我慢の限界

 看病は二日目まで、何とか気力が持った。

 だけど、三日目を迎えてから、心身ともにダルくなってきた。


「はい。あーん」

「あー……」


 ご飯の味がしない。


「次は、オシッコしましょうね」


 尿瓶に股間が入れられ、踏ん張る。

 チョロチョロと出て行く自分の尿を見つめ、ボクは肩から力が抜けた。


 何やってるんだろう。

 どうして、ボクはこんなに生きた心地がしないんだろう。


 ボクはヒナ姉ちゃんの人形だった。


「ヒナ姉ちゃん」

「なに?」

「……どうして、ボクを突き落としたの?」


 ヒナ姉ちゃんは言った。


「気にしなくていいの」

「学校に行かせて」

「ダメ。安静にしてなくちゃ」


 ダルくなった心と体。

 身の危険は感じていて、わずかに「早くしないと」と脳内で、自分が囁いていた。


「お姉ちゃん、タオル洗いに行くから。動いたらダメだよ」


 そして、ボクの手首に手錠をはめて、テーブルの脚に繋ぐ。

 ヒナ姉ちゃんは、ずっと笑っていた。


 *


「おーい」


 声が聞こえた。


「ありゃ。鍵掛かってる」


 ドンドン、と窓がノックされた。

 長門さんがきたみたいだ。

 何もする気力が起きないボクは、布団を被って、目を閉じた。


「しゃーないなぁ」


 ジャリ、と外から音がする。

 次の瞬間だった。


 ガシャン。


 すぐ傍の窓が割られて、一気に目が覚めたボクは、布団から顔を出した。


「うへぇ。ヤバいね。あいつ。手錠とかハメちゃってんだ」

「長門さん」

「ハルくん、ちょいやつれてんね」


 窓を開けて、外から入ってくる長門さん。

 テーブルを持ち上げると、手錠を抜いて、布団に乗ったガラスの破片を端に払った。


「行くか」

「ど、どこに?」

「学校」

「でも……」

「松葉杖あれば歩けるでしょ?」


 ボクは頷く。


「んじゃ、いいじゃん」

「でも、ヒナ姉に怒られる」


 すると、長門さんが両側から頬を挟み込んでくる。


 ――唇に、柔らかい感触が当たった。


 いつものキスとは違い、普通のキスだった。


「しっかりしなよぉ。ハルくんは、あいつのオモチャじゃないでしょ」

「…………」

「言いたい事があるなら、ハッキリ言いなって。アタシがついててあげるから」


 そこへガラスが割れた音を聞きつけたのか。

 ヒナ姉ちゃんが血相を変えて、戻ってきた。


「あ、あなた……」

「うす。鍵掛かってたんでぇ。勝手に入っちゃいました」


 しれっと長門さんは言った。


「先生に報告させてもらうわ」

「いいですけど。アンタも、相当ヤバくないスか?」

「……何が?」

「ハルくん。衰弱してるでしょ。何とも思わないの?」


 ヒナ姉ちゃんと目が合う。

 ボクは怖くて目を逸らすけど、長門さんが腹を軽く蹴ってきた。


「ほら。アタシがいるから。素直な気持ち言っちゃえ」


 素直な気持ち、と言われて浮かぶのは、この三日間考えていたことだ。


 ――苦しい。

 ――やめてほしい。

 ――辛い。


 せっかく、看病してくれているからと、ボクは我慢していた。

 だが、もう嫌気が差していた。


「ハルくんに余計なこと言わないで」

「しーっ。アンタは、黙って聞いてなって」


 もう一度、腹を軽く蹴られる。

 ヒナ姉ちゃんに嫌われるのは、嫌だけど。


 ボクは我慢の限界だった。


「……学校に、行かせてほしい」

「ハルくん!」

「ボクは、ヒナ姉が大好きだけど。でも、ヒナ姉の人形には、……なりたくないんだ」


 背中を向けたまま、正直に話す。


「ボクは、学校に行きたい。お世話になりっぱなしで、申し訳ないけど。せめて、ボクの気持ちくらいは、ボクの物でいさせてほしい……です」


 見上げると、長門さんはにっと笑っていた。

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