狐目と祟り目

@kajiwara

その男、

 胡散臭いの擬人化のような男だと思った。装いといい、纏う空気といい全てが。


 玄田さんの命令で組員を引き連れて拉……強引に場所を探り当ててカプセルホテルで睡眠中の不意を突いて連れてきたが、やはりどこか信じられない。こんな素性も知れない、財布どころから身分を証明する物さえどれだけ漁っても見つからない、薄汚れたスカジャンとジーンズを履いた得体の知れない男を玄田さんは何故信用するのか、俺には分からなかった。


「おい、起こせ」


 その一声に頷いて、俺は男の頭に被せられた紙袋を上へと剝ぎ取る。肩まで伸びている、不衛生な印象に反して異様に艶やかな黒髪を頭を振ってバサバサと靡かせると男は眩しそうに目を細める。細い糸の様な目、というより切れ長、という表現があるがもっと具体的に言えば……男の目つきはまるで狐を思わせる、そんな目だ。一見にこやかに笑みを浮かべている様に見えて、腹の内が伺えない、気味の悪い男だ。


「いやはや……随分と乱暴なんですなぁ、関東のヤーさんは」

「お前を探し出すのにどれだけ時間と金を掛けたと思ってるんだ。ちょこまか逃げ回りやがって」

「あらら、それはそれはご苦労お掛けしましてえろうすんまへん」


 声、若干甲高く、それでいてどこの方言の言葉遣いか……言うなれば関西にも住んでいない人間がふざけて真似る時の関西弁、みたいな言葉遣いが非常に癇に障る。もしかしたらわざとその様な話し方でこちらの神経を逆なでしているのだろうか。

 だとしても両手を後ろで手錠されていて、かつここがどこの――――玄田さんの伝手で私用している、都会から大分離れて深夜は無論日中でさえ誰も立ち寄らない廃墟という状況下でよくそんな虚勢を張れるもんだと感心する。逃げる事はおろか身動きもできないだろうに。


「それで~お話はなんでっしゃろ。私もそう暇じゃないんやけど」


 組員が男――――狐目の手錠を外す。やっと自由になったのが嬉しいのか、両手を組むと両腕を上に伸ばして呑気に背伸びをしている。怖いもの知らずなのかそれともただのアホなのか……。狐目の正面に座り、玄田さんは若干睨むような感じで要件を話し出す。尋常じゃない強面もあり、玄田さんに凄まれると堅気の人間ならば誰もが怯え言葉に詰まったり視線が泳ぐが狐目は欠伸をしたり首を傾けてマッサージをしたり馬鹿に自由だ。いや、むしろ話聞いてるのかお前?


「……お前が例の霊能力者だというのを信じて頼みたい。俺に憑く霊を祓ってくれ」

「それならもっと丁重な扱いしてほしいところでんな。あ~腰痛いわマジで」

「それは悪かった。俺はこういうやり方しか知らんからな」

「ほら見てみ、手錠のせいで私の白い手首にこんな気の毒な絞め跡が」


 ついてはいない。奇麗なほど真っ白い手首だ。こいつ、もしかして終始ふざけているのか? いや、あるいは玄田さんの器を図っているのか……。俺は尚更、警戒心を強める。


「報酬はしっかりと払う。希望なら何でも用意する、飯でも車でも女でもな」

「……何でも?」


 一寸、ニヤついていた狐目の目の色が変わった気がする。ぶら下がったニンジンには反応するようだ。しかしこの男が欲するような物があるのだろうか。身なりも整えず、住居も定まらないしそもそも名前さえも不明な男が。


「お前俺の事知らんのか。それなりにデカい組なんだが」

「すんまへんなぁ、ヤーさんは年がら年中飽きるほど見すぎて顔も名前も覚えられへんねん。皆ジャガイモに見えるわ」

「……まぁ良い」


 玄田さんは溜息を漏らしつつ、懐からある写真を取り出す。その写真に写るのは、仲睦まじく顔を寄せ合う壮年の男性と頬を膨らませた、幼い男児というツーショットだ。……きちんとした事情は聞いた事が無い、と言うか聞けないが――――かつて玄田さんが「仕事」で関わった二人、とは聞いた事がある。無論、穏やかな事ではない。しかしこういう業界にいる以上、そういう事もある。


