第4話 招かれた休憩所
「無事で良かった」
抱擁してやると、彼女も笑顔をみせる。重なった体温で、
「ええ、あなたも……それにしてもここは、どこでしょう。思ったより快適な場所ですね」
気候は暑くも寒くもない。右側から吹いてきた気持ちのいい風が頬をなで、閉めていたコートの前を開きたくなる気候だ。
「機械の故障で外に出されたんでしょうか? でも、こんな風景、あの島には……」
「そもそも、季節が合わないぞ。今は夏だったんだからな。まさか、海に落ちて流されたのか?」
「だとすると相当遠くに行ってしまっているのでは? 皆が心配しているでしょう」
ポケットや周囲を探ったが、電子機器の類いは一切ない。GPSで現在地を特定しようという試みは、あっけなく失敗に終わった。
「私たちのスマホは預けてありましたし、やはり望み薄でしたね」
この状況になって、愛生が口にする言葉はひとつしかなかった。
「……すまん」
「あなたを責めても仕方無いでしょう。気にしないでください」
「……ただし、あの
「良かったな波川。帰ったら美女と思い切り、くんずほぐれつプロレスだぞ」
愛生は遠い目をしながら言った。自分でも一発波川にかましてやろうと思っていたが、その必要はなさそうだ。
「さて、現実的な話をしましょう。……何か、特徴的な建物はないでしょうか」
「歩いて行けば見えてくるかもな。明るくなってきたし、ちょっと進むか」
愛生たちは石畳をまっすぐに進んでみた。辺りがすっかり明るくなってきた頃、目の前にぽつんと何かが見えてくる。さらに進むと、それは高い石垣だと分かった。
「街のようですね。入ってみますか?」
「もちろん。……入れればいいがな」
石垣には門がついていて、そこには当然門番が詰めていた。しかし、二人組の門番はどちらも、愛生たちをちらっと見ると、無言で道をあける。
「あれ、どうした?」
ここはどこなのか。通行証や通行料は必要ではないのか。彼らにいくら聞いても、仏像のような奇妙な笑みを浮かべられるだけだった。
愛生は諦めて先に進む。目の前に広がる町並みを見ながら、龍が愛生の袖を引いた。
「どこか分かりますか?」
「西欧風、多分フランスというのは分かるが……どこの地区かまでは分からん。しかし、そんなに遠くまで無傷で流されるものか? ……あ」
愛生はふとある考えを思いついて、石畳の一つを思い切り蹴ってみた。どんなに破壊されても、石畳はきれいに元の姿に戻っていく。龍があわててしゃがみこんだ。
「……予想外だな」
「信じられません」
龍は愛生の顔と、石畳を交互に見る。
「だがこれが事実だ。間違いない。ここは、フェムトで充満したゲームの中の世界だ」
二人はまだ、あの空間に閉じ込められたままの状態なのだ。それならば突如出現したフランス風の不思議な光景も、一切余計なことは喋らなかった門番にも説明がつく。
そう気付いた瞬間、体力では無く愛生の気力がめりめりと音をたてて減っていく。
「……ちょっと、休むか」
「……そうですね」
愛生は立派なベンチに腰掛けてため息をつく。龍も所在なげに、隣に腰を下ろした。
とんでもないことになってしまった。どうやったらこのゲーム世界から抜け出せるのか、見当もつかない。
自分だけならまだしも、龍まで巻き込んでしまった。後悔の念が愛生の胸を刺す。
「……先の見通しは立たないが。龍、お前にこのゲームの法則を教えておく」
しかし、いつまでも罪悪感に押しつぶされているわけにはいかない。諦めたら、本当に帰れなくなる。
愛生はベンチの手すりを強くつかんだ。それはわずかな抵抗の後に外れ、愛生の掌の中に納まる。それを握りながら唱える。
「ファーレ」
その単語を聞いた途端、フェムトたちが形を変えた。手の中におさまるほどの小さなナイフから始め、徐々に大きくしていく。最初は投擲用にしかならないものだったが、次第にしっかりした武器になっていった。
座る龍の横で、黙々とナイフを量産する。狩りにも生活にも使える、便利な道具だ。ここを出られないとしたら、いつかは必要になるだろう。
「フェムトを動かす合言葉だ。イタリア語で『作る』を意味する『ファーレ』。これで集めて形を作れば、武器にも道具にもなる。これだけは事前に波川から聞き出していてな」
「なんだか……恥ずかしいですね」
「別に今みたいに大声で言う必要はない。誰にも聞こえないくらいの小声でも構わん」
「それはどうも。立ち回りになりそうなんですか?」
「その可能性はある。武器は持っといた方がいい。慣れてないと無理だから、お前のも作ってやるよ」
龍は息をつめて、愛生の作業を見守っていた。前にもこんなことがあったなと、愛生はふと思い出す。
まだ子供の頃に、愛生は龍に初めて会った。本社で迷った龍を道案内してやり、その時に、休憩でこうやってベンチに並んだのだ。
