第2話 最新ゲームのテストプレイ

「え?」

「いや、もういい」


 愛生あいは犯人役に構わず、わずかに手に力をこめた。上がった刺股が再び沈み込み、犯人役の胸を無惨に押しつぶす。


 愛生の力は圧倒的だ。多少犯人役が頑張ったところで、それは重機と人間がぶつかりあうようなもの。


 勝負になど、最初からなりはしない。一方的な虐殺、蹂躙、雲泥の差。


「なんで、うそ……ぎゃああー……」


 もはや皮肉を言う余裕はない。哀れ犯人役は愛生の刺股に、胸郭を潰されかかった。その間、数秒もかかっていない。


「……ここらで降参しないと本当に死ぬぞ」

「ま、まいった……」


 ようやく犯人役が負けを受け入れた。愛生はひん曲がった刺股を放り投げて言う。


「ほい、解決したぞ。逮捕だ逮捕」


 どっと社員たちが集まってくる。むせる犯人役の呼吸音を聞きながら、取り残された愛生はロビーの片隅でため息をついた。


「くそ……ゲームをやりもしないくせに、偉そうにしやがって……」


 風に乗って、犯人役がつぶやく声が聞こえてくる。愛生の耳は鮮明に彼のつぶやきをとらえていた。


「どうせ社長の息子だから……上司なんだ……やりもしないくせに……」


 後は呪文のように、同じ言葉が繰り返される。愛生はそれに返事をするように、小さくつぶやいた。


「俺だって、……みんなと一緒にやれるもんならやりたいよ」


 愛生は昔から力が強い。それはほぼ怪物並みと言ってよかった。普段は抑制できるのだが、ゲームでついつい熱中してしまうと、そのタガが外れてしまう。金属屑と変えたコントローラーはそれこそ星の数。


 やっと体を動かすタイプのゲームが出来ると喜んで行ってみても、試作機を壊すだけ。ダンスゲームの時など、床板を踏み抜いてしまい足に結構な傷を負った。すぐに治ったもののあまりに救いようがない結末で、未だにその時の痛みは脳裏に残っている。


 それから色々、親指を封じてみたり特殊なシューズや手袋を使ってみたりして試行錯誤するも、結果は全て同じ。


 どうしてこうなった、と両親に聞いても、体質だから仕方無いの一点張りだった。


 そのため実家がゲーム会社のくせにテストプレイには全く参加できず、ぽつんと立って後ろで見ている。やっていないから、意見を求められても分からず曖昧に笑うのみ。


 データ分析に力を入れ、最近はようやく役に立てると思える部分も出てきたのに、周りからの評価はやはり芳しくない。


 つくづく、恨めしい特技だ。頭をかきむしりながら、愛生はそう思っていた。


「そんなに毟っとったらハゲまっせ」


 後ろから呼びかけられて、愛生は振り向いた。そこに背の高い男が立っている。


 顔立ちは十分に優男だが、笑顔に覇気のない男。眼鏡の奥の目で見つめられると魂を抜かれると評判の、システムエンジニアだ。


 腕は確かだ。ゲームプログラムを土産に突然飛び込んできて、そのまま採用されたという話は今や伝説になっている。実際、そのゲームは今も続編が発売されている人気作で、彼──波川旬也なみかわ じゅんやの将来は約束されていた。


「……参考までに聞くが、徹夜は何夜目だ?」


 波川は沈黙で答える。


 彼は立派なワーカホリックであった。暑い日も寒い日も、雨が降っても晴れていても会社に泊まり込む。


 当然、人事から何度も止められているが、誰の言うこともことごとく聞かない。健康管理を行うドクターからも白眼視され、残業した分の給料を定額からさっ引くという、ありえない沙汰も下された。


 それなのにこの男は、給料を下げられても評価を落とされても、喜々として働き続けている。実はロボットではという噂も流れていた。


 そのロボット男が、頭をかきながら言う。


「今回は三日で終わりましたわ。やっぱり、自分で決めた締め切りは守らんとねえ」

「時と場合によると思うぞ?」

「僕、泳ぐの辞めたら死んでしまうんですわあ」

「マグロか」


 波川が真顔で言うので、愛生は思わずつっこんだ。


「あ、そうそう。肝心な話をせんと……例のゲームのテストプレイ、日程がようやく決まりました」


 一瞬こちらに背中を向けていた波川が、不意に振り返って言った。


「今度のは、間違いなく最高級品です。がっかりしとる暇はありませんで」


 愛生もその噂は聞いていた。過去、技術的な問題で実現できなかった巨大プロジェクトが、再び動き出していると。


「ほら、元気出してりゅうさんとちゅーしましょ」

「お前に言われてするのは嫌だ」

「ははは、楽しみにしとってください。それまで身辺に気をつけて」


 愛生は呆れながら波川を見送った。


 波川のこの言葉を、愛生は全く信用していなかった。しかしそれは間違いだったと、後ほど身をもって知ることになる。




「まさか、ただのテストプレイでここまでやるとは……」


 北緯二十度から二十七度、東経百三十六度から百五十三度。


 立場上東京都に位置してはいるが、実際は海に抱くようにされて散らばる小島たち。その名は小笠原諸島、その一角に愛生はいた。


 海の青さに、思わず目を奪われる。ボニンブルーと呼ばれる独特な紺色の水の美しさは、東京湾とは比べものにならなかった。よくある海水の生臭い匂いもまったくない。装備もなしに入れば飲みこまれることが分かっていても、思わず身を投じたくなってしまった。


