その瞳に光が戻るなら、この手を離すこともいとわない。
長岡更紗
01.ラスターは無愛想
深い森の中、ラスターはピュッと指笛を吹いた。ラスターの足元にいた白い毛並みの狼は、犬ころのように走り出す。そして向こう側にいるジェイクのところまで行くと、ぴょーんと彼に飛びついた。
ラスターが追いつくと、白い犬のような狼はハッハッと嬉しそうに舌を出してジェイクにじゃれついている。
「よし、ベイリー、賢いぞ!!」
ジェイクはそう言って、わしゃわしゃと嬉しそうに白い毛を撫でつけた。
「甘やかすなよ、ジェイ。こいつはどんどん躾けていきたいんだから」
ラスターがそういうも、親友のジェイクはチッチと人差し指を左右に揺らしている。
「ベイリーはまだガキなんだから、躾より愛情が重要なんだよ。最初から厳しくしてたら、人間に懐いてくれないだろ?」
「ま、ジェイが言うならそうなんだろうな」
息を吐きながらジェイクのやり方に同意すると、ラスターは一人離れたところで佇む少女の方を見る。生まれた時から足と目が悪く、杖をついて歩くルシアは、クスクスと笑っていた。
「なんだよ、ルシア」
ラスターがふんっと傲慢にそういうと、ルシアは萎縮して笑顔をやめてしまう。その瞬間、ジェイクの手がラスターの頭にバシッととんできた。
「いでっ! なにすんだよ、ジェイ!」
「ラスは女の子に容赦なさすぎ。優しくしてやれよ?」
同じ十三歳だというのに、ジェイクはいつも兄貴ぶっている。
たしかにラスターは基本的に無愛想だ。特に、ルシアの前では。
「ふん……わ、悪かったよ……」
ラスターがそういうと、泣きそうだったルシアがほっとしたように儚く笑った。
「ううん。私、すぐ傷ついちゃって……だめね」
「べ、べつにだめってわけじゃ……あ、ベイリー!」
白狼のベイリーが、突然駆け出してルシアの元へと向かった。そして先ほどジェイクにしたように、今度はルシアに飛びついている。
「きゃっ」
「こらっ、ベイリー!!」
手から杖が離れたルシアは、地面に尻餅をついてしまった。それを見たラスターとジェイクは、慌てて彼女に駆け寄る。
「大丈夫か? ルシア」
「うん、大丈夫。びっくりしちゃった」
ジェイクがスマートにルシアを助け起こし、ラスターはベイリーを抱き上げた。
「こら、ダメだろ! ベイリー!」
「ラス、怒らないであげて。遊びたかっただけだと思うから」
そう言ってルシアはベイリーの頭を優しく撫でていた。
このベイリーは、三人で森の奥を探検している時に見つけた、子ども狼だった。
アルビノだったベイリーは、群に入れてもらえなかったのだろう。しかし子どもで衰弱しているとはいえ、狼の子だ。足の悪いルシアを連れていたラスターたちは、森の深くまで入ったことを反省して、急いで戻ろうとしたその時。
『この子を連れて帰りましょ?』
ルシアはそう言って、ベイリーを抱き上げてしまったのだ。そして今に至る、というわけである。
もちろん狼を飼っているだなんてことは、大人には秘密だ。
ベイリーは山で飼い、基本は放し飼いである。しかし餌をやっていたからか懐いてくれて、今では怖いなんてことは思わなくなった。
ルシアはふんわりと笑ってベイリーのことを撫でている。
ルシアも、ベイリーと同じアルビノだった。
白い肌にプラチナブロンド、色素の薄い瞳。元々弱視だが、年々ひどくなっているようだった。
だからこそ、同じアルビノのベイリーを放っておけなかったのだろうが。
ラスターとジェイクとルシアは、幼い頃からずっと同じ孤児院で育った。
ルシアは親に捨てられ、ジェイクは事故で両親を失い、ラスターは暴力を振るう親から逃げてホームレスをしていたところを救われた。
なにをするのも三人一緒。孤児院では派閥があったりと大変だが、ラスターはジェイクとルシアがいればなんでもできる気がした。
「ベイリーは元気でよかったわ。私のようになってはだめよ」
「は? バカじゃねぇの、そんなこと言うなんて」
ルシアが儚く微笑みながらベイリーに話しかける姿を見ると、ラスターはいつも苛立ち、嫌な言葉を投げてしまう。
「……ラス」
ルシアは悲しそうにラスターを見上げていて、ジェイクには呆れたように睨まれた。居心地が悪い。本当は、こんな風に言いたいわけじゃない。
「大丈夫だよ、ルシア。ベイリーも、もちろんルシアも、元気に三人と一匹で大人になるんだから」
ジェイクの言葉にほっと息を漏らすルシア。どうして自分はジェイクにように声を掛けてあげられないのだろうか。こうして自分が嫌になるのも、いつものことなのだが。
「ラスター、ジェイク、ベイリー。大人になっても、ずっと仲良くしていてくれる?」
「当たり前だろ」
「もちろんだよ、ルシア。僕らは大人になっても、いくつになってもずっと大切な仲間だ!」
答えを聞けたルシアは嬉しそうに笑って、またも飛びついたベイリーを幸せそうに撫でる。
その姿はラスターにとって、とても印象的なものだった。
