第26話

 次の日、仕事に向かうと着いたばかりなのに上司に呼ばれた。こんな事はそうは無い。周りでは恒例となった白い目で仕事仲間達が優斗聞こえないように話をしている。どうせいつもの噂だろう。

 優斗は上司と共に事務所の一角にある会議室に向かう。そこには誰もいなくて上司と優斗が向かい合って座る。上司はずっと困った顔をして優斗の方を見ていた。もうこの時にはどんな事を聞かれるのか解ってしまった。渋々話し始めたのはやはり噂の事だった。直属の上司であるこの人物は一応個人の事だから気にしないとしていたがどうやら話によると、上層部のとある人間が好ましくないとして優斗に対して罰則を与えようとの話が有るとのことだった。しかもそれは厳しくクビの話まで有るらしい。

 そんな話を聞いた日の散歩は気が重い。当然今日も茉由奈は石垣で待っているのが遠くからでも確認できる。

「こんばんわ!」

 茉由奈は明るく挨拶をしてるが、しかしそれは優斗から見ればちょっとカラ元気にも思えた。けれどそれに気付いた事は表さない。

「元気やなぁ」

 そんな茉由奈に優斗もテンションをわざと合わせて話す。

「ユウちゃん明日休みでしょ。飲もうよ!」

 今日の上司との話ですっかり忘れていたが、茉由奈とそんな約束をしていた。

「そうだった。忘れてたよ。そうだね。楽しく飲もうか」

 今の優斗には飲んで忘れたい事も有る。

「ちょっと話したい事もあるし……」

 今日はもう別れることにする。

 別れ際の茉由奈の言葉は気になったが、優斗は犬の散歩をこの最近では最速で終わらせると、準備を済ませて再び石垣の所で待つ。暫くすると茉由奈も訪れ二人はバスで街へと向かう。

