第18話 一緒にいて楽しいって、思うとき、ある

 食卓に着く。先生もわたしと一緒に朝食を食べるようだ。でも量が少ない。


「このポタージュ、とっても美味しいです。また作ってほしいです」

「気に入ってもらえて良かった。ニンジンポタージュだ」

「え……。ニンジンが苦手だって、言ったのに?」

「だからこそ、食べられるよう、工夫したのだが」


 工夫してくれてありがとうございます。美味しいです。


 そう、感謝を述べようとして……。ひらめく。引きこもりの先生を街に連れだす、とっておきの作戦を思いついた。

 名付けて——。


 嫌がらせしてほしくないなら、わたしの言うことを聞いてちょうだい作戦!!


 火種がちっともない怒りを、強制的に爆発させる。


「先生ってば、最低! 工夫したって、ニンジンはニンジンなんだからっ! わたしを騙してニンジンを食べさせるなんて、人としてどうかと思う。わたしの舌にニンジンをふれさせた責任をとってください。むふー!!」

「いきなりどうした? とっても美味しいです。また作ってほしいです。そう言って、にこにこと飲んでいたではないか」

「嘘の笑顔だから! ニンジンポタージュ美味しくないからっ!」

「だったら無理に飲む必要はない」


 先生がわたしのスープカップを下げようとしたので、慌てて取り返す。


「全部飲む! 美味しくないけど、鍋に残っている分も全部、わたしが飲む!」


 先生の不機嫌顔が変化した。表情筋が和らぐという、変化。


「ふっ。美味しいのか、美味しくないのか。どっちなんだ?」


 先生が笑った! 我慢できないというように、声をあげて。

 先生の表情筋と心は死んでいなかった。凍傷にかかって壊死しているわけでもなかった。そのことにわたしの心臓はびっくりしてしまって、ドクンドクンと激しく鳴り響く。


「あ、ああ、あああああ……あの、あのあの、わたし、本気で怒っているんですからね! だから、嫌がらせをしちゃう。台拭きで床を拭いて、その台拭きでお皿も拭いちゃうんだから!」

「やめてくれ。衛生的に大問題だ」

「やめてほしい?」

「ああ」

「それなら……」


 深呼吸を繰り返す。こうでもしないと、動悸が収まらない。


(わたしの心臓、どうしちゃったのかな? なんでこんなにドキドキしているんだろう?)


 自身の反応に戸惑いつつ、続きを口にする。


「街にお出かけしましょう! お気に入りの食堂があるんです。そこで先生にお昼をご馳走してあげます。お仕事と家事を頑張ってくれている先生のために、お礼がしたいんです。感謝を言うだけじゃ足りない。行動でも感謝を示したいんです」

「ノアナ……」

「お出かけしてくれないなら、嫌がらせしちゃうぞ!」


 活動を停止してしまった先生。口をポカンと開け、指一本動かさない。


「どうしたの?」

「君は、その……私のことが嫌いなのだろう? 街で誰かに見られてもいいのか?」

「そこはうまく誤魔化します。たまたま会ったんだって。それに……」


 気持ちにピッタリと当てはまる言葉を、探す。


「先生のこと、嫌いじゃないよ。たまに、たまにね。一緒にいて楽しいなって、思うとき、ある」

「…………」

「街に行く? それともやっぱりダメ?」

「あ、ああ……台拭きはテーブルを拭くためにある。床や皿を拭かれたのでは困るから、行くとしよう」

「やったぁ! 街に行く作戦、大成功!!」


 るんるん気分でニンジンポタージュを飲み干す。鍋に残っているポタージュも全部飲んだ。お腹がたぷたぷ。美味しいからといって、調子に乗って飲みすぎた。


「あれ? そういえば、先生に聞こうと思っていたことがあったんだけど……。なんだっけ?」


 気になることがあったはずなのに、忘れてしまった。




 部屋着からオシャレなファッションへと着替えてエントランスに降りると、信じがたい光景が目に飛び込んできた。


「先生……その服で行くの?」

「ノアナ……その服で行くのか?」


 街に出かけるというのに、先生は学校に行くときとまったく同じ黒服。この人はやはり、暗黒の呪いにかかっているらしい。


「先生のクローゼットって、黒い服しかないんですか?」

「そういうわけではないが、黒が落ち着くのだ」

「はっきり言って、ダサいです。ダサい男の頂点に立ちたいんですか?」

「私もはっきりと言わせてもらうが、君の洋服のセンスも相当にダサい。ヘソが出ているし、肩も出ているし、脚も出ている。短パンの生地が破れているのはなぜだ?」

「これが十代のオシャレってものです」

「可哀想に。短パンの生地が足りなくなって、破って誤魔化しているのだな」

「どんな誤魔化し方ですかっ⁉︎」


 十代の瑞々しいセンスを、おじさんは理解できない。おじさんの萎びたセンスを、十代は理解できない。

 世代間の溝は、海溝よりも深い。


「先生ってお金持ちのくせに、服装のレパートリーが貧弱ですね。さすがです。同じ服を毎日着ればいいんだから、悩まなくていいですね」

「そうだな」

「嫌味を言ったんですけど。先生って、服装も顔も髪型もダサいですけれど、思考もダサいです」

「思考のダサい私から言わせてもらうと、君のTシャツの色。どうして蛍光緑なんだ?」

「えへへ、オシャレでしょう」

「毒ガエルみたいだ」

「ピキピキ……。マジでわたしを怒らせましたね。先生ってば、女心が全然わかっていない! 性格も外見も改造したほうがいいです! ……ん? 改造?」

 

 何気なく発した言葉に、ハッとする。先生もまた、息を飲んだ。


「そうだ! 先生をイケおじに改造すればいいんだ!!」

「そうだ! ノアナに服を買ってあげればいいんだ!!」


 同時に叫んだわたしたち。顔を見合わせる。


「先生、なんて言いました?」

「君こそ、なんて言った?」

「内緒です。街に着いてからのお楽しみです。先生は?」

「私も内緒だ。街に行くぞ!」

「はいっ!!」


 別荘から街までは、自転車で三十分かかる。けれど、先生の移動魔法を使えば楽ちん。

 先生が指をパチンと鳴らせば、風景がサッと変わって、次の瞬間には街中に立っていた。

 街行く人々の服はパステル色が多い。今年はパステルカラーが流行らしい。

 先生の黒服も、わたしの蛍光緑のTシャツも論外であることを知る。


「まあ、いいや。個性は大切にね。先生、洋服を買いに行きましょう。わたしのよく行く……」

「ここに入るぞ」

「えぇーーっ⁉︎」


 激安服屋に行くつもりだったのに、先生はセレブ御用達の最高級ブティックに颯爽と入っていった。



 

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