「こいつらがな……最近離れないんだ。どこにいても俺の目の前に現れて寝れやしねえ」

「あ~ほうほうなるほどね。どうでした? 気持ちよかったん?」


 狐目の言葉を聞いた途端、玄田さんが立ち上がって強引に力強く、狐目の胸ぐらを掴んで椅子から持ち上げる。普通の人間ならここで意気消沈してしまうが、狐目はニヤニヤと笑っていて恐れる様子さえない。無神経なのか、まだ挑発してるのかも分からないが大した度胸だ。


「このままテメェの首もへし折れるんだぞ、舐めた口聞きやがって」

「難儀ですなぁ、私を殺したらあんさん一生憑かれまっせ。嫌なら離してくれはる?」


 パッと手を離すと、狐目がすとんと椅子に座る。玄田さんは一呼吸して冷静になると、話を進める。


「さっきも言ったが金に糸目は付けない。完全にこの二人の霊を祓ってくれれば、お前の望む額を全て払う」

「うーん、言うて中々値、張りまっせ。きっちり用意できるんやろな?」


 先ほどまでふざけ倒していた様に思える狐目の声に重みが混じっている。これがこの男の本質なのか、それともビジネスの面に関してだけは真面目なのかも分からないが、やっと本題に入れる気がして何故かこちらも安心する。玄田さんは大きく頷いて。


「約束は守る。必ずな」

「よっしゃ、契約成立やな。集中したいから場、整えてくれへんか」


 玄田さんが目配せすると、狐目の後ろで見張っている数人の組員がドアからぞろぞろと出ていく。ふと、狐目が俺の方を向いて言う。


「そこのかっちょいいお兄さんも出ていかせないん?」


 いや、俺は玄田さんの……と自称するのも気恥ずかしいが、お前が気が触れて玄田さんに何かしらの危害を加えないかのセーフティなんだが。俺が反論しようとすると先に玄田さんが答えてくれた。


「こいつは置いておく。余計な事も考えない。それにお前の邪魔にはならん」

「ほーん、愛されてまんなぁ。でもそれとそれ」


 狐目が顎をしゃくりながら俺を一瞥する。……舌打ちしながら、スーツの袖に締まっている警棒と、足首に隠しているナイフを取り出して、呼び出した組員に手渡す。面倒臭いがスーツとズボンのポケットを全て翻し、これ以上武器は無いし拳銃もない事を証明する。能天気なアホに見えてそれなりに警戒心もある。全く食えない男だ……。


「人を殺める道具があると浄化に宜しくないんでね、堪忍な、兄さん」


 そう言って狐目は微かに微笑むと、ほな、さっさとやりまひょかと砕けた口調で立ち上がると、何故かその場でスカジャンを、服を脱ぎだした。そうして上半身の裸体をさらけ出し――――俺は思わず、露わになったそれについ息を呑んでしまった。


 細身の身体からは伺い知れない、程よく鍛え上げられた体つきもだがそれ以上に目を引くのは一体どこで彫られたのかは定かではない。定かではないが……何らかの言語で肌の隙間にビッシリと刻まれている文章と、腹部にどこの宗派かもわからないが、禍々しさを感じる姿の……恐らく神か悪魔の意匠が施されているタトゥーだ。外人がよく見せる煌びやかなタトゥーとも、俺や玄田さんが背中にしている和彫りとも違う……全く、見た事もないデザインのタトゥーに、あの玄田さんも小さく喉を鳴らした。


 ――――この業界でまことしやかに囁かれる、馬鹿げた噂がある。名前も住所も定まらない、ただ、体に尋常じゃない量のタトゥーを施している、どんな悪霊も怨霊も祓える最強の霊能力者がいる、という噂が。何分この業界は常日頃人死にが発生する為、表向きでは気丈を装っても、その手の過去に苛まれる組長や若頭が秘密裏に、例え気の病だとしても縋ってしまう、という。話を聞いたときは一笑していたが……こいつを見ているとまさか……と頭の片隅で信じてしまいそうになる。


「道具は用意してくれてはるんやろ? 私の噂、聞いてるなら」


 宮田、と玄田さんに名前を呼ばれて、急いで指定された道具を、恐らく除霊に使うであろう白紙のお札と朱色の筆、水や塩等を用意する。うん、いけるわと軽い調子で狐目はしゃがみ、筆でお札にさらさらと何らかの呪文? を書き始める。

