第10話

 次の日、送るのは最寄りの地方駅、では無く車で二時間程の新幹線駅。茉由奈は正直に優斗に送ってもらう事を両親に告げるが、用事のついでと言う事にしたのでおかしく思われる事も無かった。元々仲良しのご近所さんこんな所で信頼が役になる。

「じゃあね」

 別れとは思えない笑顔で親達に茉由奈が手を振りながら実家を離れる。優斗の運転で二人は街を離れて高速を走った。

 どこまでも山と田園風景ばかりの退屈な道。だが、二人はそんな風景を見る事もなく楽しく会話を続け、時間は直ぐに過ぎてしまった。運転していた優斗にさえ正直、本当に地元からの道を間違わずに走れたのか解らない程直ぐに思えた。

「もう着いたのか……あっと言う間だな」

 新幹線家駅の駐車場に着いてエンジンを切ろうとした時にポツリと本音を呟いていた。

「離れたくない?」

 存分に茶目っ気を含めての茉由奈の言葉。時々あなたはこんな事を言う。それは僕にとって愛しくてしょうがなくなる瞬間の一つだ。常にそんな人で有るのだから好き。今きった車のエンジンもあなたとの別れの時間を近づけるようで、このまんまにしておいたら離れなくても良いのかと思ってしまった。

「うん」

 冗談めいていた言葉なのに優斗は真剣に返していて、茉由奈はすぐには言葉が見つからないでいた。

 優斗は車を降りると駐車場の出口に向かう。これは自分の心とは違う事。僕は今格好を付けている。こんな愚かな演技はしたくない。だけどそうしていないと今の自分が崩れてしまう。

 茉由奈はもその後を着いて歩く。

「すぐとは言えないけど、また戻るから」

 すると茉由奈は優斗の手を取り繋いだ。

「解った……」

 優斗はもう一言有りそうにしながらもそれを言わずに、茉由奈の暖かさの伝わる手を引いて歩みを進める。駅には商業施設が併設してあり新幹線の時間までに余裕が有るので二人はデートをする。もちろんこの時間を見越して出発時間を計算していた。

