03:かつての夢

 この大地でアカリは多くの人に出会ってきたが、その人々は例外なく出会った途端にアカリを殺そうとしてきた。がしかし、この少年は違う。アカリを殺すどころか、助けてくれた。

 ただの気まぐれ、という説もある。もしかしたらこうしてアカリが理由を聞いたことで少年の気が変わり、殺されてしまうかもしれない。

 しかし、なぜだかアカリには自分が少年に殺される姿がまったく想像できなかった。

 先ほどまでの少年の視線が、声音が、その一挙手一投足が直感的にアカリにそう感じさせたのだ。


「えぇっと……そうだなぁ……別に、大した理由じゃないよ」


 頭をかきながら照れくさそうに答える少年。


「まぁ、君のことはなんだか殺したくなかったんだ。それだけの理由だよ」


 少年の答えに、アカリは目を大きく開いて驚いた。


 ヴァルハラにこんな人がいるのか、と。


 今まで何度も命の危機に瀕してきた。何度も命を奪われそうになった。何度もゲインのような戦士に出会ってきた。

 襲い来る殺意から逃げるたび、アカリの心は疲弊していき、生き延びることへの希望が黒く塗りつぶされていく。

 そんな身も心も疲れ切ったアカリの前に現れ、命を救ってくれた少年はまさにアカリにとっての救世主だった。


「……ねえ、君はどうしてここで戦っているの?」


 座り込むアカリの視線に合わせるように少年はしゃがんで、質問してきた。

 アカリはその質問に答えるために過去の記憶を呼び戻す。

 平穏に過ごすはずだったアカリの人生を狂わせた、忌々しい過去の記憶を。


「わたしは……私は、こんなふざけた所、来たくなかった——」


 怒りからか、悲しみからか。思い出すだけで自然と涙が溢れてくる。

上ずる声で何とかアカリは、自身の凄惨な過去を吐露した。






 今から三ヶ月と十日前。

 アカリの住む町に、突如として神々が降臨した。

 神々はヴァルハラで戦う戦士を補充するためにアカリの住む町に降り、生贄を百人ほど連れていくと告げた。


 神の決定は絶対。逆らう者にはすべからく罰を。


 もしも町が生贄を捧げることを拒否すれば、天から落雷が降り注ぎ町は一瞬にして壊滅してしまう。

 人々が神の命令に逆らえるはずもなく、町は生贄を捧げることを了承した。

 町は公平に生贄を選ぶために、町人すべてに番号付きの札を渡してランダムに選ばれた番号の人々を生贄に捧げることにした。


 そして、その中にアカリは入ってしまった。


 選ばれてしまったアカリは、家族と最後の時間を過ごす暇も与えられず、ヴァルハラに強制送還されてしまう。

 そしてアカリを含めたヴァルハラに送られた人たちを出迎えたのは、まさに地獄のような出来事だった。


 すでにヴァルハラで戦う者にとって、新しくヴァルハラにやってきた者はただの餌でしかない。送還されて早々、アカリたちはその命を大勢の者に狙われることになった。


 ある者は巨大な剣で体を両断され、ある者は四肢を順にもがれながら殺され、ある者は戦士たちに犯されながら死んでいった。

 親しかった友人。行きつけのパン屋の店主。幼いころから優しくしてもらっていた老夫婦。淡い恋心を抱いていた相手。アカリの目の前で、多くの者が残酷な死を迎えていく。

 響き渡る悲鳴。剣が肉を断つ音。耳を刺すような絶叫。血の噴き出る音。

 そのすべてから逃げるようにアカリは全力で走った。走って走って走って、逃げ延びた。いや、逃げ延びてしまった。

 逃げても逃げてもアカリを襲い続ける絶望。いっそ、あの時みんなと一緒に死んでいたほうが楽だったかもしれないと何度も思った。

 みんなが死んでいく姿は忘れられず、思い出すたびに体中が震え、涙が溢れ出てくる。


「なんで神様は、私たちにこんなことをさせるの? 神様は人々を守る存在じゃなかったの? こんなことが面白いってなんで思えるの……?」


