第11話

 そんな別れから数時間まだ優斗がやっとの事で家まで辿り着いた時だった。携帯のメッセージの着信音が鳴る。

「三浦っ?」

 その画面に表情されていたのは茉由奈からのメッセージだった。

『やっほー。自宅に着いたよー』

 文字列を見ると茉由奈は驚く程に明るかった。

「人が泣いてる事も知らんと……」

 そう文句を言いながらも携帯の光に照らされる優斗の表情は徐々に明るくなっていた。無事着いたことを聞くと直ぐに返事が返る。

『さっきまで会ってたのにもう話してるのはちょっと面白いね。これからは携帯でデートしようね』

 そんな返事を打っている茉由奈は文字とは別に表情は暗かった。部屋には明かりは灯ってなく茉由奈がポツリとソファに座って携帯とにらめっこしていた。

『そうだな。会えなくてもこう直ぐに連絡取れるってのは最近は便利だな』

 対する優斗もメッセージでは冷静を装ってクールにしていた。

 すると茉由奈は細やかに微笑んで、ため息を吐くと一度遠くを眺める。綺羅びやかなビルが並んでいるが、その風景はどこか寂しくも思える。

「篠崎は寂しくないの?」

 誰もいない部屋の中の独り言なので、伝わる事もなく静かに木霊す。心が冷たい。ほんの数時間前まであんなに暖かかったのに今では嘘みたいに冷えている。

 それからはずっとメッセージのやり取りを続けた。

 季節は秋、町並みには寂しさが漂う中、優斗と茉由奈は二人だけのメッセージのやり取りを心の支えになっていた。しかし、それも毎日が楽しい訳では無く、時には喧嘩する事も有ったが、それは重要なことではない。他の人から見れば呆れてしまうような事ばかりで、もちろん二人は簡単に仲直りをして元通りの会話をする。

 しかし、二人は電話をする事はこれまで無かった。電話番号はちゃんとお互い知っているが、一つの約束みたいに守っていた。

 そんな生活を一ヶ月以上続け気温も徐々に下がって冬を近く思わせるある日、優斗が仕事から帰り家に着いたことを茉由奈に知らせる。これは別れた日から毎日続けている言わば日課となっていて、特別な意味は無い。普段なら一言だろうと茉由奈からすぐにメッセージが返ってくるのだが、今日は待っても携帯に表示されない一応既読のマークが付いているので、茉由奈は見ている筈なのだがそれが無い。

 忙しいのかと思い優斗は気にしないで携帯を置き、窓を開けすっかり冷たくなった風を受け煙草に火をつけた。

 その時、携帯が鳴った。一瞬優斗は茉由奈からの返事だと思ったが、しかしそれはいつものメッセージの着信音ではなく電話のコールだった。

 基本的に茉由奈のメッセージ以外でなる事の余り無い仕事の用事くらいのものだ。今日も仕事の面倒な電話かなと思い窓辺から携帯に近付いて手に取ると画面を見る。そこには今まで表示された事のない名前。茉由奈からだった。一度喜んだ優斗だったが普段と違う事に不安を覚えた。

「もしもし……」

 これまで無かったことなのでちょっと緊張しながら、優斗は電話を受けた。

『篠崎……?』

 どうやらあちらも緊張している様子だが、確かにその声は茉由奈のものだった。

 そんな聞き慣れた声に優斗はふっと嬉しくなって、ただどこまでも寒いだけの海を見る。

「俺の携帯に違う人が出たら怖いな」

『あはははっ確かにそうだね』

 そんな明るく笑う茉由奈に、さっきの優斗の不安は消えた様に思えた。

「電話なんてどうかしたのか?」

 今度は本当に不安を消し去ろうと聞いてみる。

『別に、ちょっと声が聞きたいかなぁって思ったから。嬉しい?』

 そんな事を言う茉由奈に優斗は疑問を覚える。

「楽しそうに話すけど酔ってるの? 因みにかなり嬉しい。俺も三浦の声が聞きたかった」

 電話の茉由奈の声は明るすぎた。

『流石の酒好きのあたしでもそんなに毎日は呑んでませんよーだ』

「そっか。俺の事そんなに好きなのか……ふーん」

 笑いながら優斗は話していたが、心の底にやはり不安を消せないでいた。

『そうだよ。篠崎の事、好きだよ』

 そんなに素直に返されて優斗は逆に困ってしまう。相手に見えないこと良いことに優斗は存分に照れて、手で顔を半分覆って笑ってしまっていた。

「真面目な話、電話しても大丈夫なの? 旦那さんは?」

 今までメッセージでそんな事は聞いて無かった。しかし、今の二人の関係は軽く人に説明する様な事では無い。

『心配無し! こんな時間に家には居ないんだよ。そんな家庭的な人じゃないんだよ』

 そんな言葉を聞いて、優斗は茉由奈の事を考える。いつもの笑顔が浮かばない。泣いている様な表情ばかりが思い付く。そんな姿はあまり見たことも無いのに。

「寂しいの?」

『……そうだね、篠崎に会えないのは寂しいかも』

 淡々と語る茉由奈の言葉一つ一つに優斗の心臓は潰れそうになる。

「俺を殺したい訳?」

『どうして?』

 そんな事をいきなり言われても意味は解らないだろう。茉由奈は今頃首を捻っていると思われる。

「もう嬉しすぎて死にそうって事」

『じゃあ、篠崎の事、ユウちゃんって呼んだら死ぬ?』

 急な事。だが、この呼び方には優斗は憶えが有った。それは遥か昔の事。まだ、優斗が幼稚園の頃だった。もちろんその頃も住んでいるところは一緒として、ご近所には茉由奈もいた。二人は手近に遊ぶ相手もあまり居ないことから良く一緒にいて、その頃にどうしてか茉由奈だけが優斗の事をそんな風に呼んでいたのだ。