 さっきまでの気まずい雰囲気は忘れたかの様に、二人は特に買い物も無いのに店から店を見て渡り、十分にエンジョイしていた。

 しかし、そうしている間も時計は茉由奈の持っている切符に記された時間に近付いていた。それは二人の別れの時間。それに気付いて二人はホームに移動する。

「次会うために今回は笑顔で別れようね」

 ニコニコとしている茉由奈に対して、優斗は笑みが浮かばないどころか深刻そうな顔になっている。

「三浦が帰るまでに一つ聞いておきたいことが有るんだけど……」

 優斗はちょっと怖がる様に話を始めていた。

「どうしたのかなー? 寂しくって泣いちゃうの?」

「そんな事じゃ無くて……三浦はどうして俺と付き合ってくれた?」

「それは篠崎が告白してくれたからじゃない」

 一瞬キョトンとした茉由奈だったが、とたんにクスクスと笑いながら返事をした。

 しかし、優斗は釣られて笑う事もなく、ちょっと怖い目を茉由奈の方に向けた。

「俺って三浦におちょくられてる?」

 茉由奈の笑いがこの言葉でさっと煙みたいに消えてしまった。

「篠崎そんな風に思ってたの?」

「別にそうじゃないけど……三浦が俺と付き合ってくれるなんて思っても無かったから……もしかしたらそんな悪い冗談なのかもってちょっと考えた事も有った」

「そんな訳ないやんか!」

 急に茉由奈の声の音量が高くなった。そんな事に驚いたのは優斗だけではなくて周りに居た人達も二人の事を見ていた。

「ゴメン。ちょっと思っただけだから……」

 優斗は周りを気にしてキョロキョロとしているが、一方の茉由奈はそんな雰囲気もない。だた優斗の事だけを真っ直ぐに見つめていた。

「あたしは真剣に篠崎の事が好きなの! 冗談でも軽く付き合ってる訳でも無いんだから!」

 まだ茉由奈は周りの事を気にして無かった。

「取り敢えず、落ち着こう……ストリートパフォーマーくらい注目されてるよ……」

 焦った優斗が言うので茉由奈はやっと我に返ったのか、辺りを見回すと顔を真っ赤にして俯いた。

「でも、その、あたしの想いは真剣なんだから……」

「うん。ありがとう。嬉しいよ。だけど、それだったらどうしてあんなに簡単に俺の告白を受けてくれたの? それが解らないんだ」

 それからも話は続いた。茉由奈もちゃんと場所を考えて話すのでさっきまでの他人からの視線は無くなった。

「簡単じゃないよ……あたしがどれだけ悩んだか」

「そうなの? 三浦はあの時も笑ってたから」

 優斗の言うのは茉由奈と付き合うとなった日の事だ。確かにあの日の茉由奈にはずっと笑顔が有って、悩んでる風には思えない程だった。

「告白された日から悩んでた……篠崎が仕事から戻って無いのも解りながらずっとあの石垣に座って考えてたんだよ」

「もしかして待ってたの?」

「そうだね。断ろうと思って、あたしには旦那が居るから付き合えませんって振ろうと思ってた。でも、考えてると違う気がしたんだ」

 茉由奈はこの時ちょっと晴れやかそうな顔をしているのが、優斗の心には残った。

「違うって言うのは?」

「あたしの心にはやっぱり篠崎が居た。とっても愛おしく。そんな事は駄目だと思うのに、君はずっと離れなかった」

 茉由奈は優斗の事をニッコリと見つめている。それはもう優斗が照れてしまう程に。

「嬉しいな……でも、その時はまだ浮気は駄目って考えだったんでしょ?」

「うーん、そうだったんだけど……雨降ったでしょ? だから石垣に座ってるのもおかしいなっと思った。その時にあたしは今日も篠崎と会えないのかってがっかりしていた事に気が付いたんだ! そうしたら、走り始める事にしたんだ。自分の想いに嘘をつかないようにしようって」

「でも、それは浮気になるんだよ。悪い事だとは思わなかったの?」

 優斗は自分で話しながらも、それは誰の言葉だとさえ思っていた。茉由奈に浮気をしないかと云ったのは誰でも無くて優斗本人なのだから。

「浮気は悪い事だよ。今でもそう思ってる。でも、困った事に篠崎の事が好きなんだよ」

 ずっと難しい顔をしている優斗に向かって、茉由奈はひまわりの花でも悔しがりそうな笑顔を見せていた。

「なるほどね……三浦の想いはしっかりと解ったよ。ありがとう」

 そんな笑顔を見て優斗はうんうんと頷いていた。

 しかし、横の茉由奈はまだ笑顔を保ちながら待っているみたいに優斗の事を見つめていた。

「あたしはそんな事……それで?」

「んっ? どうかしたのか?」

「あたしだけに答えさしといて、自分は白状しないつもり?」

 楽しそうに聞く茉由奈に対して、優斗は明らかに困った顔を見せて視線を遠くの方へ移した。

 別に話せないことでは無いのだけれど、一つだけ問題が有る。正直に云ってしまうと照れくさい。優斗はそんな思いだったが逃げられそうにも無かったので、茉由奈の方を見ずに返事を言い始めた。

「そうだね……三浦にはとても悪い、浮気なんかをさせている。本当にゴメン。でも、やっぱり俺もそんな事を問題にしたくないくらい好きなんだ……じゃなかったら、あんな告白は酔っていてもしないよ」

 顔を半分手でかくしながら優斗が言うと、茉由奈はフフフッとちょっと不気味そうにも笑っていた。

 とても嬉しいのだろう。優斗はそう思っていた。

「ありがと。篠崎に責任は無いよ。結婚してるのに好きな人がいるあたしが悪いんだ。気にしないでね」

「そんな事は! 無いよ……三浦は責任を負わなくて良い」

「まあ、どっちだって良いよ。取り敢えずは、あたしは篠崎の事が好きなんだから」

 こんな事を簡単に云ってしまう三浦茉由奈と言う人が僕はとっても好きだ。もう、心が壊れそうなくらいに恋しい。こんな想いはちゃんと届いているのかな。優斗がそんな事を思って、もう一度照れているとふっと時計が目に停まった。もう茉由奈の新幹線の時間が直ぐそこまで近付いている。

「時間だ……寂しいな」

「本当だね……また暫くは離れちゃう」

「泣かないよ」

 本当は泣いている。心では僕は弱々しくも哀れな程に泣いていた。あなたと離れたくなんかない。やっと繋げた手を離したくない。好きでしょうがない笑顔をいつまでも見つめていたい。そんな事が叶わないから僕は嘘をつく。

「弱っちい事を言わない!」

 そんな事を言われた優斗は今にも泣きそうな表情をしている。

 新幹線は次から次へと着いては消えている。

 すると、茉由奈の乗る予定の車両がホームに現れた。停車時間はそう長くは無い。

「また、会おうね」

 元気の無い優斗の言葉に茉由奈は背中を押されるが、簡単には足は進まない。

 二人共が今は離れたくない事を隠し合っていた。

「あなたが好き……」

 そう残して茉由奈が優斗の手を離して新幹線のステップを踏むと、軽快なメロディが鳴り響いてドアが閉まる。

 二人の間をドアが遮る。両方共が強がって笑っていた。静かに進む新幹線はどんどん加速してすぐに見えなくなる。

「帰らないでとは言えないよ」

 さっきまで目の前に在ったはずの人を想い、言葉を交わすがもちろん伝わらない。そんな俯いている優斗の瞳からは涙が流れていた。

「もう寂しいよ」

 茉由奈の方もドアの窓の向こうを眺め続けて泣いていた。しかしそこに優斗が居るはずも無く延々と風景が流れていた。

 新幹線の窓からはそんな二人の住む世界の違いを表すかの様に段々と風景は違って、やがては季節さえも越えている。

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