第7話

 次の日から優斗は仕事だったが昨晩の酒は残ってる様子も無く、快調に仕事をこなしていた。しかし、心の隅にはぽっかりとした暗闇が有り、時々痛むように姿を確認させていた。告白はしたのに、そして振られた筈なのにそんな痛みは続いてる。それも元よりもひどい。

 この日は犬の散歩をしていても茉由奈には会わなかった。昨日の石垣の所で一度立ちどまると、犬が不思議そうな顔をしているので、引き寄せてポンポンと頭を優しく叩いてみた。犬は更にキョトンとした顔になって優斗の事を見つめたが、そんな事は無視をして散歩を続けた。優斗の残業の為にその散歩の時間が一時間以上ふだんとは違っていた事も理由だろう。しかし、それは単に茉由奈が会いたく無いだけなのかもしれない。もちろんそんな事になるのは当然とも言える。優斗はそれだけの罪が有るとちゃんと自覚していた。そしてもう会えなくなる事も覚悟して一日を終えた。

 その次の日は雨で犬には申し訳ないが、散歩も簡単にして石垣の方を確認することもなく別方向に歩き、茉由奈の姿を見ることは無い。優斗も近くに居ながらも会えない事は寂しくとも、声の掛け方が解らないのでどこか安心して居る部分も有る。

 残業も無く晴れた日に庭で犬が優斗の事を呼んでいる。散歩の時間なのは解っている。だがしかし、心が言うことを聞かない。茉由奈が待っていたらどうしようかと、今更弱気な子供みたいな優斗の心が顔を見せていた。それでも犬は言う事を聞いてはくれないので、若干足取りが重くても優斗はいつもの道を歩く。するとあの石垣に茉由奈が座っている。優斗は道を換えようかと思いながらも、声を掛けないで通り過ぎようと俯いて歩く。

「君は今日もあたしの事を無視するん?」

 そんな茉由奈の言葉に優斗の足が停まった。そして、声に犬は勘違いをしたのか茉由奈に寄ってじゃれている。そんな犬をちゃんと受けながら茉由奈は優斗を見ていた。

「話さない方が……良いかと思って」

「どうして?」

 茉由奈はこの前の事を忘れてるかの様に、通常運転で話していた。それに対して優斗の方と言えば、若干まっすぐに茉由奈の事を見れないで、話し方にも句読点がおかしな所に有った。

 茉由奈が忘れて居たのならばちょっと安心する様な気もする優斗が居る。しかし、あんな事を云ったのに忘れるはずもないとは思う。

「もしかして忘れたのか?」

 驚きながら優斗は確認する様に静かに聞く。

「この前の告白の事なら、ちゃんと覚えてるよ、あたしそんなにお酒に弱くはないよ」

 しかし、茉由奈に対してはその酒に攻撃力はあまり無かった様子。すんなりとした顔の茉由奈が優斗を見ている。

「そんなにあっけらかんと言われると、こっちが照れるよ……俺、結構悩んだのにな」

 がっくりと肩を落としながら優斗は頭を抱えていた。

「それで、もう一度確認したいんだけど、シラフの篠崎優斗に聞きます。この前の告白は真実ですか?」

 ぴょんと石垣から飛び降りた茉由奈は数歩近付くと、真っ直ぐに優斗を見つめていた。良く似合う笑顔は無くて、ちょっと恐いような凛とした表情が有った。

 その視線に優斗は真っ向からは目を合わせられないでいた。心がズキズキと痛む。あなたが好きだ。今にもそう叫びたいと心が言う。そして、一度深呼吸をする。

「真実」

 アルコールの力も期限切れで、この前より度胸の要る言葉を情けないながらも俯きながら優斗は語る。

「そっか」

 かなり優斗には勇気が必要だった言葉だったのに、茉由奈の方は軽く返事を返されてしまった。

 海から吹く風によって近くの木が揺れてサラサラと音楽を奏でていた。

 そんな返事をした茉由奈はくるりと海の方を向いている。優斗からは茉由奈の横顔が見えてとても素敵な人だと再確認していた。

「でも、ありがとう。この前のって俺、振られたんだよな……それでオッケーや。そんで、こうして三浦は話をしてくれる。これは俺にとって、とても嬉しい事だ。これからも昔みたいに接してくれたら言う事も無いよ」

「あたしの事、好きや無いん?」

 三歩ほど歩き茉由奈は背中を向け話し、その表情が今どうなっているのかは優斗には解らない。

「悪いけど、振られた今でもまだ好きなんだ……こんな想いはこれからずっと、多分遥か未来でも心の隅には消えないで残るんだろうな。でも、俺はそれで良いと思ってる。まあ、そっちも喜んでよ。旦那以外にも自分を愛しく思う様な人間が居るって」

