第3話 暴走し出したゲーム
「
テストプレイの会場に入ると、プログラムのチーフが愛生たちを出迎えた。その後ろでは、彼の部下のプログラマーたちが、真剣な面持ちでA5サイズのタブレット片手に最終調整を行っている。総合統御はメインコンピュータでないと無理だが、細かい部分なら現場を見ながらこれで行った方が早いということらしい。
会場の中は植物園のようだった。石畳の道があって、その周囲に植木や花がずらりと並んでいる。これは全て作られたものだ。しかし、目をこらして見ても人工物らしい硝子やプラスチックのような質感は全くなかった。
「驚いたな」
愛生はちらっとプログラマーの手元をのぞく。そこには植木や花を構成する各パーツの動きや色が表示されていて、指示を出せば電波を通じて即座に変わるようになっていた。
「順調そうだな」
「はい、ご支援のおかげで。お父様にはいつも細やかなお気遣いをいただいております」
試しに、とボタンを押してみると、道端の石だったパーツが見る間に花に置き換わった。おまけとばかりに、花びらまで飛んでくる。
それをつまんでみる。何度か指を這わせても、本物と遜色ない触感だった。
地面に落とすと、それは石塊に戻る。再度石に触ってみると、今度はざらざらとした表面が指をひっかいた。
「これこそが……現代の魔法です」
プログラマーが大きく両腕を広げ、誇らしげに説明を始めた。実用可能な、最小サイズの機械。人工細胞とも人工原子とも呼ばれる──フェムト。
語源は千兆分の一を示す単位接頭辞、よく使われるミリ、マイクロ、ナノよりもっと小さい単位だ。
実験中の事故で破砕された機械の一部が偶然機能を持ち、発見に至った。その極小機械で作られる物は、限りなく真品に近い。
日ノ
愛生はある程度知っていたが、ここまでの完成度とは思わなかった。
「まだ荒削りですが、これからあがる利益は……うふふふふふ」
「俺たちの将来も……ははははは」
途中から理性が消え失せ大人の態度でなくなったのが残念だが、これは世界を変える発明だと愛生も感じる。そのレベルの技術でゲームをやろうというのだから、全く恐れ入る。
「あなたたち、素晴らしい成果ですね。もし日ノ宮が嫌になったらうちにいらっしゃいませんか」
「本当ですか!?」
「ちょっと考えちゃおうかなあ」
「上司が変な奴で、困ったことが……」
ひとしきり笑った後、開発者たちは咳払いをし、急に静まった。
波川は悪口に気づいたのか、なにか釈然としない表情で、フェムトでできた街の中を歩いてくる。彼は愛生たちの視線に気付くと、我に返った様子で顔を正面に戻した。
「うまくいっているようだな」
「まだまだですわ」
波川は、うつむき加減になった。そして眉をひそめ、胸の前で忙しなく組んだ手を動かす。
「朝にもエラー報告が数件ありましたしなあ」
「憂鬱顔の原因はそれか。おまえのことだから、もう修正したんだろう?」
言われて波川は、床に目を落とした。
「ええ、今は正常です」
沈黙が挟まった。さっきの動作は、表情を見られるのを嫌がったように見える。
何かを隠しているようなその素振りが気になって、愛生は波川との距離を詰めた。
「……正直に言わないと、お前の手首が俺の握力でとんでもないことになるぞ。どんなエラーだったんだ?」
愛生がすごむと、波川は笑顔で反論してきた。
「やだなあ。ちょっと、予定外の動きがあっただけですわ。もう大丈夫、大丈夫」
「予定外?」
「こちらが指示した地点から、少しずれたところに動くフェムトがいましてな」
波川は顎に手をやった。
「ずれた?」
「それだけやったら整備不良か初期不良なんでしょうがね、そいつら元の場所に戻りよったんですわ。研究員の視線に気付いてね」
愛生の背筋に、一瞬冷たいものが走った。波川の不敵な顔も曇る。
「その研究員が言うには……嘘がバレた時の小学生の動きみたいやった、やて」
「……そんな、まさか」
「まさかでしょうな。まだ思考能力は人間に遥かに劣るもんですわ。善悪まで把握しとるとは思えへん。ただ、念のためにそいつらは隔離してあります」
ここで波川が営業用の笑顔に戻った。
「だから、今残っているフェムトは全て正常なもんです。テストプレイには影響ありません」
「そうかい。一応信じる」
愛生は心の中では疑念を抱きつつも、うなずいてみせた。
「さ、行きましょ。ここは見せるだけ、ゲームをやるのは奥の部屋です。説明の動画だけ、見ておいてください」
愛生たちは指紋と顔の認証でロックを解除し、部屋の奥にある扉をくぐる。身長ギリギリしかない狭い扉と違い、中には広い空間が広がっていた。どこまでも広がる空間は奥ほど暗く、天井だけがわずかに青く光る。プラネタリウムが始まる前のような光景だった。
