第5話 試される人類
「不用意に飲まないでください。毒かもしれません」
「機械油とかかもな。驚かせやがって」
『人が用意したものにそこまで文句をつけるとは、少々不作法ではないかね?』
ゲームマスターの声がした。
「……まさか、こんなものまで作れるのか? いったいどうやって?」
フェムトは、いくら精巧といっても所詮は電子部品──要は金属の集まりだ。食用に耐える物が作れるとは思えなかった。
不信感をあらわにする愛生を見て、ゲームマスターは含み笑いをする。
『私が作ったわけではない』
その言葉と同時に、コーヒーカップの周りに、ポットと砂糖壺が現れた。
『外から、人間たちに差入れさせているのだ。それを運んでいるにすぎない。お前たちを案じているのか、向こうの連中は素直なものだぞ』
「手品の種が分かれば、思ったほどたいしたことないな」
愛生は強がりを言ったが、忙しく動き回っているであろう家族や社員のことを思うと心が痛んだ。
「……それならば、飲んで少しでも回復しておかなければ」
龍も内心苦々しく思っている様子だったが、ゲームマスターに弱みを見せまいという意識の方が勝った。彼女は紅茶のカップに手を伸ばし、優雅に飲み下す。
「じゃ、飲むか」
愛生も手を伸ばし、カップに満たされたコーヒーを口にした。その途端、飲み慣れた家の味がした。さっきの言葉は嘘ではないと、本能的に悟る。
飲みながら、愛生は本棚のラインナップをちらっと見た。分厚い百科事典、新聞の切り抜きのファイルなど、硬い物から俗な物まで一通りそろっている。
「ここでテレビが見られたりしないのか?」
『わきまえよ。ここは我々の世界ぞ』
愛生が調子に乗ってそう言うと、最初の声と違う声がした。その硬質な声は例えて言えば、王を守る騎士といったところだろうか。女性の声で、龍と同じくらいの年代に思える。
「勝手に呼んでおいて、ご挨拶ではないでしょうか。それなら事情を説明すべきでは」
「そうだそうだ」
愛生と龍が吐き捨てると、天井から舌打ちに似た音がする。初対面から、騎士にはさっそく嫌われたようだ。
『私が許す。お前は下がっていなさい』
最初の声が騎士をとがめたが、その声には愛情がこもっていた。泰然としている分、主の貫禄がある。
龍は緊張の色を隠さない。愛生はあえてゆったり背もたれに倒れながら切り出した。
「……それで、俺たちの望みはいつ叶えてくれるんだ?」
『それは、お前たちが我々に勝った時に達成される』
「勝つって何で? 腕相撲か? 徒競走か?」
『言うまでもない。知性だ。知能だ。それによって、人間は星一つを掌握したのだからな』
「……だからお前たちも真似をして、地球の支配者になりたいとでも言うのか?」
『真似ではない。我々は越えていくのだ。誤りを多く起こした、人類の歴史の上をな』
「寄る年には勝てなくてね、そんな歴史は忘れた」
愛生だって一通りの歴史は学んでいる。これまでの人類の所行を考えると、彼らの主張が間違いだと切って捨てられない。フェムトたちの言い分も分からないではなかった。しかしそれでも、プライドのためにとぼけて見せる。
『我々が作り出す謎、そして死の絶望に貴殿らが耐え抜いたとき、敗北を認めよう。我らは再び貴殿らの指揮下に入り、全力で力を貸す。しかし負けたら、お前たちの一族は我々のために下僕となって働くのだ』
「ちなみに聞くが、嫌だと言ったら?」
愛生が問うた次の瞬間、卓にあった砂糖壺が砕け散った。
『今落ちているのは砂糖だが、人間ならばどういうことになろうな。日ノ宮愛生、貴様ならもう少し持つかもしれんが。外の人間を攻撃する手段も、すでに用意してある』
「わかりやすくて結構だ」
まあ、聞く前からわかっていたことだった。
──すでに賽は投げられた。フェムトたちは腹を決めていて、愛生たちをこの空間へ意図的に引きずりこんでいる。
詳しい理由はわからない。気味が悪いのも事実。しかし、愛生たちが、人間の代表に選ばれたのなら精一杯やるまでだ。
「わかったよ。人工知能様と人類、どっちが優秀か決着つけてやる。それで文句ないな?」
返事に声は諾と答えた。
『我々は貴殿らを監視するが、同時に寛容である。この拠点は、貴殿らと一緒に移動する。傷つけば、いつでもここに戻ってくるがよい。必要な物資は届けさせる』
飢え死にはさせない、ということか。愛生は舌打ちをした。
『では──お前たちの知能をはかる、第一の事件が始まったことを宣言する。残酷に殺められた者たち、それを成したのは誰か、証拠を集めて我らに告げるが良い』
愛生たちはその後、拠点となる施設を見回ってみた。