 愛生たちが目指す島は、本州からの距離およそ千八百キロ。日本の最東端の南鳥島の手前にあたる場所だった。


 この地区で人間が居住しているのは父島・母島の二つのみ。それ以外は基本的に無人島であり、主島であっても空港すらなく船で行き来するしかない辺鄙な土地。そこの一つを日ノひのみや家が買い取ったのだ。


 無論、簡単なことではない。領土が国の存亡に関わるのは古今東西お決まりの話だが──この小笠原諸島の一部が島か岩か、その差によって領海が変わってくる。ここはそういう土地だ。


月々祠つきがやの力がなければ不可能だったろうが……」


 龍の実家の名を、愛生は口にする。月ヶ祠は軍の海運を担った実績もあり、未だ自衛隊に多くの納入をしている。戦車や艦艇の納入実績が多く、高い信頼性を実現することを第一目的とするため政府に知り合いも多い。


 しかし、それでも難易度が高いことに違いはない。どうやってこんな無理を通したのだろう。龍の参加といい、月々祠がかなりこの計画に積極的なのは間違いないが、彼らにそこまでさせるのは、いったい何なのか。愛生はそれが気になっていた。


 時刻は朝の九時。昨日は父島のホテルに泊まって、愛生たちは船で島へ向かっている最中だった。島は鏡の表面をなぞるように水の上を進み、複雑な形の波をたてている。


「選ばれた者しか来られないって感じが、たまりませんな」


 手すりに体重を預けている波川が、珍しく興奮した面持ちで言う。海面までかなり距離があるのがじれったそうで、徐々に子供のように前のめりになっていった。


 逆に時間を活用しているのが龍だった。仕事柄色々な所へ顔を出す彼女は、いつものことだと言わんばかりに黙って本を読んでいる。愛生が後ろから髪をいじったり耳に噛みついたりしても、「後でね」と優雅にいなされた。そういうお預けもたまらないので、愛生としては悪い気分ではない。


 三者三様に時間を過ごしているうちに、島に到着した。


 目の前にそびえているのは、巨大なドーム。銀の玉を中央から切り取ったような形、遠くからやってきた宇宙船のようなそれは、東京ドームよりやや小ぶりだ。が、冷暖房各種機械設備で埋め尽くされており、工事費は軽く数倍するそうだ。


 以前は自衛隊や気象庁の職員が来ていただけの島だったというが、そんな印象は微塵もない。


 愛生は波川に笑いかけた。


「……まず、外見は合格だな」

「お褒めにあずかり恐縮です。中は、もっとすごいですよ」


 自信満々の彼に続いて、愛生は施設に足を踏み入れた。


 入るとすぐに、どこまでも真っ白な壁が続くロビーがある。ロビーには二つの扉があって、一つは技術者、もう一つがプレイヤー用の入り口だと言われた。


 愛生はプレーヤーの用の入り口で指紋・掌紋・声紋・顔面のチェックを受ける。ここでは体温や脈拍なども同時に計られ、使用者の健康状態の判断も兼ねていた。


 ソプラノの合成音声が「お入り下さい」と扉を開いた。


 扉の先はまた二つの部屋に分かれていた。今度は扉が開け放たれていて、そこがロッカールームになっているのが見える。


 着替えるよう指示を受けたので、愛生は龍と分かれてロッカールームに向かう。身支度を調えて出てくると、龍が仕事の顔になって広い通路にいた。


 通路には順路表示があるだけで、何もない。愛生と龍は話をしながら歩いた。


「テストプレイでも、スコアは出るようになっているそうです。点数勝負しましょうか?」

「はいはい。俺が勝ったら、毎日うなじにキスな」

「私が勝ったら、毎日お姫様抱っこしてくださいね」

「それじゃ、どっちにしても俺の勝ちみたいなもんだな」


 気の抜けた返事をしながら、愛生は龍の服を見つめた。動きやすいよう、また埃などで精密機器の動作を邪魔しないよう、化学繊維で編み上げられた黒いコート。下は伸縮性のある生地のシャツとパンツ。女性向けに細身で首元を覆うショールがついているが、デザインは愛生が着ている物とほぼ変わりない。


「準備万端だな」

「イメージトレーニングも完璧です。勝利とは、努力の末につかみ取るものですから」


 そのまっすぐさが、まぶしい。サラブレッド、という表現はこの女性にこそふさわしい。


「テスト会場はそっちじゃないけどな」

「えっ」


 ……ただ、龍も緊張しているのか挙動がおかしい。少し前に出てしまって、しまったという顔をしたまま下がる様。口ごもった、子供のような様子。


 そのしくじった様子が見られる者はほとんどいない。愛生は幸運なのだ。


 腕を組んで歩く。少し低い彼女の頭。関心のない振りをしているが、時折熱い視線が向けられるのを愛生は感じ取っていた。


 生まれた時から常に勝負で一番を期待される。ささやかな楽しみも許されず、ただ帝王教育をたたきこまれた。


 実際は意地悪な性格ではないのだが、そういう状況なので友達がいない。……これは、愛生も同じ事だ。だからよりいっそう、お互いを求める気持ちが強い。


「一緒に楽しもうな」

「……はい」


 龍は少し顔を赤らめてうなずく。是非写真で記録しておきたい表情だ。さっきスマホなど手荷物を預けてしまったことを後悔しながら、愛生は龍の横を歩き続けた。

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