 まずは普通の居酒屋で地物の魚が美味しい店で普通に飲む事にした。二人共が肝心の話をしないで普通に普段の事を忘れたかの様に楽しく飲んだ。

「次はどんなお店をご所望なのでしょうか?」

 酔っているとは言えまだ茉由奈はおろか、酒に弱い方の優斗にもまだ余裕が有るので酒場街を歩きながら聞く。

「ちょっと落ち着いて話がしたいから、あのバーで飲もうよ」

「あの店、俺のとっておきだからマユ以外知らないんだよ」

 ちょっと優斗は文句も有りそうに話す。

「じゃあ、ダメなの?」

 愛らしくはない茉由奈の睨むような瞳が優斗を向いて有る。

「二人だけの内緒の店にしようか」

 嬉しそうに優斗はそう言うと、酒場街を歩いてちょっと静かになった所に有るバーに着いた。

「あたしはおまかせでゆっくり話せる様な品を」

「うーん、じゃあ、俺も一緒のもので」

 二人の注文でバーテンダーは少し考えるとウイスキーのストレートを出した。

 そして二人は軽く乾杯をした。茉由奈と居るとの楽しいが次の話が気になり居る。

「あたしからも話したい事は有るんだけど、ユウちゃんはどうかしたの? もしかしてこの前の噂の事が悪くなった?」

 優斗は今日いたって普通にしているつもりで、会社で有った事を気にしてる様子は悟られない様にしていたが、茉由奈にはいつもとの違いが解ってしまったみたいだった。

「そんな事無いよ。会社の方ではもうそんな噂なんて消えちゃったくらい」

 嘘を付いた。茉由奈にはそんな事で悩んでほしくない。優斗は悩むのは自分だけで構わないと思っていた。

 しかし返事もせずに茉由奈はグラスを置いて、隣に居る優斗の瞳を見つめる。

 優斗はここが嘘の付きどころだと、その愛らしい茉由奈の瞳を見つめ返して、にっこりと微笑んでみせた。

「嘘ついてる」

 茉由奈の視線は優斗から外れずに語っていた。

 負けては駄目だと優斗も睨むかのように見つめ合い続けた。

「どうして嘘なんよ。俺がマユに嘘つく訳がないじゃないか」

 今度優斗は笑って誤魔化そうとしている。もうそれが叶う事を願うしかない。

「違う。ユウちゃんはこんなに真っ直ぐに見つめたら、照れて視線を軽く外すのに今日はそれが無い。必死で嘘をついてる」

 優斗はそんな言葉に両手で顔を伏せた。完全なる負けである。

 茉由奈にはそんなところで勝てない事を痛い程に思い知った。

「降参だよ。ごめん。噂は続いてる……」

 ため息をついて優斗は煙草をポケットから取り出して火を付ける。そして煙草の箱を茉由奈にも差し出す。すると茉由奈も煙草を吸った。

「もう嘘は言わないでね」

 吸った煙がバーの天井に広がると、茉由奈はカウンターの上に有った優斗の手を取り繋ぐとそう言う。もう優斗は嘘を付く気を無くしてしまっていた。暫くすると優斗はポツリと呟き始めた。

「解ったよ。全部話す。だけど、マユに責任は無いんだから気にしないでよ」

「それは、話によるかな」

 どこまでも優斗は茉由奈に勝てない様に思えた。優斗は灰皿で煙草の火を消す。細かな火が灰皿の中で舞う。

「正直言うと噂は更に広がった。今日は上司にまで呼ばれてその話が有った」

 まだ二人の手はしっかりと繋がれていた。

「それから? まだ悪い話は続くんでしょ?」

 予想してたかの様に茉由奈は表情を保って横に居た。

「マユって本当に俺の心読んでるみたいだ」

 暗い話しなので優斗は笑った。もうそれは楽しそうに。

「簡単過ぎて本当に笑えるくらいやん」

 茉由奈の顔はもう既ににこやかになり語る。

「あくまでもマユは気にしないでよ」

「それはもう解ったから」

 優斗が繰り返し言うので茉由奈は呆れたようにしながら語る。

「クビも有り得るって言われちゃった……」

 あえて優斗は気にさせないように明るくお茶目にも話す。

「そんな事まで?」

 驚いた茉由奈は優斗の腕を掴んで心配そうに見つめていた。

 優斗は茉由奈にこんな顔をしてもらいたくない。正直言えば話さなくてすめばよかったのだが、それを許されなかった事を痛い程思いっていた。

「だから気にしないでって」

 わざと優斗は笑顔を作って自分の腕に有る茉由奈の手を掴む。若干震えてる様な手が心を掴んで離さない。

「だけど……ユウちゃんの重荷になりたくなかったのに……あたし……」

 その手の震えはついに涙を呼んでしまっていた。

「俺が気にしてないのにどうしてマユが泣かなきゃだめなんだよ」

 困りながらも優斗は笑顔を作って、茉由奈の肩を抱き寄せる。

「だって、あたしが悪い……」

 実際許されない恋をしたのはあたしだ。君は普通に人を好きになっただけ。そんな事は良く有る。だけどあたしは旦那がいるのに……。違う。好きな人の事を忘れようと結婚してそれでも想いは消えなくて、だから悪いんだ。

「そんな事無いよ。マユが悪い事なんて全く無いよ。俺に責任がある事なんだから」

 優斗はずっと笑って茉由奈を泣きやまそうとしている。しかし本人に不安が無い訳では無いだがそれよりも茉由奈の事を大切に思っている。

「解ったよ。じゃあ、ユウちゃんの責任にする」

 暫く泣き続けた茉由奈はふと泣きやんだかと思ったら優斗の事を見つめて一転そんな事を語る。この時の茉由奈は一つのことを心に考えていた。しかしそんな事を優斗には悟られない様にした。

「うん。それで良いんだよ。それでマユの方の話って?」

 ちょっと驚いた優斗だったが、そう茉由奈が言うので気にしない事にした。取り敢えず茉由奈を哀しみと近づけさせたくはない。

「あたしの考えもちゃんとまとまりましたよ」

 茉由奈の顔はもう笑い楽しそうに語る。

「そうなんだ……ちょっと怖いけど聞かせてくれる?」

 優斗の言葉はさっきの自分の事よりも遥かに重く怯えて聞いていた。

「ちょっとその事については歩きながら話そうか。もう二人共飲む雰囲気になってないでしょ」

 茉由奈にそう言われて見るとグラスにはまだかなり残っているが確かにもう酒を飲む気分では無くなっている。店に着いてからずっと話ばかりをしていて飲んで無かった。それは店にもお酒にも申し訳ない。

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