ヴァルハラ・エンゲージ

明原星和

01:天上の殺し合い

 この平和すぎる世界に、神々は退屈していた。


 地上で国同士の争いは時々起こっているが、どれも小競り合い程度のものばかり。


 たまに自然災害を起こしてみたりするが、ほんの少しの退屈凌ぎにしかならない。


 だから神々は、そんな退屈をなくすために新たな娯楽を創り出した。


 雲の大地よりもはるか上空に位置する空と宇宙の境目。そこに新たな大地を誕生させたのだ。


 その名をヴァルハラ。天の箱庭と称されるその神々の楽園は、とても箱庭という言葉では収まらないほどに壮大である。


 生える植物はどれも生命力に満ち溢れ、地上では見ることのできない多くの生物が生息し、まるで幻想的な本の世界に迷い込んだかのような感覚を覚える。


 神々はそんな美しくも幻想的なヴァルハラに地上の人々を誘い、そして殺し合いをさせた。


 人々は時に同族同士で、時に凶悪な化け物相手に戦うことを強いられ、神々はその様を見て大いに楽しんだ。


 神々の娯楽のためだけに殺し合いを強要される人類。


 彼らがヴァルハラに恐怖の念を込め「天の地獄」と呼び始めたのは、もう昔の話である。






* * *






(やばいやばいやばいやばい!)


 湿った空気が充満する暗闇の洞窟内を等間隔に並べられた松明の僅かな光が照らす。

 その僅かな光が辺りの壁を伝う水滴に乱反射し、さながら星の輝きのように暗い洞窟内を包み込む。

 そんな洞窟を少女、アカリは栗色の髪を激しく揺らしながらひた走っていた。


「こんなの、どうしろって、言うのよ——‼」

「ゲヘヘ。待ってくれよお嬢ちゃん」


 息を切らしながら逃げ惑うアカリを二メートルはあろう大柄の男が洞窟内の壁に体当たりしながら、不格好な走りで追いかける。


 今までで必死に綺麗に保っていた長い髪は、地面を蹴るたびに振り乱れてしまい、いっそのことバッサリ切ってやろうかと思うほどに邪魔になっている。

 洞窟内で大げさに響く足音は、耳に多大な聴覚情報を与え脳を直接刺激してくる。


 男は距離が縮まった瞬間に右手に持った深紅の斧を振り下ろした。


「いやぁ——‼」


 振り下ろされる斧を何とか躱そうと、斧が身体に当たる直前に地面を足で力強く踏み蹴り、常人ではまずありえないであろうスピードで攻撃を躱した。


「チッ、またかよ」


 幾度目かの攻撃を躱された男は少々のいら立ちを見せ、再びアカリを追いかけ始める。

 猛スピードで走りながら後方を確認し、男との距離が次第に遠のいていくのを視認した。


「よし、この調子でいけば逃げきれグッ‼」


 直後、全身を激しい衝撃が襲った。

 後方を見て走っていたせいで前方確認を怠り、道の先がT字に左右に分かれていることに気付かずに壁に激突してしまったのだ。


 突然の強い衝撃に耐えることができず、ジンジンと痛む身体がその場に崩れ落ちた。

 かろうじて意識は保っているけれど、どうやっても体を動かすことは叶わない。

 何とかして立ち上がろうともがくが、先ほどまで全力疾走していた疲れが急に全身を襲い、アカリの僅かな抵抗さえも阻害してくる。


「ゲヘヘ。終わりだなお嬢ちゃん」


 そこに荒い息遣いをした男が追いつき、暗闇でもわかるほどに目をギラギラと不気味に輝かせながらアカリの前に立った。


「このゲイン様をここまで手間取らせるとはな。その常人離れしたスピードはお前が履いてるそのブーツのおかげかなぁ?」


 ゲインは舐めるような視線でアカリを見まわし、太い指でアカリの履いている白いブーツを弄るようにつつく。


「まあそれもお前を殺してから確認すればいいこと……じゃあな、お嬢ちゃん。ここまでご苦労様でしたぁ」


嘲笑を浮かべ、アカリに最後の言葉をかけたゲインは、斧を目一杯に振り上げ一気に下ろした。

 どうすることもできないと悟り、アカリは自分に向かってくる斧をただ見つめた。


 すべてがスローモーションのように動く中、アカリの頭にはかつて家族や友人たちと過ごした暖かい日常の記憶が溢れんばかりに浮かんでくる。


(あぁ……きっとこれが走馬灯というものなんだろう)


 斧が振り下ろされるまでの一瞬の間に、一つ一つの思い出を噛みしめる。

 死を目前にしてなお、アカリの心を支配するのは「あの頃に戻りたい」という思い一つだった。


(お父さん、お母さん……また、みんなに会いたかったなぁ……)


 叶わぬ願いを悔やみながら、アカリはただ目を瞑り自分の最後の時を待った。

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