02.お人好しのルシア

 ジェイクが去って二年後、リンド国とローウェス王国の間で、戦争が始まってしまった。

 戦争は、二年が経過しても終わらなかった。ラスター達は十八歳になっていた。


「ただいま、ルシア」

「おかえりなさい、ラス」


 ラスターが家に帰ると、ルシアが迎えてくれる。二人は小さな家を借りて一緒に住んでいた。

 孤児院にいられるのは十六歳までで、そこからは働いて独り立ちしなければならなかったからだ。

 ちょうどその頃に戦争が始まり、剣や弓の整備士を必要とされて、ラスターはその職にありつくことができた。

 しかしルシアは足が悪く目もほとんど見えないため、働き口を探すのは困難を極めた。

 結局は就職できないまま孤児院を追い出されてしまったので、ラスターがルシアを引き取るような形となったのだ。


「今日は、サラミも買ってきたのよ。いつもパンだけじゃ、味気ないでしょう?」

「ああ、たまにはいいな」


 ルシアのすぐそばで、ベイリーがヴァフと吠えた。孤児院を出てからは、家で飼うことにしたのだ。

 ベイリーのリードのおかげで、ルシアは一人でも買い物に行くことができる。そしてルシアは家事を可能な限りしようと、いつも頑張ってくれている。

 ラスターの給料でルシアとベイリーを養うのは正直きついが、それでも贅沢をしなければなんとかなった。


「明日は、ジェイと連絡を取る日だな」


 ルシアが作ってくれた、硬いパンにサラミを乗せただけのものを頬張りながら話しかける。


 戦争が始まってから、手紙をローウェス王国には送れなくなってしまった。

 しかし連絡が取れなくなる直前、ベイリーを使って手紙のやりとりをすることをジェイクに提案されていた。

 二国の国境は、ベイリーを拾った森の中央にもある。

 国境沿いには基本的に兵士がいるのだが、すべての国境沿いを監視できるわけではない。あの森は狼などの動物も多い上に迷いやすいため、敵軍もそこから攻めてくることはまずないと、必要最低限の人数しか送り込まれていなかった。

 その森を利用して、月の初めにベイリーに手紙を託し、森の向こう側で待つジェイクと合流させる。そうしてベイリーは一晩ジェイクの家で泊まり、翌日には戻ってくる、というわけだ。

 狼なら、国境を超えたところで兵士に見咎められることはない。こうして戦争が始まってからも、毎月ジェイクと連絡を取っているというわけである。


 食事が終わると、ラスターは紙とペンを出してテーブルの上に置いた。


「さて、ジェイになにを書く?」

「そうね……」


 ルシアは目が見えず手紙を書けないので、いつもラスターが代筆している。


「えーっと……ジェイクもラスも、戦争の最前線で戦うことはせずにすんで、ほっとしています。いつも医療魔法の研究お疲れ様。無理はしないでね。私は今日、ベイリーと一緒にお買い物に行ってきました。前回の手紙でローウェスのサラミは絶品だと書いてくれていたので、私もサラミを買ったの。自由にお金を使わせてくれるラスには感謝ね。とても美味しかったけど、そちらのサラミもいつかぜひ食べてみたいです」


 ラスターはルシアの言葉通りに文字に起こしていく。ルシア手紙はただの日常報告だ。そして最後はいつもジェイクの身を案じる言葉で締められる。


「こちらはラスもベイリーも私も、元気に過ごしています。ジェイクも体に気をつけて過ごしてね。ルシアより」


 手紙を書き終えると、それを小さく折り畳み、小さな巾着に入れた。


「ラスは書かないの?」

「俺は特に報告することもねーし」

「もう、一言でも書いてあげて。ジェイクが喜ぶから」

「……わぁったよ」


 ルシアにそう言われると、ラスターは弱い。

 〝ジェイクが喜ぶから〟というルシアの言葉に、むっと口を尖らせながらもラスターはペンを走らせた。


 〝早くルシアの目を見えるようにしてやれ〟


 それだけを書いて紙を小さく折り畳む。


「早いのね。なんて書いたの?」

「なんだっていいだろ」

「ずるいわ。いつも私の手紙の内容を知っているくせに」

「べっつに、大したこと書いてねーよ」

「もうっ」


 そう言ってぷくっと膨らませる頬を見ると、なんともたまらない気持ちになる。ルシアの目が悪くて助かったと、こういう時だけは思いながら口元をへの字に戻した。


 ルシアにとって、俺は家族だからな。


 十八歳になったルシアは、少女から女性となった。見た目にも綺麗になって、その白さゆえ神秘的でもある。

 ラスターも男らしくなったと自分では思っているが、ルシアには見えていない。性格は変わっていないので、ルシアにとっては子どもころのままの存在だろう。

 ただ共に暮らしているだけの家族。そうしなければルシアは生きていけなかっただけで、相手はラスターじゃなくてもよかったのだ。ルシアを養うつもりのある者ならば、誰でも。


「ふふ、ジェイクからの返事が楽しみね」

「まだ出してもいねーのに気が早ぇんだよ、ったく」


 しまった、また言い方がきつかったと思ったラスターは、慌ててルシアの頭をそっと撫でた。

 言葉ではうまく言い表せないから、これが『怒っているわけじゃないんだからな』というアピールのつもりだ。ルシアに伝わっているかどうかは、わからなかったが。


「ふふっ」


 ルシアが笑ってくれて、ラスターはほっと胸を撫で下ろした。

 ラスターはルシアのことを昔から大切に思っている。それを、言葉にも態度にも出せたことはないのだが。


 親に捨てられたルシアは、その病気のために孤児院にいる者からも疎まれているふしがあった。だから余計に守らなければという思いが溢れたのだろう。

 最初に目立ってルシアを庇い始めたのは、ジェイクだった。ジェイクと仲の良かったラスターがそれに便乗した形である。

 ルシアは傷つきやすく弱くもあったが、同時に底抜けに優しくお人好しでもあった。たまに与えられるお菓子もすぐ人にあげてしまうし、掃除くらいはできるだろうと押し付けられても気にせず引き受ける。

 昔、その姿に苛立って『なんでそんなことすんだ!』ときつく言ってしまったことがあるが、ルシアはこういったのだ。『話しかけてくれるだけで、嬉しいの』と。


 ルシアの周りには、ほとんど誰も近寄らなかった。いつも周りでひそひそと言われているだけ。

 目の悪いルシアには、それがどれだけ心細かっただろうか。彼女が勇気を出して、人の輪の中に入ろうとしたのを見たことがある。

 しかし、杖をついて足を引きずりながらそちらに行こうとするだけで、人の波はさぁっとルシアを避けていた。一人ぽつんと残っていたルシアは傷ついた顔をして、それでも涙は流さず笑顔を取り繕おうと頑張っていた。

 ラスターとジェイクもずっと一緒にいられたわけではないが、それでも時間の許す限り一緒に過ごした。ジェイクが隣国に行ってからは、ラスターだけがルシアのそばにいた。

 ルシアは弱く、自分が守ってやらなければならないのだと。ジェイクにルシアを託されたのだからと。

 生活は厳しいが、ルシアを追い出すつもりなんてさらさらない。ルシアが笑ってくれるなら、なんだってする。

 湧き上がるこの気持ちがどういう名前かなんてことは、考えもしなかった。

 ただただ、ルシアが誰よりも大切だった。


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