて、静かになった。

 しばらくすると今度は、苛ついている男の声が降ってきた。


「ノアナ、起きなさい。朝だ」

「むにゃむにゃむにゃ。護衛のユガリノスだぁ。おはよー」

「なにを言っているんだ君は」


 甘い夢に浸かっていたい。まだ目覚めたくない。

 まどろみながら、説明する。


「夢を見たんだ。わたし、シュリミアグループのお嬢様。先生はわたしの護衛。先生はこう言ったの。『お嬢様は料理を黒焦げにしてしまう。でも俺はお嬢様の料理を食べるために、魔法で胃を強化した。お嬢様の手作り料理を食べたい。胃袋をお嬢様の愛情で満たしたい』って」

「随分と不健康な夢をみたものだな。魔法で胃を強化することに価値が見いだせない。食べたもので体は作られる。焦げたものを食べるということは、アクリルアミドを摂取するということ。アクリルアミドとは発がん性のある物質。夢の中の私は、早死を望んでいたのだろうか?」


 ぼふー! 先生ってば、頭が固いっ!! そこは話を合わせてよ。

 いじけたことを示すために、ブランケットを頭からすっぽりとかぶる。


「ロマンチックのカケラもないんだから。ふて寝しちゃう!」

「今日から新学期なんだぞ。初日から遅刻してどうする。さっさと起きなさい」

「まだ眠い。すぴー」

「昨夜は何時まで起きていたんだ? 遅くまで電気がついていたようだが……」

「二時でぇ〜す。ぐーぐー」

「二時⁉︎ そんな時間までなにをしていたんだ?」

「音楽を聴いていました。すーすー」

「ったく、君は遅刻の常習者だ。今日から二年生なのだから、心を入れ替えて、規則正しい生活を心がけなさい」

「はい。規則正しい生活を心がけます。夜中の二時に寝て、朝十時に起きます」

「…………」


 ブランケットが剥ぎ取られる。パチンという指鳴りがしたかと思うと、体がふわりと宙に浮いた。


「わわっ⁉︎」

「私の妻は甘やかすと図に乗るようだ。これからは厳しくいく」

「先生、下ろしてぇー!!」


 先生の魔法によって、空中をぷかぷかと浮く体。体のどこも地についていないというのは、恐怖心をもたらす。


「早寝早起きをして学校に遅刻しないと約束するなら、下ろしてあげよう」

「するするー! 約束するー!」

「この先一度も遅刻をしない。できるのか?」

「……それは無理。きゃあ〜っ!!」


 まるで見えないベルトコンベアーに乗せられてしまったかのように、体が勝手に流されていく。抵抗しようと手足をばたつかせたが、まったく効果がない。


「あーん! 待って待って。夢の中の先生、甘い言葉をくれて最高だった。もっと欲しい。甘い言葉をくださーい!」

「甘い言葉甘い言葉甘い言葉」

「違う違うっ!」

「私を夢に登場させるな。冷たいシャワーを浴びて目を覚ませ」


 吸い込まれるようにして、同室に設けられているシャワー室へと入っていく。パジャマが勝手に脱げ、バスタブにストンと体がおさまる。

 途端に、シャワーの雨が降ってきた。


「わっ! ちょっと冷たいけど、気持ちいい」


 魔法って、なんて素敵なんだろう。手を動かす必要がない。泡のついたスポンジが体を洗ってくれて、シャワー上がりの体は飛んできたバスタオルが拭いてくれて、自在に動くドライヤーが髪を乾かしてくれる。


「これからは厳しくいくって言ったけれど、先生って、なんだかんだいってわたしに甘いよね? えへへ。毎朝ベルトコンベアーの魔法を使ってくれるよう、お願いしちゃおうかな」


 先生は甘い言葉をくれないけれど、いっぱい甘やかしてくれる。

 夢の中の先生はかっこよかった。でも、現実の先生も……けっこう、好き。



 制服を着て、ツインテールに髪を結う。それから、鼻歌混じりに食堂へと降りる。

 先生は朝食を食べていた。 

 テーブルにはわたしの朝食も用意されていて、レーズンパンと目玉焼きとサラダがプレートに乗っている。プレートの脇には野菜たっぷりのスープ。

 黙々と食べている先生を見て、驚く。目の下にうっすらとした隈ができている。先ほどは寝起きのバタバタで気がつかなかった。

 

「どうしたの? 眠れなかったの?」


 先生は視線を上げると、力のない目でわたしを見た。考え事をしている最中らしい。

 けれどすぐに頭を軽く振り、席を立った。


「時間がないぞ。早く食べなさい」

「うん……。あのね、さっきの魔法素敵だね。毎朝、シャワー室に運んでほしいな」


 先生は皿を洗い始めた。返事をもらえなかったことに戸惑う。


(呆れられた?)


 甘やかしてくれるからって、調子に乗りすぎてしまった。わたしの悪い癖だ。


「あ、あのね! 嘘ウソ。ちゃんと自分で起きられるよ」

「そうだな。私の魔法に頼らずに、ひとりで起きなさい。ずっと、一緒にいられるとは限らないのだから……」

「えっ……」


 思いがけない言葉に、頭が真っ白になる。

 昨日、先生は「お試し夫婦を続けるか、やめるか。好きなほうを選んでいい。君の気持ちを尊重する」と言った。わたしは「続ける」と言った。

 だから、わたしがやめたいと言うまで、お試し夫婦を続けると思ったのに……。


「ずっと一緒にいられないって、どういうこと? なんで?」

 

 皿を洗い終わり、清潔で真っ白なフキンで皿を拭き、食器棚に片付けるまで、先生は口を開かなかった。

 わたしはおとなしく、言葉を待った。

 先生は声を押し出すようにして「君を不安にさせたくはないのだが……」と、前置きした。


「昨日、街にある人がいた。昨夜遅くその人が訪ねてきて話をした。それで、考えることができた」

「友達?」

「いや。……申し訳ないのだが、お試し夫婦、一旦終了にしないか?」


 シュッと、短く息を呑む。言葉を吐きだそうとしたのに、喉の筋肉が引き攣ってしまったのか、声が出ない。その代わりに、涙がポロッとこぼれた。


「うわぁ〜ん!」

「ノ、ノアナっ」


 一粒涙がこぼれたら、止まらなくなってしまった。泣きじゃくるわたしに先生は慌てふためき、お試し夫婦は終わりにしないと約束してくれた。けれど、どうして一旦終了にしたいと考えたのか、その理由は教えてくれなかった。


 


 

 


 

 


 

 

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