 しばらくそれを複数枚書き揃えると――――神妙な顔つきで座って除霊を待ち続ける玄田さんの顔や肩に、その書いたお札を貼っていく。かなりの枚数のお札を貼られ続ける玄田さんの姿は殴られるから口には出して言えないが……どこか奇妙だ。


「動かんといてや。お憑きさんはナイーブや、下手に騒ぐと出ていかへん」


 狐目にそう言われ、玄田さんは緊張しているのか、あぁ……と一言だけ答えてじっとしている。ずっと人を殴打したり威圧したり、言わば人間を高圧的に支配している姿しか知らない身からするとこんな顔つきの玄田さん、初めて見た。それほど憑いている霊に悩まされてるとは……。


「素直に出ていかれるとええけど。まぁ、そこは私の頑張りどころやな」


 そう言い、狐目は両手を合わせて深く、息を深く吸い込んでゆっくりと吐き出す。そうして目を閉じて……今までの軽薄な声とまるで違う、一体どこから振り絞っているのか分からない、低く地を這うような声で――――暗唱、し始めた。念仏の様にも、呪文の様に思える、早口でかつ淀みのない狐目の声だけが廃墟内に響いている。


 瞬間。


 玄田さんは体をビクン、ビクンと体を震わせ、時には椅子が倒れる寸前にまで仰け反ったり俯いたりと、どんどん動きが激しくなる。おいおい、大丈夫なのか? とつい心配して声を掛けようとしたが、初対面の時は全く違う気迫に満ちた、狐目の雰囲気。……迫力、殺気? に俺は気圧され、声を掛ける気力も出ずただ、その儀式を見つめる事しかできない。その時だ。


 狐目は項垂れる玄田さんの目前にまで擦り寄る。そうして、頭部に張ってある札を触ると次の瞬間、去れ、と一言呟きながら札を勢いよく引き剝がした。途端、玄田さんの体を纏っている札がまるで申し合わせる様に同時に剝がれていき、地面に落ちていく。


 儀式が終わった……のか? ハラハラしながら動向を伺っていると、狐目は厳かに両手を合わせポツリと呟いた。


「ありがとな、話してくれて」


 ……? 玄田さんは除霊が始まってから一言も話してないし、特に狐目も会話らしい会話を交わしてる気はしなかったが、もしかして憑いている霊とでも会話したのか。……バカバカしい。俺までどうにかなってしまってる。


 しばらくすると、玄田さんがゆっくりと目を開ける。まるで今まで安眠していたみたいに大あくびをすると、背を伸ばして両腕をぐるぐると振り回す。とても気持ち良さそうな様子で軽快に椅子から起き上がる。良かった、多分うまくいった、のだろう。


「……肩の荷がすっかり下りた。お前、本物なんだな」

「この期に及んで疑ってたんかい、めっちゃ傷つくわ~」


 狐目の声も調子も元の軽薄な調子に戻っている。とことん奇妙な男だ。それから狐目は用意した水を一気に飲み干して、塩をそこらの隅に巻いていくと改めて両手を合わせて、その場で目を閉じて祈っている。


 ……奇妙な感じだが、よく見ると汚れも無く綺麗な長い黒髪と合間って、俺には狐目の姿を一瞬だけ、神聖な存在に錯覚する。こんなのに縋る玄田さんも心配だが、俺がしっかりと所詮胡散臭い詐欺師だと認識しなければ。……にしても背中にまで彫られている気味の悪い文字はなんて書いてあるのか、この距離だと見えない。


「お仕事も終わりましたんで、とりあえずデッカくて広いホテルでも用意しといてや、あ、お支払いはそっち持ちで頼んますよ」


 狐目は調子良さそうに鼻歌交じりで着替えている。玄田さんの命令で、部屋に戻した組員達の内の一人が分厚いアタッシェケースを持ってくる。……俺は目を伏せて、これから起きる事の準備を、どう奴の死体を処理したらいいかを頭の中で考える。