しかしそれから一年後、三人は一緒にいられなくなってしまった。
頭も要領も良いジェイクが、ひと組の夫婦に引き取られることになったのだ。
それだけならまだ喜べたのだが、その夫妻は隣国のローウェス王国に行くと言った。
子どもの気持ちを尊重してくれる孤児院だから、断ろうと思えば断れるはずだったが、ジェイクはそうしなかった。
「隣国のローウェス王国は、医療と魔法を融合させた、医療魔法があるっていうじゃないか。僕は、それを習得してくる。必ずルシアの目と足を治してあげるから」
この頃には、ルシアの目はほとんど見えなくなっていた。
光を感じ取れる程度らしく、あの儚い笑顔すら最近では見せなくなった。それをジェイクも気づいていたのだろう。
「手紙を書くよ」
「ええ、必ずよ」
ジェイクの言葉に、ルシアがはらはらと涙をこぼしている。
ルシアのためにそこまでできるジェイクを誇りに思うと同時に、ラスターの胸はどうしようもなくモヤモヤとしたものが渦巻いてしまう。それがなんなのか、ラスター自身わからない。
「ルシアを頼む、ラス」
「わかってるよ、ジェイ」
そうしてジェイクは、ラスターとルシアとベイリーをリンド国に置いて、わずか十四歳で隣国のローウェス王国へと行ってしまった。
一人欠けてしまうと、空いた時間にはついジェイクのことを思い出してしまう。それはルシアも同じようで、景色の見えぬ目で窓の外を眺めている。
「どうしてるかしらね、ジェイク」
「さぁな。勉強でもしてんじゃねーの」
「本当に目が見えるようになるのかしら……」
「しらねーよ」
ラスターがそういうと、ルシアは傷ついた顔をしたままベイリーを撫でた。
ああ、どうして俺はまた……。
いつもフォローしてくれるジェイクがいなくなり、ルシアを傷つけることが増えてしまった。
もっと優しく言いたいと思っているのに、どうしてもうまくいかない。
──ラス、ルシアは僕らの顔がよく見えなくて、声で判断してるんだ。ラスの顔を見れば本気で言ってるんじゃないっていうのはわかるけど、ルシアにはちゃんと言葉にしなきゃいけない。
親友に口をすっぱくして言われた言葉が脳内に響く。
それでなくともルシアは、もうほとんどなにも見えていなくて怖い思いをしているのだ。
ラスは一息置いて、考えてからもう一度言葉に出した。
「ジェイは頭がいいんだ。なんとかしてくれるに決まってるだろ」
そういうと、ルシアは驚いたように振り向いて、ふんわりと笑った。
目の焦点は、ラスターに合ってない。視線が自分より斜め上になっているルシアの手を、ラスターは取って自分の顔に乗せた。
「俺はここだ」
ルシアのひんやりとした手が、ラスターの頬に当たる。ルシアは少し驚いた顔をしたあと、嬉しそうににっこりと笑った。
「そうやって笑っとけよ。その方がかわい……」
そこまで言いかけてからハッとして言葉を止める。ラスターは失言だったと口元を押さえた。耳は熱くて、きっと顔は赤くなっていることだろう。
ルシアには見えていないが、それでも恥ずかしさはおさまらない。
「ラス?」
「……なんでもねーよ」
「私、かわいいの?」
「っき、聞こえてんじゃねーか!」
ぶんっと手を振り払おうとして、ラスターは思いとどまった。きっとそうしたら、またルシアは悲しい顔をするに違いない。
「私もラスの顔を見てみたい」
「別に、俺の顔なんて見てもつまんねーよ」
「ラスはね、鬱陶しそうな黒い前髪の下に、綺麗な空色の瞳があるんだって。いっつも無愛想ぶってるけど、ふとした時にはいつも感情豊かに笑ったり怒ったりしてるんだって、ジェイクが言ってた」
「ジェイの野郎……」
「私もそんなラスの顔、見てみたい。絶対、つまらなくなんてないから」
もしも目が見えるようになれば、ルシアにはつまらないものなんてないだろう。きっとすべてに目を輝かせてくれるに違いない。
無愛想な、自分の顔でさえも喜んでくれる……そう思うと、ラスターの顔はいつの間にか綻んでいた。
「そうだな。目が見えるようになったら、穴が開くほど俺の顔を見せつけてやるよ」
「ふふ、楽しみ」
実際、ジェイクがその医療魔法を習得できるのかなんてわからない。もしかしたら、ルシアの目は一生このままかもしれない。
でも、あいつが夢を与えてくれてるんだよな。
ルシアの希望は、ラスターではなくジェイクだ。
こんな黒髪の口汚い男ではなく、輝くような太陽の髪で意思の強いエメラルドグリーンの瞳を持つ、優しくて頭が良くてしっかりもののジェイク。そんな彼にルシアは夢と希望を託している。
胸が、どうしようもなく引き裂かれそうになるのは、なぜだろうか。
だれがルシアを治しても、彼女の目と足が良くなるなら、それで十分だというのに。
ラスターには胸の痛みの理由がわからず、ただベイリーの頭をぐりぐりと撫でつけていた。
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