 しかし、こんな呼び方をされるのは優斗も数十年ぶりで、もちろん攻撃力は半端ない。

「懐かしいな……まだそんな事を思えてたのか……それは確実に死ねる……」

『忘れないって。篠崎の事これからはユウちゃんって呼ぶね。あたしの事も懐かしい名にしてよ』

 あまりない茉由奈からの甘えた様子の要求。

「本当に……? ちょっと照れるから、普通に呼び捨てじゃ駄目?」

『うん。駄目!』

 思い当たることが有るのか茉由奈からは即答で断られた。そして優斗は暫く窓の外の夜の海を眺めてた。

 その間、茉由奈は文句も言わずに待つ。

 一時の静寂だったけれど、二人共が落ち着ける刹那になっている。

「マユ、好きだ……よ」

 かなり懐かしく、そして自分には諸刃の剣となってしまっている事に、優斗は反撃とばかりにそんな呼び名を使って見ようと思ったが失敗した。

『どうしたの言葉詰まらせて』

「ちょっと照れてるだけだよ……」

 おかしな発音だったので茉由奈から指摘が有った。

 優斗は電話片手にまたもや額に手を当て今度は顔を赤くしていた。

『ユウちゃん、好きだよ』

 優斗が失敗する様な言葉を茉由奈は簡単に言い放ってしまう。そんな所も優斗にとっては茉由奈の好きな所なのである。

「死ぬ」

 もう本当に心臓が潰れて死んでしまうのかと思える程に愛おしい。優斗はもうさっきの窓ではなくて座り込んで、壁に寄り掛りながらもどうにか話している。

『これで本当にユウちゃんが死んだらあたしは殺人犯になるのかな?』

「罪に問われる前に怨み殺すぞ」

 こんなに恋しい相手なのに怨む筈も無い。だが会いたくて化けて現れるかもしれない。そのくらいは優斗も考えた。

『心配しなくてもあたしも死にそうなくらい嬉しい』

「マユにそう言われると更に嬉しいよ」

 明るい声が優斗の耳に届く。そんな事がゲームの魔法の様に優斗の心を癒してヒットポイントを回復させていた。

『ユウちゃんと話してると、やっぱり楽しいな』

 やっと茉由奈の笑う顔が優斗には今にも頭の中に浮かぶ。こんな自分でも茉由奈を笑わせる事くらい出来るのなら、もうそれだけで幸せと思ってしまう。

「うん。そうだな……会いたいよ」

『えっ……』

 つい話した言葉にその瞬間、茉由奈の声が詰まった。

 しかし、このくらいは別に云っても構わないだろう。

「会いたくないのか?」

『うーんっと、今は電話だけでもこうして声が聞けるから』

 さっきまでの明るさが声から消えたような気がする。寂しそうな茉由奈には似合わない声が優斗の耳に届いていた。

「確かに聞けるけど……マユは知ってる? 電話の声って本当の声じゃないんだよ」

『はいっ? どういう事?』

「電話って似ている声を合成してるんだって、だから今聞いてるマユの声も、マユが聞いてる俺の声も実は偽物」

 優斗がそう話すと、茉由奈はちょっとの間黙っていた。その静けさに窓が開けっ放しだった事に風の音で気が付いた。

『会いたいよ……』

 茉由奈の声は微かで、携帯からの声は風の音に紛れて聞こえづらかった。

「ごめん。ちょっと聞こえなかった、どうしたの?」

 再びの静寂。

 優斗が窓を閉める間、茉由奈は考えてる様だった。

『ユウちゃんに会いたいよ。本当の声聞きたいよ。本当の顔見たいよ。本当のユウちゃんに会いたいよ』

 もう明るい茉由奈の声は無かった。それどころか涙に潰されそうな声をしていた。こんな声は聞きたくない。でも、これが今の茉由奈の心の声なのだろう。優斗はそう思った。

「うん。解った」

 数分考えて二人共話さないでいると、優斗が語った。

『解ったってどういう事……?』

 疑問符が携帯のスピーカーから現れるように思える。

「会おう」

『こんなに遠いのにどうしたら会えるんっ?』

 二人の距離は電話で話すことで忘れがちだがかなり遠い。簡単に話す優斗に怒ったように茉由奈が返す。

「次の休みの日……一日しかないけど、マユの所に」

 続きは言わないでも茉由奈にも簡単に予想はつく。

『そんなの頼んでないよ』

「俺が会いたいから……」

 そんな言葉を最後に茉由奈の方から電話は切られてしまった。切られてまだ画面に明かりの灯っている携帯が、泣いている茉由奈を真っ暗な部屋で照らしていた。本当は嬉しいのにどうしてこんな風に云ってしまうのだろう。こんな人間はキライだ。君に愛される価値もないのかもしれない。そう思うと涙が勝手に流れてしまう。

「我が儘な人間になっちゃった……」

 涙に潰れた悲しい声が部屋に木霊した。それを聞く人間は電話を切ってしまった今はもう誰もいない。次の優斗の休みは三日後に迫っている。その事は定休なので茉由奈も理解している。優斗と会えると思うとやはり嬉しい、しかしその反面自分が頼んだからという悔いが頭の底から段々と浮かぶ。

 休みの日まで二人のメッセージはほとんど業務連絡となっていた。おはよう、ただいま、おやすみ、とかそんな挨拶ばかり。

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