「悪いが前払いは現金で良いか。後の残りはお前の指定するやり方で渡す」

「今時現ナマかいな。古風でんな」


 ……狐目は気づいてなさそうだが、アタッシェケースとひっそりと共に渡されたのはデリンジャー、言わば不意打ち、騙し討ち用の掌に収まる小型の拳銃だ。かなり型式は古いがしっかりと整備されていて一発だけなら問題無く人間を撃ち抜ける。


 玄田さん曰く、油断し切った奴の死ぬ間際の表情が一番興奮する、という理由で意に添わない取引の際にはこの手段を使っている。蓋を開いて中の現金を見せて油断させ、閉じた瞬間にこいつを撃ち殺す。そういう算段だ。


「これが俺のやり方でな」

「ひーふーみー……ま、ええわ。オッケーです」


 懐に隠されたデリンジャーにも気づかず、玄田さんが蝶番を開けてみせるケース内の現金を見、狐目は承諾する。……俺自身お前に恨みがある訳でもないが、玄田さんに目を付けられた時点で運が悪かったんだ。諦めてくれ。と油断しきっているのか、狐目はこちらに背を向けた。


「受け取れ――――あの世でな」


 片手のアタッシェケースを振り払いながら、玄田さんが狐目の心臓部に向かって引き金を引こうとした、その時だった。狐目がこちらに振り向きながら指に挟んだ札を見せつけ――――え? 


「あんた、クソ狸やな」


 一瞬、ぐらりと視界が揺らいだ。目眩か、と思って態勢を立て直し……俺は目の前の光景に自分の目を疑う。


 狐目に容赦無く放たれた筈の弾丸は、玄田さんのもう片方の手の甲に深々と風穴を開けている。音も気配も無く、狐目は玄田さんの額にあの札を貼り付けている。


 しまった、抜かった、と俺は早急に預けた武器を取りに行こうとした瞬間、玄田さんが崩れ落ちる様にその場に転倒すると、完全に錯乱した様に泣き喚いている。俺は慄いて、すぐさま玄田さんに近寄るが


「げ、玄田さん! 落ち着いてくださ」

「く、くるな、来るな来るなくるな!!」

 

 泣き叫びながら蹴り飛ばされ、腹にドスンと熱い痛みが走る。それでも俺は急いで玄田さんを守る為に追いかぶさり、狐目を警戒しながら組員達を呼び寄せようと顔を向ける。


「お前ら玄田さん運……」


 視界の一端に、明らかに不慣れな様子で拳銃を握る若い奴が映り込む。恐らく玄田さんが使う場面は無いだろうが一応の保険で持たせたんだろうが、明らかにこんな状況下じゃただの荷物どころか――――。


「バカ! こんな至近距離でそんなの」


 怯えきった様子で反射的にそいつが引き金を引き、耳栓もしていない故、銃声がキーンと鼓膜で鳴り響き頭が揺さぶられる。狙いも定められずに放たれた弾丸は地面を跳弾して、間抜けにも近くにいた人間の膝へと減り込み、余計な被害を増やす。馬……鹿野朗何してんだ! と怒鳴りかけた時。


「霊を祓えるっちゅーことは、霊を降ろせるっつー事や。覚えとき」


 狐目が音もなく拳銃馬鹿の間合いに立つと、あの札を勢いよく頭に叩きつけた。途端、気が触れた様に拳銃馬鹿は叫びながら乱射する。絶叫、怒声、銃声。元より頭数程度にしか考えてなかった奴らだったが、最早誰が敵で味方かもわからず、混乱したまま互いに鉄パイプやバットで殴り合い、殺し合っている。


 頭がどうにかなりそうだ。この世界に入って色々な修羅場は見てきたがこんな……こんな馬鹿げた、たった一人にかき乱され、混沌となる修羅場、見た事がない。


 だが、それでも俺には……俺には仕える身として玄田さんを守らなきゃならない責務がある。同士討ちにパニックを引き起こして阿鼻叫喚になってるあいつらはもう頼りとかのレベルじゃない。ひり付く血の匂いと、掌を濡らす血溜まりに辟易しながらも俺はどうにか、この場から玄田さんを……。


「……玄田、さん?」


 俺は屈んで玄田さんの顔を覗き込む。……あぁ、ああ……。あああ……。生気、どころではなく、玄田さんの目はただの穴に変わり果てていた。狐目が何をしたのか、この人の何を奪ったのかは俺にはわからない。わからない、が。


