第23話

 そんな騒動の有っても夜は静かに明けると真っ白な朝は訪れる。

 この日、優斗は仮病を使って仕事を休んでいた。しかし、全てが仮病と言う訳でもなく、あちこちに昨日殴られた痣が有り、かなりの痛みが残っていた。

 朝から茉由奈にメッセージを送り石垣へと呼び出す。昨日夜中まで話していた茉由奈だったが、その返事に直ぐに答えると約束の場所に移動する。

「あれから、どうなったの?」

 今日は優斗の足元に犬は居ない。これは散歩のついでじゃ無くて、ちゃんとした話をするためなので当然の事。

「三浦家最高の騒動になったよ……あたし親不孝だね……」

 冗談めかしながらも昨日からその表情は暗くてまだ直っていなかった。

「全部、俺を悪者にして良いからね」

 そう今回の事は本当に僕が悪い。そんな事もちゃんと理解してるし、逃げようなんて思ってもないよ。ちゃんと責任も取るから。

「そんな事しないよ。お母さんもお父さんもユウちゃんの事は良い人って判断はかわってないから。そんな人が浮気相手だと話したら最後には納得してくれたし」

 優斗が気に入られていたのは茉由奈の家族ではおじいさんだけではなかった様子。

「あれから旦那さんとは連絡取れた?」

 気になっていたことを優斗は聞いた。話す度に彼に殴られた頬が痛む。

「一応……」

 茉由奈の切ない瞳は優斗を捉えていた。まだ心配してるのだろう。彼の事を話すのをちょっと考えている様子。

「話したくない?」

 そんな様子を察知した優斗は茉由奈の手を取っていた。冬の寒さにかじかんだ手が震えてる。しかし、その震えは本当に寒さだけなのだろうか。それは優斗には分からないこと。

「そんな事は無いけど、ユウちゃん聞きたくないかなと思って……」

 確かな暖かさの伝わる手。そんな優斗の手を茉由奈は見つめていた。

「俺も気になってるからね……どうして旦那さんはあの時、殴るのを辞めたんだろうって」

 あの時の彼の目は本当に切なく思えた。それを見ていた優斗はずっと気になっていたのだ。

「それはあたしも聞いた。そうしたら自分はユウちゃんに負けたんだって。意味解らないね……」

 困ったようにも見える顔をして茉由奈は優斗の方を見た。

「旦那さんも優しい人なんだね」

 優斗の言葉に茉由奈は更に首をひねった。意味が解らない。そんな言葉が浮かんでしまった。

 しかし、横の優斗は安心していた。悪いばかりの人ではなかった事を。

「どういう事なの?」

「まあ、それは良いとして、旦那さんの方はあれからどうしたのか解ってる?」

 優斗は言葉をはぐらかしていた。それは簡単に説明できる様な事ではない。

 説明が無かったので茉由奈は一つため息をつくが、話を進める方を選んだ。

「うん。あれから家に戻ったんだって……まだ怒ってる風だったけど、これからどうするのか、ちゃんとあたしの意見も聞いてくれるくらいには落ち着いてたよ」

 元は茉由奈の旦那も温厚な人の様子で昨日の怒りは普通では無いらしい。

「俺もそれを聞きたい。直ぐに考えられる事では無いと思うけれど、マユはこれからどうしたいの?」

 石垣から見える海には漁船が今から帰るのか横切り、防波堤まで引き波を届ける。ちょっとの間黙っていた二人の間に波音が響いていた。

「ユウちゃんとは一緒に居たいけれど、ちょっと真剣に考えたい事が有るから……」

 茉由奈は哀しそうな表情で自分の手を強く握りしめて淡々と話していた。

「そうだね。俺が言うのもおかしいだろうけど、昨日の旦那さんはマユの為にあんなに必死だった。そこに戻るのも一つの選択やと思うよ……もちろん俺はマユと一緒に居たいけれど……。でも、俺の助言は聞かないで考えてよ。どんな結果になっても選んだ道が正解だよ」

