11.素敵な贈り物

夕日は愛の終わりを照らし出している様にも感じられ、今野は意識を失いそうだった。しかし、次に莉子が発した言葉は極めて意外な物だった。


「分かった!!」


バスケ部員を含めそこに居合わせた者たちの視線がまるでベタフラッシュの様に莉子に向かって注がれる。そして彼女はにやりと笑って見せた。その笑顔の次に訪れたのは周りの困惑交じりのざわめき。つまり、莉子の返事の意味が分からなかったのだ。


「あ、あのさ、莉子……」


同学年のバスケ部メンバーの一人がいぶかしげな表情を浮かべながらそろそろと莉子に近づくと右手を彼女の左肩に置き、恐る恐る話しかける。


「……何が分かった…なの」


莉子はゆっくりとその子の方に顔を向けるとにやり顔で鋭い視線のまま小さな声で呟いた。


「全部よ」

「え、全部って?」


この莉子の答えには様々な取りようが有る。今野の愛を受け入れるという意味かも知れないし、話は一応聞いたという意味にもとれる。さらに言えばその後に何か続く言葉が有るのかも知れない。要するに答えになっていないのだ、敢えて言えば政治家流の『玉虫たまむしいろ』の返答で、実は今野の告白の返答には少なくともなっていないのだ。


「なんと言うかその、答えになっていない様な気がするんだけど」


困惑顔から苦笑いに変わったその子は更に言葉をつづけたが、莉子は再びにやりと笑って見せただけで何も答える事は無かった。そして、バルコニーに棒立ちの今野はただ茫然とそこに立ち尽くすしかなかった。今体育館に居る人物の中で、莉子の言った『分かった』の意味を一番知りたいのは今野で張る筈なのに彼には誰も注目していない、何故か忘れ去られて放置状態になってしまっているのだが、それに気づくものは誰も居なかった。いや、物陰に隠れて様子を伺い続ける凜の視線だけが声援を送ってた。


次第に凍っていく場の雰囲気、そして膠着こうちゃく状態じょうたいに陥りそうになった時、体育館に入って来たのは意外な人物だった。


「まさか、ホントにやるとは思わなかったわよ」


肩までの黒髪をふわりとゆらし、まるでこの世の運命をつかさどる女神よろしく現れたのは紗久良だった。そして、彼女は徐に体育館二階にある吹奏楽部の部室に視線を向ける。


「凜君、居るんでしょ。出て来なさい」


柔らかな笑顔を湛えてはいるが紗久良のその表情と口調には明らかに怒りの念が込められている様に感じられたのは凜だけではない様だった。年上のお姉さんに叱られている、そんな甘酸っぱいくてその発生源がどこなのか分からないくすぐったさに苛まれながら凜は後頭部をポリポリと掻き、曖昧な笑顔を浮かべながら部室からそおっと姿を現した。


「え、えへへぇ……」


バルコニーに出てきた凜は左手を掛けながら階下の紗久良に視線を向けると彼女は大袈裟に『めっ!!』と言う顔をして見せると苦笑いで答える凜だった。


「ったくもう、男の子ってホントに無頓着なんだから」


腰に手を当て呆れ顔の紗久良は莉子にゆっくりと近づくと彼女の前で済まなそうに少し腰を屈めながらこう言った。


「もう、ごめんね、いくら何でも現実にやらかすとは思わなかったから強く釘刺さなかったのよ」


紗久良の言葉に莉子の視線から鋭さが消え、彼女は柔らかな笑顔を向ける。


「でも、事前に知ってたからってこういうことされるとやっぱりかなり焦るね」

「ほんとにもう、何と謝っていいか」

「ん、凜君の企みでしょ、なんで紗久良が謝るのよ」


ごもっともな指摘に紗久良は頬を染め、ちょっと狼狽しながら言い訳を始める。


「え、ま、まぁ、幼馴染つながりの責任と言うか何と言うか、え~~~と、ねぇ……」

「はいはい、お熱い事で」


幼い頃からの付き合いという歴史に嫉妬心を溢れさせる莉子は二階のバルコニーに目をやる。そして、そこに立ち尽くす二人に向かって声を掛ける。


「二人共、降りてらっしゃいよ。そこじゃ話が遠いからさ」


バルコニー上の今野と凜は一度顔を見合わせてからお互いにばつの悪そうな表情を見せ少し猫背気味にのたくたと階段の方向に向かって歩き出す。そして、一階に降りで莉子の前まで来たところで二人揃ってぴょこんとお辞儀して見せた。一方、紗久良は凜の前に立つとちょっと怖そうな表情を見せながら凜のおでこをげんこつで軽くこつんする。


