02:影の少年
「ぶべへぁっ⁉」
突如として耳に響いたのは、ゲインのものと思われる叫び声。
何事かと思い目を開くと、そこには通路の右側から来たであろう少年にゲインのスイカのように大きな顔が蹴り飛ばされている姿があった。
無様に転がるゲインの巨体。僅かな松明の光が着地した少年のシルエットをぼんやりと映し出す。
まるで洞窟の暗闇に紛れるかのように全身を真っ黒なコートに包んだ少年。そのせいか対照的に雪のように白い肌が強調され中性的な幼い顔がはっきりと見えた。
「こんな狭い洞窟であんたみたいな大柄な奴が戦うもんじゃないぜ」
「あァ⁉」
蹴り飛ばされたゲインは目を真っ赤に血走らせ、殺意のこもった視線を少年に浴びせる。
ゲインはゆっくり立ち上がると、斧の柄を両手で歪めんばかりに握り「殺す」と一言漏らした。
あふれ出る殺意が洞窟の壁を揺らし、天井から落ちた水滴がアカリの鼻先に落ちる。
その瞬間、ゲインはその丸太のような腕を振り上げ、仁王立つ少年に斧を全力で下ろした。
「死ぃねやぁぁあぁあぁぁ‼」
雄叫びが洞窟内に響き渡る。壁がさらに揺れ、天井から無数の水滴が雨のように降りつける。
振り付ける水滴が視界のほとんどを埋める中、目に映るのはゲインの攻撃を最小限の動きで華麗に躱す少年の姿だった。
「一つ、教えといてやるよ」
腰に差した剣を右手で抜いた少年は、アカリの目には捉えられないほどの速度でゲインの首元を一閃した。
「戦闘中に興奮して冷静さを欠くのは、負けへの布石だぜ」
首元から大量の血を吹き出すゲイン。苦しそうにもがきながらその場に倒れ、最後の言葉を言うこともなくそのまま静かに落命した。
あまりにも突然の出来事に、アカリは事態の収拾が追い付かないでいた。しかし、そんなことなどお構いなしに再び奇妙な現象が目の前で起き始める。
すでに死亡したゲインのちょうど心臓部分から白い球状の発光体が浮かび上がり、少年のネックレスについている卵型の宝石に吸収されたのだ。
どういうことなのだろうか?と目の前の現象について考えようとした時、少年がアカリのもとに向かって歩き始めた。
「ひっ……!」
次第に迫ってくる少年の姿にアカリは恐怖した。
ここヴァルハラにおいて、誰かと出会うことはつまり戦闘開始を意味する。アカリはそれを何度も身を持って体験してきた。
加えて相手は、あれほどの殺気を放つ大男相手に一切ひるむことなく瞬殺した強者。
そんな強者がこんな満身創痍な弱者を見逃すはずもない。まず間違いなく殺そうとしてくるだろう。
何とか逃げようともがくも、まだ完全にダメージが回復していないせいで立つことすら叶わない。
「動かないで」
その声を聞いて少年の方を見てみると、少年は剣を収め、腰に下げたポーチをゴソゴソとあさった。
その後、少年がポーチから取り出したのは、薄い緑色の液体が入った瓶。
(あ、あれは毒だ)
見ればわかる。あんな変な色をした液体。毒以外の何物でもないだろう。
わざわざ剣で殺さず毒殺しようとは、なんて悪い趣味の持ち主なのだろうとアカリは恐怖と共に少々の呆れを覚える。
そんなものを見て「動かないで」なんて命令に従えるはずもなく、床を這ってでも何とかその場から逃げようとした。
「ちょっと待って! これは回復薬だ。決して毒なんかじゃない」
こちらの心を見透かしたかのような少年の言葉に身体が止まる。
少年はアカリのもとに駆け寄ると、瓶の蓋を開け、飲み口を僅かに開いた口元に当ててきた。
回復薬と言われれば、確かにそう見えなくもない気がする。が、先ほど出会ったばかりの少年の言うことを簡単に信じてもいいのか。
どのみち今の状況では逃げることもできない。一か八かアカリは、口内に流れ込んでくる液体を飲み込んだ。
舌をチクチク刺すような苦みに耐えながら液体を飲み干すと、不思議なことにアカリの全身を淡い光が帯び始め、先ほどまであった体中の痛みも疲労もすべてが見る見るうちに回復していく。
「これはユグドラシルの樹液と言って、味はイマイチだけど回復効果は絶大なんだ」
空になった瓶をポーチに戻しながら、少年はどこか自慢げに話をする。
アカリは何の言葉も発さず、ただあっけにとられた表情で少年の話を聞いた。
「出口の場所はわかるでしょ? この洞窟は危ないから早く出たほうがいいよ。それじゃ」
笑顔で別れを告げた少年は、アカリのもとから立ち去ろうとする。アカリは大声を出してそれを止めた。
「ま、待って!」
少年は少々驚いた様子でアカリの方へ振り返った。
少年を呼び止めたまでは良かったものの、その先の言葉を考えていなかったアカリは、幾度か口をパクパクさせ、何とか思っていた疑問を口に出した。
「なんで……なんで、私を殺さないの?」
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