編集済
貴族や大名、武将達の使う「民草」って言葉が正にソレですよね。彼ら曰く、民なんざ野草の如く生えてくる物だと。
作者からの返信
@sawayakamonegi様
コメントありがとうございます!
当時の価値観は我々には理解し難い物も多いですからね。汗
兵士は駒で財産なのでは?
日本で1兵士まで腹切らせてたら兵士居なくなってしまうのでこの考え方には違和感
作者からの返信
@papaue様
コメントありがとうございます!
確かに仰る通り、一兵卒まで腹を切らせていたら全員死に絶えてしまいますね。
ただ、ここで言う「兵」というものに少々語弊があるかと存じます。
ここに違和感を持たせてしまった事。
そこを伝えきれなかった事。
どちらも私の筆力不足で大変申し訳ない思いです。
では、少々長くなりますが、どうしてこの様な考え方になったかを補足いたします。
六郎の言葉を借りますと、彼らは「あるじに飯ば貰うて、酒も食っとた」と人達です。つまり彼らは職業軍人ですね。
職業軍人である以上、「戦え」というのが六郎の見解です。
当時戦国の世で職業軍人は所謂「武将」と呼ばれる方々、もしくは彼らの寄子にあたる人々になるかと思います。
雑兵である足軽の多くは農民を徴兵したものです。そして彼らの仕事は本来であれば農業であり、戦は非常時の日雇いのようなものでしょうか。
六郎の言う兵が「武将」であるならば、駒として死に臨むことは往々にしてあるかと思います。
もちろん、兵が財産だということは理解いたしますが、それを差しひいても「大将」を生かすため、自分の命を投げ売ってきた人々を見てきている男です。
さて、少々話が逸れてしまいましたが、六郎はここで兵士を職業軍人、武将やその寄子と同等に見ているとご理解ください。
では、捕らえた武将達の処遇ですが、黒田官兵衛のように幽閉され捕虜の様な扱いを受けた武将もいましたし、攻城戦などでは「命を助ける」という約束事により開城させるという事もあったそうです。
そう考えれば、全員斬首か切腹、と言うのは言い過ぎなのかも知れません。
ただ、それ以上に殺された兵士、落ち武者狩りにあった者、そういった人々の数の方が多いです。
ここでお話の内容に戻りますが、捕らえた彼らに「ワシんとこじゃ、余程優秀やねぇと、全員斬首」という言葉をかけています。
もちろん、全員が殺されている訳ではありませんし、それも知っています。
ですが、この場面においてわざわざ、一からそれを相手に説明する必要があるでしょうか。
基本的に、自分を嵌め、半殺しにし、相棒を囚えている奴らを相手に、慈悲を見せる必要があるのでしょうか。
この場面での六郎の言葉は、「逃さない」という意思表示に加え、前話での
サムライの流儀
六郎という異物の存在
を世界に見せしめるための行為です。
相手に「異常」「異質」などの印象を与えるために。「皆殺し」というものを、敢えて強調した表現を取っているとも言えます。
そしてこれは大前提なのですが、これら兵士への見解は「六郎による」ものです。
彼は一兵卒として様々な戦に駆り出され、常に命の危機を感じながら生きてきた人間です。
例えばプロローグなども、「少数の傭兵による奇襲」と言えば聞こえは良いですが、大軍相手の突撃など捨て駒以外の何物でもありません。
自分がそういった物を理解し、そうやって生きてきた以上、相手にその覚悟を求めてもおかしくはないかと存じます。
「そんな自己中心的な?」とお思いでしょうか。
結局戦というのは、エゴを押し付ける行為以外の何物でもないでしょう。
話が長くなりましたが、纏めると
彼らは戦うことが仕事である事
職業軍人である以上、死ぬ事の覚悟を求めている事
そして大前提として、「六郎」がそう考えているという事。
以上で、違和感を少しでも拭えたのなら幸いです。
根切りですねー(笑)
作者からの返信
@Fortunechild様
コメントありがとうございます!
生き様と流儀を刻まねばなりませんからね。
そうでなくとも、赦す理由もありませんので、仲良く黄泉路を渡って頂きました。
でた!!謎のサムライ理論ww
ハラァば切るんじゃぁ介錯はスパッと誉じゃけんのぉ閻魔んとこでのよか話しばできんぞぉ
捕虜?なんねそりゃ?スパッと逝かんかい
降伏は自決デース生きたければ死ぬ気で戦うか逃げろ
うーんまじ細胞の一変たりとも戦闘民族ww
生死論がぶっ飛んだ生物だからね
頭以外畑の肥やしにしか考えてないから
そういや戦場だと兵站の捕虜の概念がまじでないから...騎士道など知らぬ存ぜぬ首置いてけだったねw
傭兵家業だからどっかの首狩り戦闘民族がいた時代にヒャッハーしていたのかも?
関ヶ原経験済みぽいし
作者からの返信
@gorigorira様
コメントありがとうございます!
かなり優秀な人物であれば、自陣への投降を促したこともあったそうですが、基本殺してまわる民族ですよね。
大阪夏の陣の後とか凄かったらしいです。
現代日本を生きる我々からしたら、こんなんが先祖かいな……って思うくらいの戦闘民族ですよね。笑
六郎はの設定は薩州生まれの戦場を転々とした武人という事になってます。
イメージで言えば主君を変えながら様々な戰場で活躍した可児吉長あたりでしょうか。
関ケ原の後、しばらくして欧州へ渡ってそこでも戦三昧です。