 大粒の涙をこぼしながら、アカリは少年に胸の内を明かしていく。

 今まで溜め込んでいた不安・恐怖・絶望を目の前の少年、救世主にすべて吐き出す。


「私、なんでこんなに頑張ってるんだっけ? 何のためにここで生きてるんだっけ? 逃げても逃げても、先にあるのは絶望だけ…………このまま逃げ続けるくらいなら、いっそ死んで楽になったほうがいいのかなぁ……」


 こんなことを出会ったばかりの少年に話したところで、どうにかなると思っていない。

 それでも、ヴァルハラ内で唯一出会った優しい目を持つ少年に溜め込んでいた胸の内を吐き出さずにはいられなかった。

 アカリの話を聞いた少年は、案の定どういった返答をするべきか迷っているようだった。


 しかし、少年は何かに気づいたのかアカリの近くを指さしながら口を開いた。


「君、それは——」


 少年に指摘され、アカリは少年の指さす場所を見た。

 そこに落ちていたのは、手の平に収まるほどの大きさの銀色のロケットペンダント。


(このロケットは……)


 アカリはロケットを拾い、ふたを開ける。

 中にあったのは、大好きな家族と撮った写真。今となっては懐かしい、幸せな時間を切り取った一枚の小さな写真だった。


 ヴァルハラに送還され、絶望に押しつぶされそうになった時。アカリは決まってこのロケットを開き、家族のことを思い出して何とか生きる希望を紡いできた。

 しかし、幾度も襲ってくる絶望から無我夢中で逃げ続けているうちに、いつしかロケットの存在すら忘れるほどになってしまっていた。

 何十日かぶりに開いた銀色のロケットは煤色に汚れ、中身の写真も茶色がかってしまっている。


 それでもアカリにもう一度、生きる希望を与えてくれることに変わりはなかった。


「君はさっき、死んだ方が楽になれる。みたいなことを言ってたけど、それは間違いだと思う。だって、君が帰りたがっている場所には、まだやり残したことがいっぱいあるはずだから」


 少年の言葉を聞いて、アカリはかつての夢を思い出す。


「……私、将来はお花屋さんになりたかったの。それで、町中を花でいっぱいにして、綺麗に彩ることが夢……」


 夢を思い出したアカリは、続けてかつての約束を思い出す。


「お花屋さんになったら、各地の珍しい花を集めて、それをお母さんとお父さんにプレゼントする約束だったの。その他にも、隣の奥さんにはブバルディア、大通りにあるレストランにはアルストロメリア、教会には色とりどりのチューリップ。他にもいっぱい花を届ける約束をしてる……」

「素敵な夢だね。それじゃ、なおさら生きて帰らなきゃいけないじゃん」


 アカリの夢と約束を聞いた少年は、立ち上がりざまに言う。

 少年に続いてアカリが立ち上がると、少年は言葉を続けた。


「俺にはチジョウって所がどういう場所なのかはわからないけど、ここヴァルハラがどれだけ腐った世界なのかは十分知ってる。だからこそ、君はこんなふざけた世界に負けたらダメだ」


 アカリの瞳をまっすぐに見つめながら話す少年。

 少年の目はまっすぐ前だけを見ており、一切の曇りがない。


 それはまさに、生きることに立ち向かっている・・・・・・・・・・・・・・者の瞳だった。


「そういえば、まだ名前を言ってなかったね。俺の名前はエイト。君は?」


 エイトは自身の右手を差し出しながら名乗る。

差し出された右手をアカリは同じく右手で固く握り、握手を交わしながら名乗り返した。


「私の名前はアカリ。ありがとう、エイトくん」


 もう一度生きる希望を思い出させてくれた、救世主エイトに感謝を述べながら。

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