 俺から仕える人間を奪いやがったのは、確かだ。


 俺の体は俺自身の意志よりも勝手に動き出し、滑り込む様に落ちている拳銃を拾い上げながら立ち上がる。そして悠然と立っている狐目の頭部へと銃口を突きつけていた。


「化け物が……」


 この距離なら外さない、外しようがない。この人差し指を引けばこいつは死ぬ、殺せる。どんな奇怪な存在だろうが、脳味噌に鉄の塊をぶち込めば、が。


「失礼やな。あんたと同じ人間やで。お兄さん」


 目と鼻の先、あの札を挟んだ指先が、俺の額にぴたりとくっ付いている。気づけば奴に完全に先手を取られていた。俺が撃つワンアクションより、こいつが術を使う方が早いのが明白だった。それに……構えた所で気づいた。この拳銃には予備含め、既に弾は、ない。


「あんたも不幸やな。主人があのクソ狸じゃなきゃええヤーさんになれたのに」


 額に札を突きつけられた、傍から見たらいささか間抜けだろう状況で狐目は俺にそう言う。俺は……。


「……殺せ」


 初めて、俺は狐目の顔を正面から認識する。違う。ずっとヘラヘラと、何もかも薄ら笑っている様な目に思えたが、違う。こいつの目に笑みなんて、ない。


 どこまでも暗く冷たい、虚無に満ちた目だ。俺を映し込むその目は、最初から何も映してなんて、いなかった。俺は持っている拳銃から手を離した。白旗だ。


「俺は……こういう生き方しかしらない」

「お気の毒様」

「……お前にとったらあんな人でも、俺には親だった」

「せやろね」


 もう俺には仕える人間も、仮にここから命を救われた所で行く先などない。力なく両膝を地に突き、両手を膝につく。顔を見上げると、黒髪と合間って俺には狐目がまるで邪神か何かに見えた。あるいは伝承にある狐の化け物……九尾、だったか、それかもしれない。


「……頼む、殺してくれ。俺にはお前に差し出せる物はない。何も……無い」


 俺は懇願する。札を貼られて発狂しながら死ぬのは想像するだに最悪だが、騙し討ちを仕掛けたのは間違いなくこちら側、現に狐目は霊を祓う約束を果たした。仁義道理に反する事は正直何度もしてきたが、その報いが全て返ってきたと思えば仕方がないと飲み込める。


 俺が黙して、狐目からの審判を待ち続けているとふいに、額から薄い感触が消えた。……何故だ、何故、俺を殺さないんだ。不思議に思い、俯いている面をあげると狐目は一体どこから取り出したのか、箱がくしゃくしゃな煙草の角を叩くと、気怠げに一本取り出して一服し出した。


「まっずいな、この煙草」


 きょとんとしていると、咥えた煙草を口から離し、狐目は俺に言う。


「あのな、美味ないねん、死にたがりな魂喰った所で。イキイキと死にたないって足掻いてもない。もう死んでんねん、あんたは」

「ち、違、俺は……」


 俺の前にしゃがんで、狐目は細く長い人差し指をとん、と額に当ててきた。当てて、僅かに口角を上げて。


「人を見る目あんねん私。あんた、ガキん頃からあの狸にずっと飼われてたんやろ。それが愛か情かは知らんけど」


 そうして、狐目は吸っている煙草を熱くないのか手で揉み消すと、立ち上がってその掌を俺の両目に当ててきた。灰の燻る匂いと、人とは思えない冷たさが俺の顔を浸す。


「気まぐれや。生かしといたる。これから真面目に生き直すなり、私を見つけて仕返すなり好きにせえ。ただ」

 

 途端、俺の視界は暗闇に染まる。光が一寸も無い、暗闇が。


「次会う時は喰いたくなる生き方せえ。顔は好みや」


 

 気づいたら俺は見知らぬ、いや、病院の天井を見上げていた。あの後、狐目に眠らされてからの事は何にも思い出せないが、病院の看護士や、事情聴取にきた刑事からの話だと、俺の体はあの廃墟近くの道端に転がっていて、たまたまパトロール中の警官が見つけたらしい。


