8.母の回答

何時も通りの穏やかで暖かな夕食時、凜は今野の思いとその相手である莉子の事を母に話すと帰ってきた返答は……


「え?そのまま伝えちゃえばいいじゃない」


この前の紗久良が言った言葉とほぼ同じ見解だった母を凜は目を点にして見詰め続ける。


「そ、そのままって」

「言葉を選びすぎたり回りくどい表現は絶対にダメ、出来るだけシンプルに言ってあげないと」

「どうして?」


凜は思わず眉間に皺を寄せる。心の問題なのだから少し気を使って、多少はオブラートに包んでやんわりと、ソフトさを絡めて話した方が良いのではないかと考えたからだ。しかしその考えを母はきっぱりと否定する。


「妙な希望を与えて引き摺って、立ち直りが遅れたりするのは今野君の為にならないわ、悪い事を伝える時は心を鬼にしないとね」

「……う、ん、まぁ、分からなくもないんだ…けど」

「けど?」


なんとなくお箸を銜えながら凜は天井に視線を送ると莉子の最後の言葉と態度を反芻はんすうする。彼女の言葉『カッコ良かったら話だけでも聞いてみようかな』そのフレーズの意味にはひょっとしたら凜自身もフラれたという意味が込められているのではないかとも感じられたのは、態度をはっきりさせない自分の曖昧さに責任が有るのかもしれないとも思った。


「嫌われないかな、今野に……」

「その程度で嫌われる程度の友情ならこちらからお断り、縁が無かったと思って諦めなさい」

「……今野って、うちの部長なんだけど」

「上司と部下の対立なんて世間一般じゃ常識よ。早めに体験しておいた方がこれから社会に出た時に役に立つんじゃないかしら」

「そんなぁ……」


そして母はあくまで強気な態度を崩さなかった。それは凜と今野に対する優しさの裏返しなのだが凜にはそこまでの裏読み能力はまだ備わってはいなかった。


「ただ、カッコ良かったら考えてもいいみたいなことも言ってるんだよね」

「……は?」


凜が何気無く呟いた言葉に再び母の目が点になる。


「なるほど、その子ってちょっと我儘わがままなお嬢様風なのね」

「我儘ではないんだけど」

「だって、凜の事が一番好きだけど二番目もキープしておきたいって言う事でしょ」

「……キープって」

「ふふ、そう言うのバブル期真っただ中の頃に流行はやったらしいわね」

「バブル?」

「そう、株価が暴走して国民全員が投資家状態。金余りなんて訳分からない経済状態に陥って日本全体がお祭り騒ぎ。財テクと称して土地や有名絵画や高級外車を買いあさり、みんなでお札ふりふり踊り狂った夢の様な時代が有ったのよ。今じゃその面影すらないけどね」

「ふ~~~ん」

「社会科の授業かなんかで習わなかった?」


凜はふるふると首を振る。


「バブル期の若い女の子は『本命君・アッシー君・メッシー君・キープ君』なんて最低四人くらいボーイフレンドを囲ってたのよ。まぁ、全員がそんなんじゃないんでしょうけどね」

「はぁ……」

「それに当てはめると凜が本命君で今野君がキープ君、かな」

「キープ君って?」

「恋人や恋愛対象の本命ではないけど交友関係は維持しておこうかな位の相手の事」

「それって、なんか可哀そう」


凜の表情が見る々曇って行く。もしも莉子が本当にそんな風に今野を確保しておこうという考えだとしたら、彼の思いは完全に空回りで浮かばれる事は無いのではないかと思った。


「でもそれって、正しくはないけど完全に否定される考え方でも無いのかなって、おかぁさん思う。まぁあくまで場合によるんだけどね」


その言葉を聞いてあからさまに怪訝そうな態度を見せる凜の姿が少しおかしく感じて母の頬が思わず緩む。


「その子って、物凄く寂しがり屋さんなんじゃないの。表向きは元気で明るくて屈託がないけれど、人が見ていないところではどうなのかしら、一人になると案外どうしていいのか分からなくておどおどしてるんじゃないかしら」


母のその言葉に切なくて少し寂しげな感情が湧き出して、あの時の光景が思い出された。莉子が真珠の涙珠なみだでアスファルトに黒い染みを作りながら寂しさの果てを目の当たりにした時に見せる表情に似た面差しで凜に自分の心を伝えたあの日の光景を。


「……あ」

「どうしたの、凜?」

「え、う、うん、そ、そうだね……」

「ふふ、心当たりがあるみたいね」

「う、ん……」


微笑みながら問いかける母の言葉が何故かとても暖かく感じたのは、もしも終焉しゅうえんの時が来たとしてもそばに居てくれれば心安らかにその運命を受け入れられそうな気がしたからかも知れない。


「で、さ、カッコいいって、何だろう?」

「そうねぇ、何かしらね」

「やっぱり見た目、なのかな」

「おかぁさんは、自信と実力が一致している人だと思うけど」

「自信と実力?」

「そう、ビッグマウスや無謀な人は見ていてハラハラするし、かと言って手助けしたいとも思わないでしょ」

「う~~~ん……」

「有るんじゃないの、今野君には実力が、ただ、自信が足りないのかも知れないわね。それと思い切りもね」


そこまで聞いて凜の表情がほころんで行く。何が言いたいのか察する事が出来た様子を見て母の情も柔らかな陽の光に似た温かさを見せる。そして、凜は今野をどう説得して納得させようか思案を始める。これこそが男の友情なのだと実感しながら。

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