その頃から誇り高かった龍は半泣きで頑なに拒んだが、年長者のずるさをもって独善を押し通した。後で婚約者だと気付いて、びっくりしたものだ。
「武器はこれでなんとかなるとして、問題は食糧だな」
生還するためには、食料──最低限、水は必要だ。しかし電子機器であるフェムトには両方必要ない。この世界が本物の電子世界だったら、早く行動して外に出ないと飢え死にしてしまう。
「ぐずぐずしている時間はなさそうですね」
愛生たちはとりあえず、情報収集に励むことにした。とりあえず店や大通りの近くの方がよかろう、ということで、街の中心部へ向かうとおぼしき太い道に従って進んでいく。
しかし、その道が突如として途切れる。道を越えて伸ばした指先が急にしびれ、痛みが走った。愛生は慌てて腕を引いたが、奇妙な痺れはまだ数秒続いていた。
「大丈夫ですか? 一体、なにが……」
「こっちへは進むな、ということじゃないか。ゲームだとよくある話だよ」
まだしびれる腕を振って見せて、愛生は無理に笑顔を作った。
「不可抗力とはいえ、困った」
「あなたは帰らなければならない身なのだから、無茶はしないでください」
「……それを言うならお前の方だろ?」
龍は十三人兄弟の中で、二人しかいない女子だ。もう一人の女子は末っ子で、まだ六歳。愛生も一度だけ会ったことがあるが、闊達な美少女だった。
龍と違って妹は黒髪で愛らしい顔立ちだから、育てばクールな龍とは全く印象の違う、華やかな美女になるだろう。父の会長から、二人は溺愛されていた。
「……命に代えても守ってやるから安心しろ」
それを聞いた龍は、照れる素振りすらなく言った。
「余計なことを考えないでください。私もあなたがいないと困ります」
「フェムトの扱いはまだまだだから?」
愛生が皮肉を言うと、龍はこちらをにらみ、手を軽く振った。次に愛生の前に手が来た時、その掌の中には拳銃があった。
「……あれ?」
「一通りできました。あなたがやっているのを見ていましたので」
「筋がよろしいことで」
拳銃を構成するパーツの多さは、ナイフの比ではない。前から実力を認めている相手ではあったが、まさかここまでやるとは。愛生は心の中で喝采を送った。今日教えてこれだけできると、旦那としての立場がないな。
「……ここからは、余計な軽口はやめて歩きましょう。残念ですが、非常事態です」
「イエス、マム」
龍に背中を押される。言い返すのをやめて、愛生は歩き出した。ちょっとがっかりしたが、それは秘密だ。
しかし、いつまでも落ち込んでいる時間はなかった。不意に空の彼方から、威厳のある男性の声が響いてきた。年代で言えば壮年にあたる、四・五十代くらいの年齢だろう。
『無事に到着したようで何より。君たちの現状は極めて良好だ』
姿が見えない相手に、龍が顔をしかめた。
「……誰ですか?」
『ゲームマスターとでも言っておこうか? フェムトの長だ』
つまり、愛生たちをこの世界に閉じ込めた張本人ということだ。それではとうてい、優しくしてやる気にはなれない。
「生まれも育ちもいいんでね。危機への対処は万全だ」
愛生は今度は、悪意をこめて皮肉を言ってやった。
『素晴らしい。君たちを選んだ甲斐があったというものだ』
「とっとと元の世界に返せ」
『その望みを叶えたければ、私がつけた印をたどってくるがいい』
それを最後に、ぴたっと声は聞こえなくなった。龍が声のした方向をにらむも、そちらには青空に気持ちよさそうに浮かぶ白雲があるばかりだった。
「印とは……」
「これだろ。まったく、どういうセンスだ」
愛生は路上を指さした。ネオンのように青白く光る矢印が、石畳のひとつおきに刻まれている。
「わかりやすいですね」
「町並みに合ってないんだよ、ったく……」
愛生がデザイン性のない目印に文句をいいながらも、ひたすら視野に入る印の方へ向かっていくと、これまたネオンじみた光を放つ看板があった。クラシカルな石造りの西洋建築の中で、不思議な青色の光を放つ看板は浮き上がって見える。その下には、白い木造りの扉がそびえていた。
愛生は扉に触れる。ノブを回すとあっさり動いた。施錠はされていないようだ。一瞬息を止め、覚悟を決めて踏み込んだ。
愛生は目を皿のようにして室内を確認する。高級マンションの一室のような印象を受ける部屋で、壁はシャンパンゴールドで床は白。奥にはシングルサイズのベッドが二つ、その横には小さな書き物机がある。より手前側にはソファーとテーブルがあり、大人三・四人で食事ができそうだった。
狭苦しい部屋ではないのに開放感がないのは、窓が一切ないからだ。ずっとこの中で過ごしていたら、時計がないと朝か夜かもわからないだろう。
「人の姿をしたフェムトはいないな」
「……あれを見てください」
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