第14話 妻体験サービス実施中

 春休みになって三週間が過ぎた。

 妻体験実習は、自分の衣類を洗濯して畳むという段階に進んでいる。あとはわたしの趣味で、庭いじりをしている。

 簡単だし、楽ちんだ。でも思うのだ。


(妻は妻でも、これって単なるグータラ妻なんじゃ……)

 

 食事作り。食器洗い。買い物。ゴミ出し。床掃除。玄関掃除。トイレ掃除。お風呂洗い。お風呂のお湯張り。シーツの洗濯。窓拭き。電球交換。

 全部、先生がしている。しかも魔法を使わず。先生の俊敏さと家事能力の高さを見せつけられる毎日。

 あと一週間で春休みが終わってしまう。これでは、わたしの家事能力は低いまま。この先素敵な男性と恋に落ちたときのために、妻スキルを上げたいのに!

 こうなったら自主的に行動するしかない。


 わたしはエプロンをすると、腕まくりをし、意気込みを声高らかに宣言する。


「今日の夕食はわたしが作るぞ! 妻の道を極めようとする者の本気を見せてやる!!」


 ラテルナお婆ちゃんは、わたしの料理を「独創的すぎる。いまだかつて、こんなまずい味に出会ったことがない。あたしが早死にしたら、おまえさんのせいだ」と、こき下ろしたことがある。


「でもサラダなら大丈夫。野菜を切って、市販のドレッシングをかけるだけだもん。失敗のしようがないよ」


 鼻歌を歌いながら、レタスをちぎり、トマトを切る。それから冷蔵庫と食品庫を探したが、ドレッシングが見当たらない。


「先生ってば、まさか、手作りドレッシング派? もー、凝り性なんだからぁ」 


 仕方がないので、唐辛子スパイスをたっぷりとかけてみる。

 先生が帰ってくるまでにまだ時間があるので、スープを作った。さらには魚も焼いてみた。


「わわっ、すごい! 豪華な夕食ができちゃった。わたしってば、有能な妻」


 料理を作り終えた満足感に浸っていると、玄関扉が開閉する音がした。

 先生のご帰宅だ。良妻であるわたしはパタパタとルームシューズを鳴らして、玄関まで出迎えに走る。


「おかえりなさい! ……どうしたんですか? 変な顔をしていますけれど、学校で嫌なことでもあったんですか?」

「焦げた臭いがする……」

「どこかで火事でもあったかな? それよりも先生! わたしね、夕食を作ってみたんだよ」


 興奮するあまり、つい先生の腕を掴んでしまった。まるでラブラブの新婚夫婦のように、ごく自然に。

 先生は驚き、ハッと息を飲んだ。

 わたしは慌てて引っ込めるのは不自然な気がして、この行動の説明を試みる。


「妻体験サービス実施中です!」

「なるほど」

「それよりも夕食を作ったんだよ。見て見て!」


 先生の腕を引っ張って、食堂に連れていく。

 テーブルの上には、ノアナお手製料理が並んでいる。

 黒い魚。真っ赤なサラダ。ギラギラと濁ったスープ。


「じゃじゃ〜ん! 心を込めて作ってみました。すごいでしょう?」

「あ……」


 喜んでくれるだろう。褒めてくれるだろう。そんな期待を込めた視線で、先生を見上げる。

 先生は頬をピクっと痙攣させ、口ごもった。


「あ、ええと、その、だな……」

「はい」

「焦げた臭いの原因がわかった……」

「森のどこが火事なんですか?」

「そうではない。これは嫌味や意地悪で話すのではない。今後の君のために必要だから言うのだが、君には料理の才能がない。とてもじゃないが……」


(あ……もしかして、失敗しちゃったのかな……)


 わたしはうつむき、両指をモジモジと絡ませた。


「わたし、妻の道を極めたいんです。お料理が得意じゃないけど、夫に喜んでほしくて一生懸命に作ったんです」

「夫……?」

「だって、妻体験なんだもん。だったら先生は、夫っていうことでしょう? 違う?」


 先生は二の句が継げないようで、「あ……」と言ったきり、黙ってしまった。


 妻体験実習をするにあたって、設定というのは大事だ。働き者だが口うるさくて神経質でダサくて嫌味な夫と、有能で若くてかわいい妻という設定で動いている。

 

「新婚夫婦の設定でしたけれど、先生が気乗りしないなら、年上の夫に先立たれた未亡人と執事の設定でもいいです」

「それはやめておこう。実習レポートに、未亡人と書くのはまずい。新婚夫婦の設定でいこう」

「あー、忘れていた! レポート提出があるんだった。がっかり」


 職業体験実習をレポート用紙にまとめて、新学期に提出しないといけない。

 嫌なことを忘れるために、若くてかわいい妻らしく、キャピキャピとした声をだす。


「それよりも、先生! お肉が苦手って言っていたでしょう? だから、お魚を焼いたんです。だってわたし、夫の好みを把握している有能な妻ですから!」


 先生は目を白黒させた。


「だからってなにも、炭化するまで焼かなくても……」

「スミカ? どういう意味ですか?」

「いや、その、なんだ……。ノアナは妻としての自覚が十分にある。そこは最大限に誉めよう。プラス百点だ。だが、ええとだな。私が疑問に感じるのは、どうして魚が黒焦げになるまで焼いたかということだ」

「魚にはしっかりと火を通したい派なんです」

「では、サラダに大量の唐辛子がかかっているのはなぜだ?」

「辛いものが好きだからです」

「もう一つ聞くが、スープがぎらついているのにはどんな理由が?」

「そこら辺にあるものをいろいろと入れたら、こんな感じになりました」


 先生はがっかりしたように肩を落とすと、テーブルにもたれた。


「素晴らしいほどにおおらかな性格だ……」

「ありがとうございます」

「褒めていない。おおらかを、雑と言い換えてもよい」


 一番気になっている質問をする。


「料理の見た目は何点ですか?」

「……。君的には何点なんだ?」

「う〜ん。切ったはずのトマトがなぜか繋がっているから、九十五点かな」

「随分と採点が甘いのだな……」


 それきり先生は黙り込んでしまった。

 点数を聞いたのに答えてくれないなんて、夫として失格じゃない?

 




 

 

 


 


 

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