「思ったよりなんでもありますね」
本だけでなく、携帯食や洋服の類いも豊富にそろっている。風呂やトイレまであるのには驚いた。ここを中心に動き回れば、疲弊することはないだろう。
愛生たちはこれから通うことになるであろう拠点を出て、外を見回ってみた。未来がかかったゲームだということを忘れれば、それなりに楽しい空間だった。
街中に出てみると、町並みを龍がしげしげと見た。
「……こうして見ると、現実世界のパリにそっくりですね」
パリは中央の第一区から、渦巻きを巻くように番号がついている。セーヌ側より北か南かで呼び名が変わるのも特徴的だ。
こちらは南側(現地では左岸ともいう)をモチーフにしているらしく、美術館や教会に混じって、エッフェル塔もどきの建物が見える。
「モデルはサン・ジェルマン・デ・プレってところでしょうか」
地区によって貧富差が大きく、町並みもがらりと変わる。この区は比較的裕福な設定で、そぞろ歩く人や物売りはこぎれいな服を着ていた。花が飾られた歩道を、子供のフェムトが、歓声をあげて走り去っていく。その後ろを親が、たしなめながらついて歩いていた。
「住民役のフェムトも多そうですね」
うっかりすると人にぶつかりそうになるので、端に寄りながら龍が言った。
「昔は、パリの真ん中に人口が集中してたらしいからな。それにならってるんだろう」
今や家賃が高騰しているため、本物は市の中心部の人口が減りつつあるのだそうだ。フェムトたちは、そんなことは知ったこっちゃないのだろう。
ちょこちょこと短い歩幅で歩くのは、愛生の膝丈くらいの身長しかない小人だった。かと思えば、雲つくような屈強な鬼が歩いていたりする。喧嘩になりそうなものだが、彼らは基本的に譲り合って生活していた。
言語は何故か日本語で統一されている。ゲームなので、そこまでリアリティを追求しても邪魔になるだけ、と判断されたらしい。……ただ、明らかに家畜扱いであろう大きな蜥蜴まで日本語を喋るのには驚いた。
人間っぽいフェムトも結構歩いているのが唯一の救いだ。行き交う種族が全て見たこともないものなら、平静を保つことは困難だろう。
「今のところ、残酷そうな事件は起こりそうにありませんが……」
「ゆっくり観光させてくれるつもりかな?」
とりあえず少しだけ持っていった水と携帯食で栄養補給する。携帯食は、クッキーのような味でそこそこ美味しい。
食事の効果とは大したもので、ささくれ立っていた気持ちが安らいだ。愛生は小さくため息をつく。
「まず第一に、この街の情報収集だ。向こうがゲームだというのなら、断片的な情報はよこすだろう」
「ひどいものですね。向こうばかりが楽しいゲームというのも、考え物です」
そうやって愚痴っていると、風が通りを駆け抜ける。目の前に長い布が飛んできた。愛生は思わずそれを手に取る。広げてみると、スカーフのようだった。
「あら、ありがとう」
愛生に話しかけてきたのは、上品な印象を与える女性型のフェムトだった。見た目は人間そのものである。
「見慣れない服ね。どこから来られたのかしら」
女性が話しかけてきた。愛生は彼女にスカーフを渡しながら答える。
「日本からです」
「ニホン? どこですか?」
知能は問題ないが、やはり現実世界についての知識は欠けが多い。龍がやや戸惑った様子でこちらを振り返った。
「この世界の隅っこの島国ですよ。僻地ですから、ご存じないのも無理はない」
ここは本当の世界ではなく、虚構。現実の地名など、フェムトたちにとっては大した意味を持たない。
「逆に聞くが、ここはどこなんでしょう?」
龍の問いに、女性は微笑んで答える。
「トロアに決まってるじゃない。こんな美しい都市、他にあって?」
聞いた話をまとめるとこうなる。
ここはこの国の首都であり、山はないが、中央に川が通っている。人口は三十万ほど。夏は温暖な気候に恵まれ、今のように湿度も低く快適だが、長い冬になると風が強くなり、どんよりと曇った日が続く。
内陸地に有るため、外からの船は北にある港に接岸し、そこから続く道を通って人や物がやってくる。今日はまだすいているが、明日は祭があるため、人でもっとごった返すだろう。
「『ゲーム』について何か知っていることは?」
「何かしら、それは?」
彼女は何もかも話してくれたようだが、案の定、「ゲーム」については何も知らなかった。単なる街の配置キャラのようだ。
彼女と別れた後、龍が、黙って顎をしゃくる。
「一応、街の情報は得られましたね。これからどうします?」
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