 もう冬だというのに陽が強く指して寒い街にも暖かさを送っていた。

「ちょっとだけ、あたしに考える時間をちょうだい」

 茉由奈に今は時が要る筈と誰もが思える。

 それは必要である事は優斗にも考えなくても解る。

「解った」

 そう答えた優斗は両手を広げて石垣を歩く。石垣の高さは約一メートル程なので落ちても着地さえすれば怪我することは無いだろう。

「ユウちゃん……優しい振りしてる?」

 優斗を茉由奈は石垣に座ったまま見上げていた。

「そんな事無いよ。ほら、俺って本当に優しいから」

 優斗はその場でジャンプして半回転すると、茉由奈の方を向いて笑いながら話す。もちろんこれは茉由奈を笑わせる為の言葉。

 哀しい表情なんてあなたには似合わない。そんな事はみんなもそう思ってるだろうけど、僕が一番解ってる。笑っているあなたはとても美しい。

 そんな姿を見て茉由奈はクスクスとつられたように笑っていた。

「それって自分で言う事?」

 もう可笑しくて茉由奈は転げそうになりながら話していた。今の二人にはこんな会話が一番楽しい。

「他人が云ってくれないからさ」

 やっと笑ってくれた茉由奈に、優斗はしゃがみこんでニコニコと話している。

「やっぱりあたし、ユウちゃんの事が好きだな」

 笑いが収まった茉由奈は急に静かになると、遠くの雲を眺めながら独り言の様に語る。

 本当の言葉を思ったまんまをちゃんと話せる。そんな君を好きで良かった。あたしの心はそんな事にも安堵しているんだよ。

 すると優斗はしゃがんだまま眉間に皺を寄せて考えた。

「うーん、それは俺も負けてない」

「ふーん……そんなに自分の事好きなんだ。へー」

 明らかに意味は解っているのに茉由奈はそんな事を言う。だから優斗は一歩近付くと、愛の有るチョップをおでこにお見舞いしておいた。

「ちゃんと言うよ。俺は誰にも負けないくらいマユの事が好きだ。もちろん旦那さんよりもな」

 さっきよりも顔は近くてお互いの顔は良く見える。

「そんなテンションで真剣に言えるとこがユウちゃんのズルいとこだよね」

 呆れてため息を付きながら今度は茉由奈が石垣の上を歩き始めると、優斗がその後を付いて歩く。

「折角マユが居るんだから、今度また飲もうよ」

 畑の曲がり角で優斗が思いついてそのまんま言葉にする。

「あたしの今の状況でそれはどうかと思うんだよね」

 優斗より酒好きで更にそれを望んでいた茉由奈だったが、一応自分の置かれているところを考えて簡単な答えは言わない。

「別に良いんじゃないかな?」

 二人は歩き続けて、もう石垣の上の畑を半周していた。

 冬の海風が冷たくて心の暖かさを確認させる。

「まあ、飲むくらいなら……でも、それよりも前にちゃんと答えを考えておかないと」

 あたしのこれまでの事。そして君とのこれからの事をちゃんと考えなくては。道が今、歩いてるところのようにちゃんとわかってれば良いのに。曲がり角が有ってもちゃんと道は続いてる事を確認できるくらいに。

「うん。しっかり考えてな」

 そのまんま二人は畑を一周すると、茉由奈が今日はゆっくりと考えたいと言うのでその場で別れた。茉由奈は実家に帰ると結婚してもまだ、ある程度片付けられている自分の部屋で戻る。部屋の窓は海に面していて水平線まで綺麗に望めていた。その窓に座って冬の冷たい海風に吹かれながら考えていた。

「もう私の戻る家じゃないと思ってたのに、こっちの方が落ち着く……」

 都会の今の家を思い浮かべながら茉由奈はポツリと呟く。

 そして優斗も茉由奈が自分達の事で悩んでいるので外に出る気にもなれず、この日はずっと部屋にこもって適当に時間を潰した。

「痛い」

 殴られた頬が時々ズキズキと痛んで、優斗の部屋の天井に言葉を示した。その痛みが本当に単に殴られただけの痛みなのかは優斗にも解らなかった。

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