「ニューシネマパラダイス」って映画論語るには名前つけとけばいいと思ってるだろ!正解ッ!
笹 慎
ルーカスとスピルバーグ:娯楽とはなにか
数年前、父が食道がんで亡くなった。父はハリウッド映画の中でも「バッキュン、バッキュンなアクションミリタリー映画」が好きだった。私の映画好きは、そんな父との思い出の話でもある。
私は80年代生まれだ。
そんな80年代の映画(特にハリウッド映画)について語る前に、まずは60年代から70年代のアメリカ映画史から語ろう。
アメリカは1954年~1975年の間、ソ連との冷戦でベトナム戦争をしていた。この約20年にも及ぶ長い戦争(しかも戦果が乏しい)で生じた国民の鬱憤は、映画界においては、ニヒルでシニカルでアンニュイで憂鬱で鬱な作品が流行ることで表に現れる。
いわゆる「アメリカン・ニューシネマ」作品だ。この時代の映画を見ると、どこにでもロバート・デニーロがおり、ダスティン・ホフマンがいる。そして、今でも巨匠と称される映画監督たちを続々と輩出した時代でもある。
スタンリー・キューブリック
マーティン・スコセッシ
フランシス・フォード・コッポラ
ロマン・ポランスキー etc etc etc
アメリカン・ニューシネマ時代の映画は確かに人間の心理に迫る名作が本当に多い。「映画とは何か」と問われたら、この時代の映画をあげる人は多いと思う。
だが、これらの映画を観たことある人ならわかると思うが、これらの映画は非常に観るのに体力も精神力も使い果たす。下手をすると、これがキッカケでしばらく抑うつ状態に陥るほどだ。
アメリカ人だっておそらく一緒だったのだろう。このアメリカン・ニューシネマ時代は、突如として終焉を迎える。
1975年の『ジョーズ』(スティーヴン・スピルバーグ)
そして、
1977年の『スターウォーズ』(ジョージ・ルーカス)の公開をもって。
そう。鬱屈したベトナム戦争は終わったのだ。映画を観てまで憂鬱になる必要はない。特に娯楽映画『スターウォーズ』はアメリカ国民に熱狂的な支持をもって迎え入れられた。
「アメリカン・ニューシネマ-反逆と再生のハリウッド史(2003年)」において、あの負けず嫌いなスコセッシ監督やコッポラ監督でさえ、ルーカスとスピルバーグの天才性を認める発言をしている。
そして、私が生まれた80年代、ジョージ・ルーカスとスティーヴン・スピルバーグは、タッグを組んで映画界を大席巻したのだ。どんな映画だって?
たぶんみんなが知ってる作品だ。
『インディ・ジョーンズ』シリーズである。ちなみにインディ・ジョーンズ1作目のタイトルは、『インディ・ジョーンズ』ではなく『レイダーズ 失われたアーク』である。その後、二作目以降は『インディ・ジョーンズ ○○』といったタイトルになった。
みんなは『インディ・ジョーンズ』と聞いて、どんな話を思い浮かべるだろうか。おそらく作品自体観たことない人だってこう答えるのではないだろうか?
「インディ・ジョーンズがお宝巡って冒険する話」
正解ッ!
これがどれだけ凄いことかわかるだろうか? 『インディ・ジョーンズ』シリーズに限らず、ルーカスとスピルバーグの作品は高確率でどれも観たことない人でもあらすじを言えるのだ。かなりヤバいことである。
つまり、『常識化するほど流行った』といえばわかるだろうか。
アメリカン・ニューシネマ時代の名作はどれも「タイトルは聞いたことがあるけど、どんな話か知らない。でもオシャレだからポスターは知ってる」っていう人がほとんどだろうが、ルーカスとスピルバーグの作品はみんな内容も知っているのだ。
繰り返し繰り返し、彼らの作り上げたキャラクターやストーリーは多種多様な分野(コミックや舞台など)でパロディにパロディを重ねられて、ついには『常識化』した。
面白いのに泣けるところは泣ける「わかりやすい」ストーリー展開、魅力的なキャラクター達、そしてなにより観終わった後にスカッと未来への希望に満ちた気持ちになれる娯楽作品。
彼らの打ち立てたこのような娯楽至上主義な映画の遺伝子は、現代に至るまで脈々と受け継がれ続けている。
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