第38話

 二人の家に向かう途中に有る若干古めではあるが最近人気のカフェへと到着して、その店で安くもないコーヒーを二つ注文した。すると優斗は真っ直ぐに茉由奈を見つめた。

「今回の事は本当にごめんね……」

 そんな視線を辛く思っていたのか茉由奈は再び詫びていた。

 優斗はそんな言葉を聞きたいわけではない。

 しかし今の茉由奈は自分のしでかした罪に対して深く沈んでいた。

「本当にどうしたの? 解らないよ。俺がクビになるかもしれないからこんな男とはもう居られないと思った?」

 居なくなったのはそんな話をした次の日だったので、優斗は当然の様にそう思っていた。確かにそれなら納得できるだけの理由が有るので反論は無い。しかしそれにしてもちゃんと話してくれたら良かった。なので聞かなくてはならない。

 しかし茉由奈は首を横に振っていた。

「そんな事は本当に気にしてない……そうじゃなくて最近あたしが関わると周りの人が不幸になってる気がして」

 注文していたコーヒーが届く。

 優斗は茉由奈の話を聞いて一度ため息を吐くと熱いコーヒーを含んで難しい顔をしていた。

 対する茉由奈はまだ泣きそうな顔をしてずっとテーブルの一点を見つめている。

「意味がわからない。俺はいたって幸せだよ。それこそマユが居てくれないとそんな事が消えて無くなりそうだ」

 全く不思議そうに優斗は茉由奈を見る。昨日はちゃんと納得してくれていた筈なのにあれからどんな事が有ったと言うのだろう。そんな事を考えても優斗には解らない。

「実を言うと昨日元旦那の実家から電話が有ったんよ。それであの人が自殺を図ったって言われた。その理由はあたしだって……」

 茉由奈の方から話をする様に語る。その内容はかなり重たいものだった。

 そんな話を聞かされると優斗は言葉が見当たらない。それなのでうつむいて考え込んでしまう。

 茉由奈はずっと辛そうな顔をして泣いていた。そんな想いを優斗はしてほしくも無い。

「自殺ってのは本当なの? 確かに離婚ってのはショックなんだろうけど……そんな事もちゃんと話し合ってたんじゃないの?」

「自殺は本当だと思う……」

 茉由奈はそう言われてふと考え込んでしまいながらも語る。昨日の電話の事を考えてる。元旦那の母親はそれなりに激昂していたがその事でかえって真実味が有ったと思えてしょうがない。

「まあ、そんな事を嘘はつかないよな……」

「話し合いの方もちゃんとあの人も納得してくれてたんだと思ったんだけど、違ったのかなぁ」

 か細く涙に消されそうになりながら顔を伏せて茉由奈は話していた。茉由奈には疑問でしかなかった。自分と離婚した事をそんなに気にしている雰囲気ではなかったからだ。

「ちゃんと物事を確認してから考えよう。取り敢えず元旦那さんは無事なのか?」

「それは一応……今は病院に居るって聞いたから……」

 昨日の電話での話。元旦那はふらりと地下鉄が近づく駅で身を投じた。しかし周りに居た人達によって助けられ轢かれる事は無かったらしい。

「それでマユは今回どうしようと思ったの? 彼の元に戻ろうとした?」

 優斗は順序を直して話を進める事にした。本当は恐くて聞きたく無い事。しかしちゃんと話す為にはこの事も聞かなければならない。

 言葉を発した途端に喉がかさついて苦しくなるが茉由奈の答えを待つ。時間が刻々と過ぎてほんの数秒がとてつもない程に思える。

「違う」

 茉由奈の言葉に優斗はほっとして居たがそれを明かそうとはしない。それはちゃんと優斗にも解っていた。それはあのバスの目的地が茉由奈の住んでいた地とは反対になっていたからだ。

「じゃあ、どうしてこんな事をしたの?」

 優斗はあくまでも問い詰めるようにではなく、やさしく聞くように話していた。

 茉由奈はそんなやさしさに泣くのを辞め、ちゃんと話そうとしている。

「あたしが居なくなれば誰も面倒な事にならないと思ったの。あの人も、もう戻る事を望んで無いだろうし、ユウちゃんも仕事でおかしな噂なんて気にしないで居られる。そう思ったら遠く誰も知らない所にって……」

