第32話
『今日帰るから石垣で会おうね』
次の日になってやっとメッセージが茉由奈から有った。そんな事で優斗は解っていたのに嬉しくて仕事もいつもの倍くらい捗ってしまった。
そして犬の散歩。
もう帰ってる連絡もお疲れメッセージも有った。優斗は今日こそは犬を急かすように歩いた。
「お帰り」
「ただいま」
石垣にはにこやかに笑う茉由奈が居た。
単なる挨拶の返事が今の僕には嬉しい。あなたが居る。笑ってる姿が見える。話し声が聞ける。そんな普通の事ばかりが切ない程に愛しい。
「一応聞いとくけど困った事はなかったんだよね」
定位置に犬は座ると優斗も茉由奈の隣へ。
「全く心配する事も無かったよ」
本当にそうだった様子で茉由奈はにっこりと嘘の無い笑いを送っていた。
「それは良かった。またあの旦那さん怒ってたらどうしようかと」
優斗はほっとしながら高い所見上げて語る。
「基本はあんなに怒るような人間じゃ無いから……流石に嫁を取られたってのは気にくわなかったみたいだね。あたしもあんな姿見たこと無い」
「そう言われると心が痛むよ……俺は基本良い人だからね」
冗談半分なのでニカッと笑って優斗は茉由奈の方を向いていた。
「だからそういう事、自分から言わないもんだよ」
茉由奈は困った様に笑うと呆れているため息を吐いていた。
「他の人に言われないんだもんな」
優斗はお茶目に頬を膨らませてみるが単に茉由奈に笑われるだけとなった。それでも優斗は十分に嬉しい。
「やっと楽になったって気分だな」
伸びをするように茉由奈は両手を高く上げて話していた。
「因みに離婚についての話しはどこまで進んだの」
「気になってる?」
「別にー」
今優斗は茉由奈の顔を見れないでいる。嘘というのが解りやすい。
「報告します」
茉由奈は石垣から降りると敬礼をして優斗に向かい合っていた。
「うむ!」
そんな姿に合わせるように優斗も返す。
「あたしはこの度すでに三浦茉由奈に戻りました!」
「へっ!」
さっきまでのコントを忘れて優斗は石化してしまっていた。
「だからもうちゃんと離婚したって事」
「離婚ってそんなに直ぐ済んじゃうものなの?」
優斗が驚きから戻ると次は考え込んで聞いた。結婚もしたことも無い優斗には全く分からない事。
「そうなんだよね。かなりあっさり。離婚届を一応用意してたらちょいちょいとサインしてハンコを押したらお役所さんが瞬間芸で完了なんだよ」
茉由奈はひょいと石垣に戻ると語る。
「それは簡単だな……ってよりも普通はそれまでが難しいんじゃないのかな?」
ニコニコと簡単に話す茉由奈だが普通はそんな事で済まないだろう事は優斗にも解る。
「あたしの元旦那も離婚したかったんじゃないかな? 普通に浮気くらいしてたんだろうし、今回の騒ぎで喜んでたんじゃない」
茉由奈は元と言う事を強調して語っていた。しかしこの考えは茉由奈の勝手な思いでは有るが妻の考えと言うのは意外と当たるものである。
「そんなことは無いだろ。あの時の必死さはかなりだったよ。あれが演技なら俺は殴られ損か?」
優斗はあの時の殴られた頬に手を当ててみた。もちろんもう痛みは無いしかし当時を思うとまだ心には棘が在る。
「やーい、殴られ損!」
笑いながら茉由奈は優斗の肩を叩きながら茶化していた。
「痛かったのに……」
優斗は膨れて楽しそうな茉由奈を睨んでみた。
「だから殴り返しちゃえば良かったのに。ユウちゃんの強い所ちょっと見てみたかったな」
「暴力だけが強さじゃないんだよ。あの時の俺強かったでしょ?」
横の茉由奈を見て優斗は首を傾げながら聞いた。
「その強さなら確かにとちゃんと見ましたよ。でもこっちは怖かったんよ。解っとる?」
茉由奈はそのしぐさにちゃんと頷きながら答えを言う。
「それはごめん」
「まあ、それはもう終わった事として本当にやっと気が楽になったよ……ユウちゃんと再会しなくても離婚しとけば良かった」
両手を挙げて畑に茉由奈は倒れ込みながら語っていた。その表情は本当に晴々しくて悩みが消えた様に思える。
「終わった事だから聞くけどマユ達ってそんなに仲悪かったの?」
にこやかに天を仰ぎながら横になっている茉由奈の顔を見ながら優斗は聞いた。
「うーん……別に険悪って程仲悪い訳じゃなかったけど、今思うと本当に愛の無い夫婦だったかな? あの人帰ってこないから顔合わすこともなかったし」
ちょっと考えた茉由奈は自分のことなのにあっけらかんと話していた。
「その愛は旦那さんが帰ってこないから冷めたの?」
「元! 旦那ね」
茉由奈は再度強調して優斗に注意する。
「はい。元旦那さん」
そんな注意もあったので優斗も言い直す。
「どうだろうか……まあ、帰ってこなくなって、これは他所に女がいるなって思ってたよ」
普通暗くなりそうな話題なのに茉由奈は明るく楽しい事を話すように語っていた。
「仕事が忙しいとか思わなかったの?」
「基本は定時に帰れる職場なのにずっと帰ってこないのはおかしいでしょ? と言ってもあたしも本当に浮気してるのか確かめようとしなかったしね。もうその頃には愛は無かった」
「非道い女だ……」
優斗が怖そうに視線を逸らして呟いていた。
「あはははっ確かにそうだね。そんな非道い女の事ユウちゃんはどう思う?」
「俺はそんなに非道い事されて無いからなぁ……今のところ好き。因みにもし俺が浮気したらどうする?」
「その時は相手を殺してユウちゃんを取り戻す」
茉由奈は全く考える事も無くさらりとそんな怖い事を言うが逆に考えると愛されているので優斗は嬉しくも思う。
「マユを殺人犯にはさせないよ。さてと寒くなってきたし帰ろうか。いつまでもそんなとこに横になってると風邪引くよ」
仰向けになっている茉由奈に優斗が手を差し伸べる。すると茉由奈はその腕を強く引っ張って起き上がるとそのまんま優斗に抱き付いた。
「キスしよ」
「好きだよマユ」
急に甘える茉由奈が愛らしくて一度強く抱き締めた優斗はそれからキスをした。二人の所には暖かさが在る。
今日は新月であたりは暗いが二人の道は確かに見えていた。
それからもやっと二人共自由恋愛の身となったので毎日石垣でのデートを重ねる。
しかし問題は全て消えたわけではない。例の噂は更に続いていてちゃんと優斗は茉由奈の浮気相手とされていてその為に離婚したといつの間にか本当の事になっていた。とは言え誰かが本当の事を話した訳でも無く単に噂話の尾ひれが近付いただけの話である。そして近所ではもう白い目だけでは無く二人の事を認めて石垣に並んでいると微笑ましく眺める人もいた。だが優斗の会社ではそうはならず確かに同僚の間では味方になろうと言う人間も居たがずっと上司の顔は渋かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます