第10話 森の中にある美しい別荘

 先生がワックスをかけてくれた艶のある床に寝そべると、疲れた風を装う。


「こんなに真面目に掃除をしたのは生まれて初めてです。もぉ、ヘトヘト。夕食は、ハンバーグ専門店でビッグサイズのハンバーグを食べたいです。もちろん先生の奢りで」

「私は胃弱だから、ハンバーグは遠慮する。温野菜レストランなら付き合うが?」

「先生って、どこまでもわたしを失望させますね」

「掃除をしていた時間よりもサボっていた時間のほうが長いのに、疲れたフリをしている。そんな生徒に、失望したと言われるとは心外だ」


(げげっ、サボっていたことがバレている!)


 鼻歌をうたって誤魔化すと、ユガリノス先生は呆れたようにため息をついた。

 そのため息が消えた直後、パチンと指の鳴る音がして、視界がガラリと変わった。

 雨漏りで汚れていた天井が、シミのない真っ白な天井へと変わった。裸電球が豪奢なシャンデリアへと姿を変え、天井が二倍高くなった。

 驚いて上半身を起こすと、世界が三百六十度変わっている。

 手のひらに感じるのは、ふかふかのベージュ色の絨毯。左を見ると暖炉と本棚とロッキングチェアがあり、右を見るとバーカウンターがある。前方には重厚な両開き扉。後ろには壁一面の大窓。窓の外に広がっているのは、青い湖と美しい森。


「ここは……夢の世界?」

「別荘だ。ヘトヘトに疲れているのだろう? 歩けないかと思って、空間移動の魔法を使った」

「あっ……。ここに住んでいいいの?」

「気に入れば」

「この部屋って、リビング?」

「いや、趣味室だ」

「ああああああ、あの、ちょっと見て回ってもいいですか!!」

「どうぞ」


(趣味室ってなに⁉︎ 趣味をするための部屋がこの世に存在するなんて、びっくりなんですけどっ!!)


 別荘内を見て回る。

 どの部屋も窓の大きい開放的な作りになっていて、湖と、その周辺に広がる森を感じられるようになっている。白を基調とした内装はシンプルだけれど、それが湖と森林に映えていて、センスの良さを感じる。大理石の床は光を反射してツヤツヤと輝いていて、迂闊に走るとツルッと転んでしまいそう。

 二階に続く階段は幅が広すぎて、両手を精一杯に広げても右側の手すりと左側の手すりを同時に掴むことができない。

 食堂のテーブルは細長く、椅子が十四個も並んでいる。台所の食器棚にあるのはすべて高級メーカーの食器。

 お化粧直し付きのトイレは清潔なうえに広くて、お腹を壊しても快適な気分でトイレに閉じこもれそう。

 足を伸ばして入れる猫足バスタブからも湖が見えるようになっていて、リフレッシュにピッタリ。集合アパートのお風呂は真四角で、膝を抱えて入っていた。足を伸ばしてお風呂に入れることに嬉しくなる。

 二階にはゲストルームが五部屋あり、どの部屋にもシャワー室とトイレが備わっている。

 どこもかしこも高級感を全面にだしていて、貧乏が身に染みているわたしは興奮しすぎて心臓が破裂寸前!


「ラテルナお婆ちゃんの言ったとおりだった。やっぱり先生はお金持ちだっ!!」



 別荘をひと通り見て回り、エントランスに戻ってくる。エントランスには、先生が魔法で送ってくれた我が家の荷物が置いてある。

 家にあったもの全部、先生は魔法で送ってくれたらしい。鼻を噛んで床に放り投げてあったティッシュまである。

 わたしは、ゴミは即座にゴミ箱に捨てることを固く心に誓った。


「それにしても、場違い感がひどすぎる。ゴミの山にしか見えない……」


 テーブルも椅子もソファーもチェストも台所用品も衣類も本も靴も傘も、すべてが両親との思い出に繋がっている。

 けれどこれらは、ただの中古品。骨董品と呼べる価値はない。

 この別荘にある高級メーカーの家具やブランド品に、使い古した貧相な物を混ぜていいものか悩む。さらには別荘の壁紙が真っ白なので、汚れが浮いて目立つ。

 わたしはピンクうさぎのぬいぐるみを手に取ると、右耳をピンと立てた。けれど、手を離すとすぐに耳がへにゃっと垂れた。ほつれた糸と、破れた穴から出ている綿。


「今が捨てるタイミングなのかも……」


 母は言っていた。

 ──物を捨てることは、思い出を捨てることではないのよ。どんな物でもいつかは壊れる。お父さんはノアナの心の中に生きているのだから、物に執着しなくてもいいのよ。


 うさぎのぬいぐるみを捨てても、父は笑って許してくれるだろう。手放せないでいるのは、わたし。お父さんの笑顔と大きな手。その手の温かさを忘れてしまうのが怖くて、物に執着している。


「環境が変わったんだもん。前に進むためには、捨てないと……」


 静かな足音が近づいてくる。背後から声をかけられた。


「ノアナ。指示してくれれば、それぞれの場所に運ぶ」

「わたし……」

「ここが気に入らない? それなら改装してもいいし、森の中が嫌なら、ノアナの好きな場所に家を建ててもいい」

「そういうことじゃなくて……んん?」


 あまりにも先生がさりげなく言ったので、危なく聞き流すところだった。


(好きな場所に家を建ててもいい? えぇっ? 先生って、まさかの大金持ち?)

 

 先生はお金持ちじゃない。大金持ちの可能性が!!


「あのあのあのあのあのあの、あのですね、そういうことじゃなくて、物をですね、捨てるタイミングが今なのではないかと思いましてですね」

「そのぬいぐるみは、お父さんからもらったものなのだろう?」

「ででででで、でもでもですね、この綺麗な別荘にはふさわしくなくてですね。遺産整理をして、身も心も軽くしたほうがいいのではないかと、そのように思いましてててて、ですね」

「…………」


 激しく緊張してしまい、早口になってしまった。しかもおかしな喋り方。

 大金持ちという偉大な成功者を前にして、貧乏人ノアナが萎縮してしまう。


「ノアナ。散歩をしよう」

「でも……」

「外で待っている」


 同意していないのに、先生はさっさと外に出てしまった。仕方なしに、わたしも外に出る。



 

 

 

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