 もうこれは開き直りでも有る。しかし、もうどうにでもなれと思っているわけではない。優斗の今の真実の言葉なのだった。

「馬鹿……」

 告白をしたこの前と全く同じ言葉。それをまた優斗は似たような状況で茉由奈から聞かされた。

「そう。俺は馬鹿だと解ったって」

 優斗はどうにか笑顔を作って話していたが、振り向くとその強気は直ぐに壊れてしまいそうなので、自分もずっと海の方を見ていた。

「解って無いもん」

 その時、優斗はやっと茉由奈の声が涙に潰されている事に気が付いた。

「どこが解って無いんだよ」

 しかし、その状況が理解出来ない優斗は振り返り見ると、声を荒げる事に至る。

「あたし、振ってない」

「はっ?」

 そんな言葉に優斗の時間が確かに数秒間停まってしまった。阿呆のように目を皿のようにしてずっと遠くを見ていた。

「単に馬鹿って言っただけやん」

 茉由奈のそんな言葉に優斗はやっと顔を普通に戻して考えた。だが、浮かぶのはクエスチョンマークばかり。

「だから、それって振り言葉じゃないの?」

「違うよ」

 今度は茉由奈が優斗に顔を見せないように反対を見る。

「じゃあ、どうして……」

 今、泣いているのだろうか。僕にはそれが解らなかった。

 茉由奈は振り返り、元に戻ると優斗を睨む様に見ていた。

「今更告白するんやもん。」

「今更って?」

 もう優斗にはさっぱり意味が解らなくなっていた。

「あたしも好きやったんよ。それこそ子供の時からずっと! やけど二人の楽しい関係が壊れたらと思うと、自分からも告白出来なくて、それで諦めて結婚したら今になって告白? ふざけないでよ」

 茉由奈は泣いていた。静かにではなく涙を次々と地面に落として、鼻を赤くしながら。

「知らんかった」

 再び阿呆のように優斗は目を見開いて、ポカンと茉由奈を眺めていた。

「当然でしょ。知られんようにしてたもん!」

 涙を手で拭いながら強く茉由奈は答える。

「ごめん。告白するべきじゃなかった」

 泣いている茉由奈を優斗はまともに見れずに、俯いてばかりいる。

「違うよ。告白してくれたのは嬉しかった。あたしも好き」

 涙に埋もれた茉由奈はニコリと笑い、一度顔を挙げて答えてた。

「それは嬉しいな……」

 優斗はやっと顔を挙げその笑顔を確認して語る。

 そんな呟きに茉由奈は強く聞く。

「それで篠崎は単に告白したかっただけなん?」

「そうかも……」

 煮え切らない様子で優斗は答えを言い切れない。

「告白して振られる事を目標に?」

「目標じゃないけど、まあ、振られるとは思ってたから」

 今度茉由奈は頬を膨らませて優斗を見ていた。

 優斗からすると愛らしくてしょうがない。

「やっぱり篠崎は馬鹿だ。あたしは君を振らない」

 その言葉に優斗は返事を無くしてしまい二人の元に静寂が訪れる。

「俺って、振られて無いの?」

 今頃な返答。

「そんな記憶は無いよ」

「となると、どうなるんだ?」

 もう意味が解らなくなってしまった優斗はそんな事を茉由奈の方に聞く。

「あたしに聞かないでよ。困ってるんだから」

「困ったなぁ」

 つい最近にも似たような状況になっていたようにも思いながら、二人はそれぞれに考えていた。

 海からの風が心地よく二人を包んでいた。寒くも暖かくも無いけれど、確かに優しさだけを運んでいる。

「篠崎はどうするの?」

 聞かれた優斗は遠くを見ながら悩む。その合間に犬が退屈になったのかあくびをして伏せていた。

「三浦……俺と浮気するか?」

 断られるであろうと思い、それで冗談にするくらいのつもりで優斗は話してた。

「うん……」

 地面の方を向きながらも茉由奈はしっかりと答えていた。

「えっと」

 予想外の答えに優斗は言葉が無くなりながらも、再度考え直す。

「ダメなん?」

 返答に困ってしまっている優斗を急かすみたいに茉由奈は返事を待つ。

「予想と違って……じゃあ、今度の休みにデートしようか。映画でも観て、飯でも」

「……そんだけなん?」

「ダメかな?」

 キョトンとした茉由奈の顔にもう優斗の心臓は鼓動を辞める所。

「浮気ってそんな事……?」

「どうだろうか? 俺は三浦と学生みたいな恋がしたい。淡く、話をしてるだけで楽しい様なそんなので良い。こんな浮気も有って悪い事はないんじゃないかな」

 茉由奈は俯いたかと思うと、くすくすを笑い始めた。

 やはり優斗の好きな茉由奈がこの場に居る。こんな表情を見れて話をしている。そんな事だけでもう優斗は幸せでしょうがない。

「全く悪い事はないよ。あたしも篠崎とそんな時間を過ごしたい。ついでに言うと、この前みたいにお酒も有れば言う事無し」

 急に、にこやかになった茉由奈が楽しそうに話す。

 あまりにあっさりと付き合いが始まって優斗が悩んでしまうくらいに。そう茉由奈の表情からは悩んでいる表情なんて全く見えなかった。

 単なる恋愛ならこれでも十分に優斗だって納得出来る。お互いが好きなのであればそれで良いのだから。でも、今回の告白はちょっと違ってるのだ。

 優斗は浮気をしようと云った。そんな事に茉由奈は軽くさえ思える返事が有った。こうなってしまえば嬉しいながらも、優斗は改めて考えると悩む所もある。茉由奈はそんなに簡単に浮気をする人間なのだろうかと。

 優斗の知っている限りではノーだ。茉由奈は特に真面目と言う訳ではないけれど、普通に一般常識は有る。そうなると今の自分はおちょくられているのではないかと優斗は深く馬鹿な事まで考えてしまうが、取り敢えずはそんな事を無視った。

 それでも構わない。今の自分は今までずっと一番好きだった人と恋仲になれたのだから。それに浮気をさせているのは自分なのだから悪いとすればこっちだ。優斗はそんな風に思ってそれより深くは考えない。

 そんな事で二人の、人には全く言えもしないが、純な恋が始まった。結婚していても恋をすることは有るのだろうか? この二人に聞いたならば間違えなく有ると答えるのだろう。

 それから二人は次の優斗の休みの計画を練る。そんな時間さえも楽しくて犬が眠って居るのも忘れて、二人は石垣に座ってずっと話し続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る