愛生は闇に目をこらす。まだ誰もいない。なにもない。
波川が部屋を出て扉を閉めると、本当に隣にいる龍の顔すら見えなくなった。かすかな呼吸と気配だけが、彼女の存在を確認させてくれる。
「いよいよですな……実験、開始!」
波川がマイク越しに、楽しそうにそう宣言した。
愛生たちを送り出した研究者たちから歓声が上がる。愛生はできるだけ無心になって、眼前を見つめた。
まず、光を放つ白い塊ができた。太陽を暗示しているのか、天井まで浮き上がり、スポットライトのように愛生たちの前方を照らす。
光の中に、フェムトたちが集まり始めた。始めはだらりと柳の枝のようにしなっていた骨組みにフェムトが積み重なって、人間の姿を取る。
腰が曲がって杖をついた老人がいる。膝に穴があいた服を着た少年がいる。
その二人が、愛生たちに向かってモンスターの被害を切々と訴えてくる。もうすぐここに、モンスターが来るのだそうだ。要は彼らを追ってくるモンスターを倒してみましょう──という、まあゲームでよくある展開だった。
「どんなモンスターだ?」
愛生が聞いてみても、二人は同じメッセージを繰り返すだけだった。これ以上のことは、プログラムに入っていないのだろう。
まだ愛生の手には、武器すら与えられていない。ひたすら避けているうちにアイテムが手に入るのか、それともこの会話の終わりに降ってでもくるのか。
この時点では、愛生はそんなに危機感を抱いてはいなかった。むしろ、わくわくしてきたくらいだった。いったいどんなことが起きるのだろう。きっと、度肝を抜くようなことが起こるに違いなかった。
しかし、そうはならなかった。楽しいゲームに反して、突然地鳴りのような低い音が響いてくる。それは突然始まり、やがて実際に地面をぐらぐらと揺らし始めた。
愛生の体の最奥から、感情がわき上がってくる。それが「恐怖」というものなのだと、気付くのに数秒を要した。
一瞬の迷いが、動きを鈍らせる。波川に問おうとした口が、思うように動かなかった。大人しかったフェムトたちが、一斉に動き出したのはその瞬間だった。皆、同じ方向に向かって突進する。
「愛生、出口が!」
切羽詰まった様子で龍が叫ぶが、もう遅かった。瞬く間に、フェムトたちが積み重なって、出口への道が塞がれる。やめられないゲームなんて、聞いたことがない。これは明らかに異常な事態だ。
「波川! 中止しろ、事故だ……うわっ!」
愛生が困惑と共にあげた声が届くことはなかった。今度は微細なフェムトたちが、愛生の口に飛び込もうとする。体内に入られたら、何をされるかわかったものではない。
愛生は口を閉じた。舌を噛みそうになりながらも、とにかくフェムトのいない方向へ進もうとする。しかし、足元が不確かで走るどころではない。一歩進めば二歩戻される始末で、龍のところまですら辿りつけなかった。
とうとう愛生の足元の床が、音をたてて崩れた。愛生はどこにもぶつかることなく、闇で満ちた中空に放り出される。間もなく、世界が消えた。
「う……」
愛生は不意に意識を取り戻し、そろそろと瞼を持ち上げた。背中が一瞬ずきりと痛んだが、骨折をしているほどの激しい疼痛ではない。
「一体、なにがどうなって……」
瞬きをして、記憶をたどった。少し混乱していたものの、すぐに今まであったことを思い出す。
「そうだ、事故があったんだ!」
一瞬心臓が激しく動いたが、深呼吸をしていると徐々に落ち着いてきた。焦っても仕方無い。現状、もう事故に巻き込まれてしまったのだ。できるだけ冷静にそして確実に、皆のところへ戻る方法を探さなければならない。
思い直して空気を吸ってみた。特に刺激や違和感はない。毒ガスの発生はなさそうで、愛生はほっと息をついた。
時刻は朝。夜明けに特有の、下から明るくなっていく空が頭上にあった。
しかし状況は暗澹としている。草原の真ん中を、一筋の石畳が貫いていた。それ以外は、人の手が入ったようなものは何も無い。朝靄の中に目をこらしても、明かりのようなものは一切見当たらなかった。
この石畳を進んでいいのだろうか。進んだ先に、何があるのか。
愛生が腕組みをして考えていると、後方から小さなうめき声が聞こえてきた。
そちらに顔を向けると、龍が後頭部を押さえながら起き上がってくるのが見えた。少々顔をしかめてはいたが、彼女にも大きな怪我はなさそうだ。
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