第22話

 茉由奈からの返信は次の日の仕事の時間になっても無かった。どんな事になったとしても知らせてとのメッセージを優斗は残して仕事に向かう。常に携帯を気にしながらなので若干の仕事上のミスをしながらも、今日も終わろうと陽が傾いていた。優斗の仕事の時間を待っていたかの様に電話が鳴ると、それは茉由奈からだった。

「昨日はどうかしたの?」

 本当は喧嘩になったのでは無いかと問い正したい所を、優斗は穏やかに話した。

『本屋で待ってる』

 電話はそんな一言で切れた。優斗は意味が解らないが、取り敢えずはその場所に向かってみる事にした。本屋と言えば思い当たるのは他に無いくらい二人が常連だった店を訪れると、その駐車場に茉由奈が居た。

「帰ったんじゃなかったの?」

 今そこに居るのが信じられないで、優斗が近付く。

 でも、確かに昨日帰った筈の茉由奈はその場に居た。

「ごめんなさいね、呼んじゃって」

 茉由奈の顔は暗く沈み俯いてさえ居た。そしてその隣には優斗の知らない男が並んでいた。

 一見品の良さそうな会社員で、年格好や背丈は優斗とそうはかわらない。

 瞬間的に解ってしまった。この男が茉由奈の旦那なのだと。そんな人物に優斗は一つ会釈をかわす。

「こちらの方は……?」

 解りながらもそう聞くと茉由奈は更に俯いて、旦那の方が一歩踏み出す。黙って優斗を睨んでいる。

 そんな問にこの人物が答えないことくらい優斗にも解っていた。そして彼の顔は完全に怒っていた。

「あのね……ユ……篠崎くん、この人は私の旦那で……」

 かなり怒っているその彼を気にしたのか茉由奈は説明を始めるが、言葉は消えてく。

「どこまで話したの?」

 優斗は自分の事なんて睨むだけで全く無視している彼から視線を外して茉由奈を見る。

 心配そうな表情で茉由奈は二人のことを交互に見ていた。

「全て……」

 優斗の質問に茉由奈が答えようとした瞬間に彼はその睨みを移した。

 そんなギロリとした目で見られた茉由奈は一言だけをポツリと言うと、威圧に負けて一歩足を引いていた。

 対する優斗はひどく冷静で要られて、恐怖なんて言葉が消えて無くなったよう。

「では、一応俺達の事も解ってるとして話しますが、自分はマユの事を愛してます。あなたよりも。そしてこのお付き合いは真面目なものです」

 その言葉に嘘はなかった。

 真実だからこそ彼にもその想いは伝わったのだろう、再び優斗を睨むと急に襟元を掴んだ。

「ちょっと待って……」

 その腕を捕まえて茉由奈が悲しそうな目をしている。

 今三人が居るのは丁度本屋の自動ドアの前なので、周りにはそれなりに人が居てあからさまに見る人は居ないが、通り過ぎる者からそれなりの注目を集めていた。

 そんな誰もが見ている雰囲気を察した彼は一回咳払いをすると、優斗を離して茉由奈の腕を引き駐車場のすみの店からも道からも見えにくい方に歩く。

 そんな姿をちょっと怒りながら優斗は後を付いて移動する。

 歩いている途中、彼は茉由奈に一言だけ話をしていた。

 駐車場の隅に到着すると俯いていた茉由奈が顔を挙げて優斗の方を心配そうに見た。その顔に返事するように優斗はニコリと笑みを作る。

「気にしないで」

 安心させようとした優斗の笑顔が伝わったのか茉由奈はコクリと頷いた。

 彼の話していた事は優斗には良くは聞き取れなかった。しかし、推測するに優斗の話したことが本当か確かめたのだろう。

 その事に対しての頷き。つまりは茉由奈も浮気を認めたのだ。

 そんな瞬間だった。彼はふらりと優斗に近付くと殴った。

 こうなる事は優斗は解っていた。元から予想はしていたので彼が動いた時から覚悟していた。自分は一歩も動かないと。

 彼の右拳は優斗の腹部の中央に、深く重い痛みを味合わせるので、優斗はその痛みによって身をかがめてしまった。しかし、そんな事で彼の怒りは終わらない。当然とも言える事だ。攻撃は続いた。肩を掴まれおこされた顔に再びの痛み、それからの左回し蹴りを受けた優斗は倒れ込んでしまう。

 しかし、優斗はどれも避けないで更には顔色もかえないで痛がって居る風では無いが、もちろん痛い。

「ちょっと辞めてよ」

 優斗も反撃するだろうと思ってを待っていた茉由奈だったが、それは起こらないので遂に彼を停めようとする。

 必死に停められながらも彼はまだ怒っている様子で居た。そして反撃の無いことを呆れたように高笑いをした。

「殴り返すつもりは無い」

 そんな笑いに対する優斗の回答だった。元より優斗はこういう状況になったら殴られようと思って居た。それが自分の責任の取り方だと思って、そして必ず反撃はしない事を心に誓っていた。そんな優斗の答えに彼は更に腹をたて殴る。もう優斗の頬は腫れてしまっていた。

