第6話 別れ

気が付いた時には、外を走っていた。


何十回も通った道。いつもと違うのは、風が肌寒いこと。そうか、夜だ。


どうやら家からずっと全力疾走しているらしく、呼吸が苦しい。足は普段の何倍も

重いし、心臓は破裂するんじゃないかと思うほど激しく動いている。


そういえば最近はあまり運動していなかった。毎日詩乃さんに会いに行っていた気がする。


───詩乃さんに、訊かなきゃ。


刈り取りが終わり、どこか寂し気な畑を横目にひたすら走った。




「詩乃さんっ!」


扉を両手で思いっきり押し開くと同時に、その名前を叫ぶ。


「詩乃さん、いる!?」


あたりを見回しながら、速足で歩く。


───タクマくん。


静かな建物の中に声が響き、本棚の陰から探していた姿が現れた。


詩乃さんは、最後に見たときと変わらず暗い表情をしていた。


「詩乃さん・・・オレ、聞いたんだ。2年前に、詩乃さんのお葬式があったって。

詩乃さんは・・・死んじゃったの?」


詩乃さんが眉をぴくりと動かし、ゆっくりと口を開く。


「そう・・・・・・バレちゃったか。」


そう呟いた詩乃さんは、どこか晴れ晴れした顔になった。


「───私はね、もう死んでるんだ。タクマくん。」



驚きはなかった。自分でも意外なほど、その言葉は胸に落ちた。


そういえば、詩乃さんと読んだ小説にもそんな女の子がいた。


───死してなお世界にとどまる存在。


「・・・幽霊に、なったの?」


「そうだよ。私は・・・私の家は、この図書館を経営してた。でも両親が事故で

死んじゃって、家には私一人になった。それからすぐに私も病気になって・・・

両親のことで人生を悲観してたからかな、そのまま死んじゃったよ。

 でも・・・私にはやり残したことがあった。私が死んだら、ここの本はどうなる?

この村には、本の価値を理解できる人がもういない。きっと放置されて、建物ごと

朽ちていく。私には・・・それが耐えられなかった。今際のきわに、そんなことを

考えてたのを覚えてる。」


詩乃さんは、でも、と続ける。


「そんな未練があったからだろうね・・・今もこの世界にいる。でも、それも

もうすぐ終わりみたい。」


「え・・・?」


「ほんとはね、死者が生きてる人にここまで干渉しちゃいけないんだよ。夢枕に

立ったり、人や物に取り付いたりするのはいいんだけど、生きた人みたいに姿も

見える、声も聞こえる今の私は完全にルール違反なんだ・・・今のタクマくんは、

私を幽霊だと認識しちゃってるから特に。」


突然、詩乃さんの本棚が出現する。いや、詩乃さんの体が透けて

奥の物が見えている・・・?


詩乃さんは淡々と続ける。


「だから、私はもうすぐで消えちゃう。どこにいくかわからないけど、少なくとも

ここにはいられなくなる。」


消えるだとか、なんでそんなに何でもない事みたいに言えるんだ?怖くないのか?


表情一つ動かさない詩乃さんに違和感を覚える。


それに・・・これじゃまるで、オレだけが別れを悲しんでるみたいじゃないか。


「最後に一つ、お願いがあるんだ。大切なお願い。───私の未練。ここの本を、

街の図書館に寄贈してほしい。いつでもいいから。ここで眠らせておくより、

たくさんの人に読んでもらいたいの。」


それは詩乃さんが幽霊になった理由で。おそらく亡くなってからの2年間、ずっと

果たしたかった悲願なのだろう。でも、幽霊である詩乃さんは物に触れることが

できなかった。 


どんな思いだったのだろう。幽霊になってしまうほど大好きな本に触れられず、

埃が積もってゆくのを見ているしかできないなんて。


そんな詩乃さんを救えるのなら、迷う必要もない。


「任せてよ、詩乃さん。ここの本は必ずあるべき場所に届ける。」


胸を叩き、はっきりと告げる。


「───ありがとう。これで、ちゃんと成仏できそう。」


晴れやかな笑顔を浮かべる詩乃さん。幼い子供のような、屈託のない表情だった。


「──────」


もうお別れなのに。会えなくなるのに。


こんな時でさえ、彼女にドキドキしてしょうがない。


「詩乃さん!」


気づけば詩乃さんに1歩踏み出していた。


「オレは、詩乃さんと一緒に居られて楽しかった! 文字、教えてくれて・・・一緒の本読んで・・・! 詩乃さんと会うのが楽しみだった! いろんなこと知ってて

ごいってずっと思ってた、尊敬してた!」


視界がぼやけはじめる。頬を熱いものが伝っている。息が上手にできない。


「まだ・・・っ、一緒にいたい! いろんなこと教えてよ! 勉強も、詩乃さんが

いないと何していいかわからないよっ!」


いくら拭っても涙が止まらない。うまく言葉が出ないのに、伝えたいことはいっぱいあって・・・でも、結局望むのは。


「───ずっと・・・ここに、いてよぉ・・・!」


ひとことで言えるだけのことだった。


「・・・・・・私も。」


床に落ちた1粒の雫に気づき、顔を上げる。


「私も、タクマくんと勉強できて、楽しかった。いろんなことを学んで、幸せに

生きてね。」


ぽろぽろと涙をこぼしながら笑う詩乃さん。その姿がとうとう消えかかる。


「詩乃さんっ!」


どこにも行かせたくない。


床を蹴り、詩乃さんに抱き着くように手を伸ばす。


「・・・元気でね。」


その手をすり抜けるように姿は掻き消え、手にかすかなぬくもりが残されるだけ

だった。

──────────────────────────────────────

詩乃さんは、最初から自分の未練を晴らすために俺に文字を教えたのだろうか。


校門をくぐりながら、そんなことを考えていた。


俺は最初、詩乃さんに会いたい一心であそこに通ってたんだけどな。


今となっては確かめようもない。


今は、詩乃さんのおかげで見つけた勉強好きなことを一生懸命やろう。


───読み書きができなかった少年は、街の中学校に進学した。




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