 真夜中に銃声がした、という通報を聞いて警察があの廃墟に踏み込んだ時、そこには誰も――――それこそ、玄田さんや、一緒に来ていた組員達も消えており、代わりにおびただしい量の血痕と複数の湿ったお札だけがその現場に残されていた。警察は殺人事件の線で玄田さんらを捜索し続けたが、本当に影も形も消えてしまった様に見つからなかった。


 見つからない、というと狐目の男もあれ以降……俺自身コネや情報網をありったけ頼ったが、もう幾分かの歳が過ぎても奴の尻尾を掴まえる、どころか目にする事さえない。結局狐目の男が何者で、何故あんな奇妙な術を使えたのか、何故、唯一俺を殺さないまま去ったのか……もう、遠い昔の話だ。


 俺自身の話をすればあれ以降、物凄い紆余曲折もしたし苦労も重ねたが業界から足を洗い、地道に堅気の生活をしている。生まれ変わって、とか心を入れ替えて、なんて綺麗な言葉並べるつもりは無いが……小癪だがあの狐目の言葉に射抜かれてしまった気はする。だいぶ羽振りも生き様も慎ましく質素にはなってしまったが、これはこれで、悪くは無い。


「あーみやさんまた非常口で吸ってる! オーナーに怒られるっすよ!」

「悪かったよ……。ていうかお前もサボってんじゃねえかよ」

「俺は良いんすよ! 真面目なんで」

「真面目な奴は自分で真面目って言わねえよ」


 とやかましいこいつは同僚のヤスオ。同僚、と言いつつ俺より二回りは年下だが、仕事は早いし気立てもいいから付き合いやすい。仕事の合間のズル休み仲間でもある。


「それよりみやさん聞いてくださいよ! 俺この前めっちゃめちゃ面白い人と初対面なのに飲み明かしたんすよ!」


 俺は飲み干した缶コーヒーをぶらつかせつつ、ヤスオのくだらない話に興じる。


「お前この前もそんな話してなかったか? 宇宙人に連れ去られたおっさんがどうの」

「その人とは比べ物にならない人なんすよ!」


 俺は苦笑しながら、その先の話に耳を傾け――――。


「なんかスッゲー変な人なんすよ、変な関西弁? みたいなの使う、髪がさらっさらの若いお兄さんなんす。んで、びっしり腕にまでタトゥーあって、え何すかこれ! って聞いたら今まで成仏させてきた人の名前、懺悔として彫ってあるとか言ってうわ、マジヤバヤバじゃんこの人!! って」


 持っている缶コーヒーが掌からすり抜けた。俺は聞き返そうとしたが、ヤスオは構わず話し続ける。


「おい、ちょっと……」

「なんか、俺もマジかな〜フカしてんのかな〜って思いながら話聞いてたんすけど、変に説得力あるんすよその人。ヤクザ専門で除霊してたとか、素性をすっごい隠してるとか一見全部荒唐無稽なんすけど、お腹のタトゥーとかよく見るとマジで人の名前で俺鳥肌ぶわー立っちゃって」

「ヤスオ!」


 気づけば俺は声を荒げていた。ハッとして、ポカンと口を開けてこちらを見ているヤスオに冷静さが戻る。だが、内心は掻き乱されていた。嘘だろ、と。


 俺が奴に……奴に出会ったのはもう20年前だぞ……。それから探すために時間も金も膨大に費やして、それでも結局見つからなかったのに、何故……。


「みやさん急にどうしたんすか、顔色悪いっすよ……」

「……ヤスオ、そいつと写真、いや、なんでも良い、何か撮ったりしてないか」

「いやいや無理ですよ、大体初対面ですし名前も聞いてないっす……あ〜そっか。聞いときゃ良かったっすね。楽しい人だったし。……ていうかみやさん、もしかしてその人とお知り合い……とかですか?」


 興味津々にそう聞いてくるヤスオに、俺は背を向けて雑多な歓楽街の喧騒を眺める。いる。奴がこの街に、いや、違う。まだ、この世界に、いる。


「みやさん……?」


 俺は高鳴る、これがどういう感情なのか、よもや愛情か殺意なのかも自分で判断し得ないが――――消えていた炎が新たに灯り始めたのを感じている。振り返り、俺はヤスオにある種最終確認を行う。


「なぁ、ヤスオ」

 


「そいつの目、狐に似てなかったか?」



<了>

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