「いい加減にしてよ」

 殴られてる優斗を見ていた茉由奈はこの暴力を停めようと彼の腕にしがみついたが、軽く払われてしまった。

 倒れそうになった茉由奈に優斗が手を伸ばして掴んだ。

 そんな様子を見ていた彼は茉由奈の方を向いて腕を振り上げる。どうやら怒りの目標が移ったらしい。

 殴られると思った茉由奈が身をすくめた。

 その時、優斗は今まで全く反抗しなかったのが嘘のようにさっと移動して彼の腕を掴む。

「女を殴るなんて最低だ」

 ギラリとした瞳で優斗は彼を睨んで強く語る。

 それに負けないような瞳で彼も睨み返していた。そして、再びの高笑い。彼は再び優斗の肩を左手で掴んで腹を殴ると痛みによってかがんだ身体を再び掴むと、駐車場の端にあたるフェンスまで引きずる。そして優斗の体をフェンスへと叩き付けるみたいに投げる。軽くはないはずの優斗は硬く冷たいアスファルトに叩きつけられ、うずくまってしまった。

 しかし、まだ彼の気は収まらないようで優斗に近付こうとしたが。茉由奈が優斗を覆う様に守った。その瞳には涙をたたえている。恐くてカタカタと震えながらも茉由奈は頑張っている。

「もう辞めて……お願い」

「俺の事なら気にしなくて良いから……」

 優斗はそんなまだ震えている茉由奈を優しく抱いて、彼の方を睨んでいた。

 守り合おうとする二人を見た彼は更に怒りをつのらせた様子で、俯いて片足を挙げると思いっきり蹴った。

 ガンッと横に有った鉄製のフェンスが揺れていた。その一蹴りから彼の顔からは不思議と怒りは消えてしまっていた。それどころか一つため息を吐いたかと思うと彼は守り合う二人を見て寂しそうな表情をした。

 茉由奈が泣いている。こんな事にはなりたくなかったのに優斗はこれまでの事を考えて、自分が悪かったと思っていた。

 彼は急に踵を返すと二人を無視して去ってしまった。

 どうして攻撃が終わったのかは解らない。しかし、もう二人の元に恐怖はない。

 冷たい風が吹いている。

「どうして殴り返さなかったの?」

 鼻をすすりながら茉由奈は腫れた優斗の頬に手を当てながら聞いた。

 冬の寒さに冷えた茉由奈の手が、殴られて熱をもつ優斗の頬に当たって癒される気がした。

「全ては俺が悪いんだし……暴力でどうにかなるとは思わなかったし、一応今はマユの旦那さんだしな」

 今頃になって優斗はあちこちが痛くなって、ちょっと直ぐには動けそうになく話し、声も弱々しくなっていた。

「ユウちゃんのバカ……あんな奴、殴ってボコボコにしちゃっても良かったのに」

 茉由奈は優斗の肩に顔をうずめながら泣いていた。

「そんな事を言うなよ。一度は愛した人なんだろ?」

「元から愛してなんか無かったよ。そう。あなた以上に好きになった人は居ない。間違いだったの。あんな人間だって知ってたら結婚なんてしなかったのに。そうしたらユウちゃんと今頃普通に幸せに付き合って……もしかしたらもう結婚して更に幸せに思ってたかもしれないのに。あたしの人生失敗したよ……」

 今の茉由奈は色々な事が思い出されて更に涙が流れる。

「そんな事無いよ。失敗じゃない。二人が離れた事で今が有ると思おうよ。俺はマユと居られるだけで今幸せだよ」

 駐車場のすみの誰にも気付かれない所で殴られた男と泣いている女が居る。

 冬の風は冷たいが、その場だけには確かな暖かさが有った。

 暫く泣いていた茉由奈だったが泣きやむと、やっと若干痛みの引いた優斗と共に車に移る。

「本当にごめんね……」

 涙こそ見せないがちょっとした引き金があれば茉由奈は直ぐに泣けそうな顔をして、申し訳無さそうに優斗に話していた。

「もうそれは無しにしようよ。それより実家にはマユがこっちに居る事知らせてあるの?」

 痛む顔をどうにか笑わせて優斗は話していた。

「知らないと、思う……昨日あれからあの人と話をして、今朝急にこっちに戻ったから」

 あの時から連絡を取れなくなったのはそれが理由だった。

 茉由奈は昨日、彼に優斗との事を話すと、多少の言い合いとなってから朝一番で彼の方からこの街に帰ると言われて戻っていた。

「旦那さんはどうしたのかな?」

 この街は茉由奈の故郷であるが、彼からしてみれば知らない土地。

「多分、家に戻ったんじゃ無いかな……知らない」

 今の茉由奈にそんな彼の事を気にしている余裕はない。

「取り敢えず実家に帰ろうか。俺からもちゃんと説明をするし……」

 寒い心とは別に車の暖房が静かに暖まり始めている。

「あたしもちゃんと親達にも、もう話すつもりだから。でも、ユウちゃんは心配しないで。それより今日は休んでよ。怪我の方が心配」

 茉由奈の瞳はもうその強い心を写した様に語る。

 暮れた街を二人を乗せた車は走り、茉由奈の実家へと進む。

「やっぱり俺も一緒に居たほうが良くないか?」

 実家の前に車を停めた優斗は心配してそう話すが、茉由奈は首を横に振っていた。

「親子でちゃんと話すから……」

 茉由奈はそう言うと車から離れて、家のドアで姿が見えなくなる。

 そして、茉由奈は事の次第を話すといつもの穏やかな家庭、ではいられる筈もなかった。茉由奈の母は泣いて父親は怒っていた。しかし、今日の茉由奈の旦那の行動を話すと二人は諦めるしかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る