第20話
どうにか会えたのは茉由奈の帰る前の日となる。もちろん場所は例の石垣。とは言え今日は優斗の仕事がかなり残業が有って、いつもより時間は三時間も後だった。
「ずっと待ってたの?」
「そんな事ないよ。ちょっと気分転換の散歩」
嘘だった。茉由奈は寒さで頬を赤く染め、軽く身体を震わせている。今、偶然会ったなんてそんな筈はない事くらい優斗でも簡単に解る。そしてこれまでの日もずっと待っていたのだろうと思った。
「こんな時間にどんな気分を転換したいのかな。冷えるよ」
ふーっとため息を吐きながら優斗は茉由奈の隣にピタッと座り肩を回す。
「おじいちゃんも居ないし、あっちに帰ったらユウちゃんも居ないと思うと、もう寂しくなっちゃって……」
今日はつまらない意地をはることもなく、茉由奈は自分の思う通りのことをスラスラと話す。
「遠くてもずっとマユの事を想ってる……会いたくなったら、また仕事休む……俺はまだ死なない……」
「うん、うん」
優斗が言う事に順々に茉由奈は頷いて返事をしていた。一言一言が冬の寒さに白く残って直ぐに消える。
「好きだよ、マユ……」
優斗は強く茉由奈を引き寄せると、そんな言葉を言う。
「ユウちゃん、そんな事を言うとこっちに戻りたくなっちゃうよ」
茉由奈の声は寂しそうに聞こえて居る。
「戻れよ……」
良く聞いてないと解らないくらいの声だったが、茉由奈は直ぐに反応して肩を離すと優斗の事を丸い眼をして見つめていた。
そんな真っ直ぐな瞳を優斗は見られずに俯いて居る。
「どうしたの?」
普段とは違う優斗の様子に、茉由奈は不思議そうな顔をして聞く。
優斗は顔を向き直ると、今までずっと言わなかった言葉を全て茉由奈に伝えようと思い、話し始めた。
「俺の所に居てよ……彼の所になんか帰らないでよ。マユの事が本当にどうしようもなく好きなんだ。一緒に居たい。こんな事云っちゃ駄目だと思ってたけど、やっぱり自分に嘘は付けない。離婚して……そしたら俺と結婚しよう」
優斗はもう自分が泣いてるのか笑っているのかも分からないで話していた。とても弱い人間の語る言葉だ。しかし、その言葉に嘘はただの一つもない心からの想い。そんな言葉を一つ一つ千切れそうなのを丁寧に紡いでいた。
驚いて居た茉由奈はゆっくりと目を閉じて優斗の言葉を聞き終えると、確認するように数度頷いた。こんな言葉を聞けるなんて思ってもなかった。本当に嬉しい。こんなあたしの想いをどうしたら君に伝えられるだろう。そしてずっと君と一緒に居たいよ。
目を見開いた茉由奈の瞳には一つの曇りも無かった。涙の雨に洗われてすっかりと晴れていた。
「解った……帰ったら旦那にユウちゃんのこと言う」
石垣から茉由奈はぴょんと降りると防波堤に走り寄る。
危うく犬は踏まれそうになり、言葉を聞いた優斗よりも驚いていた。
「ごめん……こんな事を言うつもりは無かった」
優斗も茉由奈の後を追うように防波堤に近付いて、二人は並んで海を見る。
海風は冷たいが規則的な波音が心を和ませる。
そして犬だけが暇そうにあくびをしながら二人の事を眺めている。
「違うよ。あたし、別に困ってる訳じゃないよ。ユウちゃんがそう云ってくれるの嬉しい」
茉由奈を見ると微笑んでいた、そんな姿を優斗は見れずに俯いてしまい、更に暗い顔になる。
「でも、俺の責任でマユの今の幸せを壊す様な事になってしまうかもしれない……そんな事をするつもりなんて全く無いんだ」
「そんなつもりは無くてもつい云っちゃったの?」
葬式の時とは反対に今度は茉由奈は優しく頭をポンポンと叩いて聞いた。
「だから……ごめん……忘れて……」
そう言う優斗の俯いている視線と合わせる様に茉由奈はしゃがんで見上げると、またしても優しく笑った。
「忘れないよ、こんなに嬉しい事。ユウちゃんはあたしの事がほんとーに好きで、言うつもりもない事を云っちゃったんでしょ?」
「うん」
もう優斗は叱られて話をする子供の様な想いになっている。
「じゃあ、あたしからはありがとうって言わないとね。本当に嬉しい。こんな幸せが待ってるなら今有るあたしがすがりついてた幸せなんて嘘っぱちなんだよ。そんなのバシッと壊しちゃえ!」
そんな事を言うもんだから優斗はさっきまでの暗さを忘れて、ついクスリと笑ってしまった。
全くあなたには勝てる気がしない。僕は今までも、そしてこれからもずっとそうだのだろう。だけど負けないあなたと一緒にこれからを過ごしたい。
そして茉由奈も共に笑い、夜の海に楽しそうな声が広がる。
「解ったよ。どんな事になっても責任は俺が取るからな」
笑うのを辞めて優斗がそう語ると、茉由奈が見つめてコクリと頷いた。優斗の心にはもう弱い所は消えてしまった。
「でも、ちょっとは驚いたかな」
茉由奈はもう一度海へ向かうと遠くを眺めながらも言う。
「驚かせるような事を言わせるほど、俺を好きにさせるマユが悪い」
ようやく話しがついたので二人は帰ろうとすると、すっかり犬は眠ってしまっていた。
海には月の灯りだけがポトリと浮かんでいた。
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