ブルース・ウィリスとハリソン・フォード:看板俳優とはなにか

 さて、次は80年代に生まれルーカスとスピルバーグの作品をテレビで観て育った私も物心がついてきた90年代のお話。



 ハリウッド俳優達の中で一際すごい人たちがいる。


 どんな俳優たちかと言えば、宣伝ポスターで、その人の顔がドアップでドーンっとあるだけでストーリーも何も確認せずに「面白そう。観に行こう」と思わせてしまう、いわゆる『看板俳優』たちだ。


 はっきり言って、今の現役主役世代では『看板俳優』とまで呼べる俳優はいない。かろうじてあげるとすれば、ロック様ことドウェイン・ジョンソン氏くらいであろう。ただ、ロック様とて、プロレスや映画をたくさん観ない人たちは知らないのではないか。


(これは映画以外の娯楽が増えたことに起因しているし、情勢的にも多様化で個人が活躍する作品よりもグループで力を合わせて成し遂げる作品の方が受けている等、多数の要因があるので、一概に魅力ある俳優が減ったというわけではない)


 90年代まで(または00年代の初頭くらいまで)の看板俳優たちは、映画をよく観ない層にまで顔と名前が知れ渡っていた。


 80年代生まれの私のそんな看板俳優は「ブルース・ウィリス」と「ハリソン・フォード」である。


※おそらく「僕はショーン・コネリー!」だとか「クリント・イーストウッドが抜けてる!」だとか「私のトム・クルーズ様が入ってないなんて、ありえないわッ!」だとかこれを読んだ人は、各々の推し看板俳優を思い浮かべて色々思うだろうが、まぁ読んでくれ。



 まずは、ブルース・ウィリス氏。

 私は、何を隠そう『ダイ・ハード』が大好きだ。今でも毎年クリスマスには、『ダイ・ハード』か『ダイ・ハード2』かどちらを見るか迷うくらい好きだ。


 おそらく物心をついて初めて「私はこれが好き」と認識した映画が『ダイ・ハード』シリーズだった。


 ブルース・ウィリスが意味ありげに微笑めば、銃の弾は致命傷に当たらないし、ビルだって吹っ飛ぶし、、最後にはタンクトップで裸足になってマシンガンぶっ放して敵を倒して、人々を未曾有の危機から救えるのである。


 少し前にアマゾンプライムで『AI崩壊(2020)』という日本映画を観ていて、暴走する殺人AIに対して右往左往する人物たちに対して「面倒くせぇな、マクレーン刑事呼んで来い。AIのサーバー入ってるビルごと爆破してもらえ」と思ったくらいブルース・ウィリスの演じるマクレーン刑事が大好きだ。


 先日、そんなブルース・ウィリス氏はご病気で引退を表明された。普通につらかった。私は、そのニュースを読んで、ちょっと泣いた。『RED3』観たかった。



 続いて、ハリソン・フォード氏。

 私は『スターウォーズ』よりも『インディ・ジョーンズ』派なのだけれど、ハリソン・フォードを好きになったキッカケは、それとは少し異なる。


 父は、トム・クランシーの小説が大好きで、よく映画化したものを観ていた。


 そう『ジャック・ライアン』シリーズである。


 ハリソン・フォードがジャック・ライアンを演じた映画は意外にも『パトリオット・ゲーム』と『今そこにある危機』の2作品のみであるが、ジャック・ライアンといえばハリソン・フォード。ハリソン・フォードと言えば、ハンソロでもインディーでもなく、ジャック・ライアンなのである。


 ハリソン・フォードが意味ありげに微笑めば、銃の弾は致命傷に当たらないし、ビルだって吹っ飛ぶし、、最終的にはワイシャツの前がはだけたセクシーな恰好で頭から血を流しながらも敵を倒し、人々を未曾有の危機から救えるのである。


 特に私は『今そこにある危機』が死ぬほど好きである。助演のウィレム・デフォーがまたいい。観てない方は観てほしい。

※いまだと『レッド・オクトーバーを追え! 』『パトリオット・ゲーム』『今そこにある危機』の3作品ブルーレイパックが売っているのおススメ。



 ああ、なんだか話が逸れてしまった。


 ここまで読んでくださった方はわかるだろう。


 看板俳優に必要な素養を。そう――――



「意味ありげに微笑めば、銃の弾は致命傷に当たらないし、ビルだって吹っ飛ぶし、、最終的に敵を倒し、人々を未曾有の危機から救える」


という絶対的な安心感と証明力である。



 現実的に考えれば、絶対にありえないご都合設定やお約束展開だって、彼らが演じれば、具現化され現実世界に『約束された勝利の剣最高のエンターテインメント』として受肉し降臨するのだ。




 そんな看板俳優たちが活躍する映画をよく父はレンタルビデオ屋で借りてきてくれた。私は、ストーリーの意味もまだよくわかっていなかったろうに、彼らに魅せられて夢中で、父の隣で観ていたものだ。


 父にとってのそんな看板俳優は誰だったのだろう。勝手に一人は「ショーン・コネリー」だったのではないかと思っている。直接聞いたことはなかったけれど。


 父が亡くなって数か月して、サー・ショーン・コネリーも亡くなられた。


 父も天国で出待ちして、ショーン・コネリー氏の握手サイン会に並んでいるんじゃないか。ショーン・コネリー氏が亡くなられた時、とてもとても私は悲しかったのだけれど、そう思ったら、フフフと笑ってしまった。

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