「あ、あはははは……」


無理矢理笑って見せた凜の仕草が可愛く見えたのは、その後ろに微妙に残る男の子の面影が見えたからかも知れない。その姿を見詰めながら紗久良も口元に手を当てながらくすくすと笑って見せた。和らいだ空気に安心したのか、それでも少しおずおずとしながら凜は口を開く。


「そ、それでさ、莉子……」

「ん、なぁに、凜君」

「さっきの分かったって、どういう意味」

「え、そういう意味よ」

「つまり、今野の言った事は受け入れると」

「ふむ……その、凜君の言う受け入れると言う言葉の意味の方が逆に分かんないんだけど」


会話がかみ合わない二人は暫く顔を見合わせながらお互いの出方を伺うが、先に口を開いたのは莉子だった。


「つまり、この、え、と、今野君だっけ?彼の主張は理解出来た、でも私は彼のことを何も知らない訳さ。だから今すぐ返事をすることは出来ないから暫くは試用期間……と言えば分かるかな」


凜と今野が顔を見合わせながら何かぼそぼそと言葉を交わす。あまり距離的には離れていないのに莉子にはそれが聞き取れなかった。


「ああもう、分かんないかな。良いかな凜君。私の本命はあくまで凜君なの。でも、凜君以上にカッコいい人が現れたら考えなくもないかって言う事よ。つまり、こちらにいらっしゃる今野君は凜君よりカッコいいのかな?」


凜はやっと莉子の言葉を理解した。そして精一杯の真顔を見せると今野の背中を一発、ばんと強く叩いてから自信を込めてこう言った。


「大丈夫、こいつは僕より断然カッコいいぞ!!」


莉子は脇にボールを挟むと両手を腰に当て両足を肩幅に開いて今野の顔を覗き込む。


「凜君の言う事だから信じるけど、全てはこれからだからね。うん、まぁ取りあえず宜しくね今野君、取りあえず顔と名前は覚えたぞ」


そう言ってウィンクして見せる莉子の姿に今野は首まで真っ赤に染める。


「……は、はい、宜しくお願いします」


そう言ってから今野は九十度腰を曲げて深く一礼して見せた。そして何故か周りの部員達から拍手が起こる。莉子の有耶無耶うやむやな返事は結局、プラスの方向に理解され好意的な捉えられ方をした様だ。そしてこの時、今野は正式に伝説になったのだ。


★★★


晩秋の夕日に長く影を伸ばしながら凜と紗久良は校舎を出て校門に向かって二人並んで歩いて行く。紗久良は上機嫌で絵がを湛え何か鼻歌など歌っている様だったが凜はその様子をおどおどと探っている様だった。そして後二、三歩校門を出ると言うところで紗久良ははたと真顔に戻り鼻歌を歌うのを止めると徐に凜に視線を向ける。


「ねぇ、凜君」

「……え?」


突然振られたその視線に凜は大いに慌てて見せる。


「凜君は……いつ、してくれるの?」

「は?」


短くて頓狂とんきょうな声を上げた凜は、紗久良の言葉の意味が分からなかった。それを誤魔化すために視線を泳がせる様子を見ながら紗久良はあからさまな呆れ顔。そして、ポツリと一言こう言った。


「……ま、いいわ」


紗久良は再び前を向くと笑顔に戻り鼻歌を歌い始める。凜は背中を丸めて黙って彼女の横をついて行く。不思議な沈黙が数歩続いた後、凜は頬にあったかい物を感じた。


「ん?」


かおをあげたそのさきに有ったのは紗久良の柔らかな頬だった。彼女は凜の頬に自分の頬をちょこんと当てたのだ。


「凜君、暖かい」


そう言って紗久良は凜に視線を合わせると嬉しそうな表情を見せる。それにつられて凜も笑顔を見せ彼女の言葉の意味が何となく分かった様に気がした。そしてその日はそれほど遠くはないだろうとも。


もうすぐ日は沈み、風は更に冷たくなりそうだったが、二人の心には温かな風が感じられた。

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