第27話 先生に嫌われたくない

 別荘から学校までは、自転車で四十分かかる。全速力で自転車を漕いだら、三十分で学校に着いた。


「疲れたぁ。でも、心を入れ替えたんだから。これからは遅刻しないぞ!」


 昇降口に入ると、下駄箱の前にルーチェがいた。大口を開けてあくびをしている。


「おはよう!」

「おは……んあっ⁉」


 ルーチェはわたしを見るや、手にしていた上履きをぽとりと落とした。


「ノアナ、どうしたの⁉︎ ホームルームの前に学校に来るだなんて、頭でもぶつけた? それとも、小指をタンスの角にぶつけた?」

「チッチ。心を入れ替えて、真面目ノアナになったのです」

「あぁ、食パンの角で頭をぶつけておかしくなったのね。かわいそうに。それよりも、その頭どうしたの? オシャレなゆるふわ髪になっちゃって。魔道具店で、かわいい髪型になれる道具を買ったの?」

「なんで魔道具店? おしゃれな美容室に行ったんだよ」

「だってノアナ。お金がもったいないからって、自分で髪を切っていたじゃん。ふ〜ん、おしゃれな美容室ねぇ……」


 ルーチェは訝しげに、わたしの頭から足先まで視線を何往復もさせた。


「なんか変。かわいくなっている」

「ふふふ。外見だけでなく、中身も変わったのです。これからは、優等生ノアナでいくっ!」

「ふわぁー。眠い。新学期ってかったるい」

「ルーチェ! わたしの意気込みを無視しないで!」


 朝起きたときはわたしも、新学期なんてダルイと思っていた。学校に行きたくないという怠け心があった。

 でも先生が「お試し夫婦を一旦終了にしたい」と口にしたことで、焦りが生まれた。

 先生は終わりにしたい理由を話さなかった。けれど、わたしはピンとくるものがあった。


(わがままで頭が悪くて主婦の才能がなくて手がかかるから、嫌になっちゃったのかな? お試し夫婦を続けてくれたのは、わたしの意思を尊重してくれたから? 先生は大金持ちだし、モテるもん。わたしじゃなくてもいいんだよね。でも、わたしは……先生がいいんだけど……)


 お試し妻なのだから料理や掃除を頑張ればいいのだろうけれど、わたしの主婦スキルではかえって、嫌われてしまう可能性が高い。

 わたしは先生の生徒。遅刻しないで学校に来て、校則を守って、目を開けて授業を受けて、宿題を忘れない。そうしたら先生はきっと、わたしを嫌いにならないはず。


「わたし、優等生になる!!」

「さぁて、面倒くさいけど、二年生の教室に行きますか」

「ルーチェ! 無視しないでっ!」


 慌てて上靴に履き替え、ルーチェを追う。

 他愛もない会話をしながら二階に着くと、廊下にある掲示板に人だかりができている。


「クラス発表だ! ルーチェ、見に行こう!」

「見なくても何組かわかるよ」

「まぁ、確かに。五組だよね」


 わたしたちの学校は、成績と進路によって一組から五組まで振り分けられる。

 一組は成績優秀者。二組は成績優良者。三組はスポーツ進路者。四組は専門能力者。五組は成績不良者。

 掲示板に貼られたクラス分けは案の定、わたしとルーチェ、ともに五組だった。担任は、ユガリノス先生。

 ルーチェは、あからさまな顔をして不満を口にした。


「あいつ。頭の悪い生徒を見下すのが好きだから、五組を担当するんだ」

「そうかなぁ?」

「絶対にそう。あんな性悪嫌味男じゃ、気分が上がらないよ。ねぇ、ノアナ。サボって、お菓子買いに行こうよ」

「ううん。ホームルームに出る。わたし、もうサボらない」

「えぇ?」


 わたしは遅刻とサボりの常習者。唐突な変化に、ルーチェはポカンと口を開けた。


「え? 本当に心を入れ替えたの?」

「ルーチェ、おはよう。俺、すごいんだぜ。四組になった!」


 ベルシュが、ふっくらと焼けたメロンパンのような笑顔で近づいてきた。

 わたしとルーチェとベルシュは、おバカ三人組。卒業するまで、三人揃って五組だと思っていたのに……。


「嘘でしょう! 学園長に賄賂を送ったの⁉︎」

「そんなことしないって。……え? 誰?」


 ベルシュの眼差しがわたしに向けられた途端、彼の瞳に困惑が浮かんだ。


「誰って、ノアナですけど」

「ノアナ⁉︎ なんか違くない⁉︎」

「あー、そうそう、変身したの。もう、ピンクブロッコリーとは言わせないぞ!」


 緩やかに波打つ艶々のピンク髪を、さらりと指で払う。

 ベルシュの目元が朱色に染まった。


「か、かか、か、髪型が変わると、変わるんだな……」

「まぁね。素敵な美容師さんに切ってもらったんだ。いいでしょう」

「だ、だだ、だな。今までざっくりした髪だったもんな。その……」

 

 ベルシュは、目を忙しなく泳がせた。


「どうしたの? 変だよ」

「な、なんていうか、あの。ノアナ。か、かわいくなった……痛っ!」


 後ろを通っていた背の高い人の腕が、ベルシュの背中に当たった。


「すまない」


 謝罪主は、ユガリノス先生。

 ベルシュは唖然とした表情で、パチパチと瞬きを繰り返した。


「あ、えっと、大丈夫です」

「あ、そうだ、先生! ベルシュが四組みたいなんですけれど、間違いですよね。学園長、ベルシュパン屋に買収されちゃったのかな?」


 わたしの質問に先生は「私がベルシュを四組に入れた」と、驚くべき返答をした。


「ベルシュは自分より点数の悪い生徒がいるからと安心して、勉強を怠っている。ベルシュには伸び代がある。四組は意欲的な生徒が多いから、彼らといることでやる気が出るだろう。ベルシュ、頑張りなさい」

「この声……。え? ユガリノス先生?」


 先生が立ち去ってすぐ、ルーチェがわたしの肩をバンバン叩いた。


「いて、いてて」

「え、なになに⁉︎ 今のイケメン、ユガリノス先生なのっ⁉︎ 大人の男の色気が漂っていて、マジやばいんですけどっ!!」

「あ……そうか。先生が変身したこと、知らないんだよね」


 先生は、暗黒の呪いとモジャ髪とダサイ黒縁眼鏡から解き放たれた。必然的に、ユガリノス先生かっこいいと、掲示板前にいる生徒たちがはしゃぎだす。

 これはヤバい。噂が広まって放課後までには、全生徒がユガリノス先生に惚れてしまう。早急に対策を打たなくちゃ!!

 先生のお試し妻って、本当に大変。

 







 


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