「頼むから……そんな事を考えないでよ。俺にはマユが必要なんだから。それにこんな事をしても全く物事は良くはならないよ」

 優斗は茉由奈の手を掴んで語っていた。今度は優斗の方が泣きそうになりながらも、しっかりとそんな事を伝えていた。

「あたし、ユウちゃんの側に居て良いの?」

 涙を拭って茉由奈は語っていた。その瞳は普段より閃いて見えていた。

「もちろんだよ。本当の事を言うと、俺としてはマユにこれからずっと隣に居てほしいな」

 涙に洗われて澄んだ瞳の茉由奈を見て優斗はニコリと笑いながら話した。そんな優斗は本当に安心した眼で茉由奈を見つめている。

 その優斗の言葉に茉由奈の顔が段々と元に戻り始める。やっと見えた茉由奈の普段の顔だった。

「それってプロポーズにも聞こえるね」

 茉由奈は微笑んでいた。

「うーん……正直なところ俺はそのつもりで話していたんだけど」

 優斗はコーヒーを片手に持ちながらちょっと笑っていた。完全にスルーされた気もして、もう笑うしかない。

 対する茉由奈はそんな返答を聞いて照れている様子だった。

「えーっと……うん。あたしも正直な事を言うね。本当はユウちゃんの隣に居たい。だからその内結婚してくれたら嬉しいな……」

 ちょっと視線を外しながらもちゃんと茉由奈は話した。

「嘘……」

 逆に優斗はそんな言葉を呟くしかなかった。これまで直球な言葉は優斗からばかりだったので今の茉由奈の言葉を信じられないでいる。

「こんな時に嘘言わないよ。折角気合で話したのにユウちゃんズルいよ!」

 茉由奈は顔を手で覆っている。かなり照れてると思われた。

 そして優斗はテーブルに頭を付けていた。

「………………」

 呟く様に優斗が語っている。しかし反対側に居る茉由奈にも聞こえないくらいの音量だった。

「どうしたの?」

 急にそんな行動をとる優斗の事を茉由奈は心配して居た。それは当然な事。

 しかしそんな優斗は嬉しかった。喫茶店でなければ叫んで走り回りたいくらいの気分。しかしそんなおかしな人にならないように静かに喜んでいた。暫くそうしていると心配している茉由奈に気付いて顔を挙げる。その表情はビックリする程の笑顔だった。

「嬉しくてしょうがない」

 ずっと笑顔で茉由奈を見つめていた。

「あはははっユウちゃん馬鹿でしょ」

 そんな優斗を見て茉由奈が笑う。もうそれはケラケラと店内に広がる様に。

 そして優斗も笑った。

 二人がずっと楽しそうに笑っていた。しかしもちろんそんなのが店で許される訳も無い。しっかりと店員から注意を受けて二人は静かになった。だがもう暗い雰囲気は無い。

「じゃあ、約束しようよ。その内結婚しよ。ちゃんと指輪も用意してもう一度話すから」

 優斗はそう言うと右手小指を茉由奈の方に見せた。意味は茉由奈も解った。そして二人は静かに指切りをした。優しくて強く。嘘の無い約束。

「直ぐって言えなくてごめんね。あたしは今結婚が法的に許されないしね」

「もちろん、そんな事は気にしてないよ。マユもちゃんと納得するにはちょうど良い期間じゃない? 俺はこれだけ待ったんだからそんなの直ぐだよ」

 まだ指を離さないで二人は話していた。幸せな時間はいつまでも続いていたい。

「しかし急転する日だったな……逃避行しようとしてたのに結婚の話になるなんて」

 やっと指を離した。これで本当に約束をした事になる。

 そして落ち着いた茉由奈はもう温くなっているコーヒーを片手に語った。確かにこの店に訪れたのは行方不明になった事の理由を聞くためだった。

 そんな事優斗は忘れそうになっていた。

「マユ……もう一つ約束。もう自分だけで悩まないで。居なくなろうなんて考えないで。それが本当に俺には怖いことだから」

 優斗は笑顔を辞めて真剣に語る。もうその事だけは切実だった。

「うん。解った。こんな事はもう必ず無しにするよ。ごめんないさい」

 茉由奈の顔にはそんな寂しさは無くて言う。

 優斗はその顔を見つめる。確かにもう茉由奈は嘘を付いている様子は無かった。

「じゃあ、もう帰ろう。お義父さんとお義母さんも心配しているよ」

 優斗は茉由奈の頭を抱き締める。とても愛おしくて心が痛い。

 そんな想いは茉由奈も一緒で優斗に寄り添って歩いた。俯いている茉由奈からは優斗の足が見えている。確かな足取りで自分を導いてくれている。それはとても頼もしく優しい歩み。

 車に着くとまだ暖房が暖かい。それはさっきの優斗の言葉の様に茉由奈の心にまで吹いているみたいな気がしていた。

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