第5話
散々飲んで喋って時間を進めた。夜も十分深くなっている。
「もう帰るか」
明日の仕事に響かない程度に酔っている優斗はそんな事を言い、伝票を取り会計に向かう。茉由奈は割り勘にすると言うが、そこは一応男としての威厳を保って優斗が全額を払った。
店を出ると若干冷えた風が吹いていた。もう秋は着実にこの地に居る。
「さてと、もう一軒!」
ちょっと寒かった優斗がポケットに手をしまって震えながら歩いていると、店を出るなり茉由奈は腕を振り上げて楽しそうに語る。
自分は程よく酔っている優斗はそんな姿を見て普通に呆れていた。
「まだ飲むのか……」
茉由奈はもうかなりの量の酒を飲んでいるが、優斗の予想は当たっていたらしくかなり強い。今だって顔に赤みがある程度で、言わばほろ酔いの段階。この程度のアルコールには負けない人間なのだと思わせていた。
「奢られっぱなしは気にくわんのよ」
どういう理由だと思いながら優斗は次の店を考えた。普段から飲み歩いてる訳じゃないので、状況に合うレパートリーが無い。
「どんな店が良いかな……」
断られるかと思っていた茉由奈は、その優斗の言葉にパッと笑顔になる。そして優斗の背中をパシンと叩いた。
「ちっと洒落た店知らんの?」
ど田舎にも有る居酒屋チェーンだったので、次はと茉由奈はそんな要望を言う。
「うーん、一応有るんやけど……」
数十秒考えた優斗には思い当たる店が有った。数少ない知っている店の自分の中での一番雰囲気の良い所なのだが、悩んでいた。
「じゃあ、決定! 案内しなさい!」
またしてもバシンと茉由奈に背中を叩かれて、優斗はしょうがないという雰囲気で渋々歩き始める。そんな姿を嬉しそうに眺めて、茉由奈は優斗を追って二人は並んで歩いた。
その店は自分のお気に入りで他人を連れて行ったことはない。そしてこんな状況で行って良いのか悩んでいた。そんな事を考えている内に店に着いた。
そこには派手な看板は無く、重そうな扉にプレートが有るだけ。そんな到底、一見さんでは入りにくい扉を開ける。店の中はカウンターのみがあるキャンドルの明かりに灯される十分すぎる程のお洒落さの有るバーだった。
そんな店に男女が二人、どう考えてもデートにしか思えない。それなので優斗は悩んでいたのだ。バーテンダーが静かな声で常連にだけ交わす挨拶をする。
「結構酔ってるから軽いのをお願い」
進められた席に座ると慣れた様子で優斗が注文をする。気兼ねもしてなくこの店の常連度合いが解る一面でも有る。
「篠崎にしては洒落てるね。ちゃんとこういう店も知ってるなら始めから連れてきなさいよ。私はまだ飲めるからバーボンあたりを」
店に着いた時は呆気に取られていた茉由奈も一通り店を観察し終えると、既にニコニコとしている。まだ飲めると言うがその笑顔が続く事から結構酔ってると解る。
バーテンダーは注文の品を鮮やかに用意すると、二人から若干離れてグラスを磨き始めた。流石にこういう店は気が利いていて、客の話を聞くような無粋な事はない。
「三浦……お前酔ってるな」
「そうだよ。やっぱり篠崎との酒は結構楽しい。そっちも酔ってますなぁ」
確かに優斗は酔っている。恐らく傍から見れば顔はしっかりと赤くなっているだろう、しかしまだ気分は良い。丁度良い酔い方とはこんなものなのだろう。
「うん。酔ってるから余計な事も聞こうかな?」
「余計な事?」
ついつい笑ってしまう優斗の訝しげな質問に、茉由奈は首を傾げていた。
「結婚して幸せか?」
急な話でこれまでそんな話題になって無いので、茉由奈は少し考えた。
「幸せ……かな」
「そこは即答しとけよな。ふん……そうなのか」
優斗はため息混じりに答えると、自分の前に有るカシスソーダを一口飲む。
「どうしたんよ。もしかして、自分がまだ独り者やからヤキモチ焼いてるの?」
ニヤリと笑って茉由奈は優斗の肩を、グーパンチで軽く殴っていた。楽しそうな茉由奈とは対照的に優斗は肩よりも心が痛い。
「まあ、そんなところかな。この歳になると周りはみんな結婚してるしな」
数秒間の沈黙が店に広がった。酔っているのだろうがまだ澄んでいるその瞳で茉由奈は優斗を見つめている。
「彼女、居ないのか……」
どう察知したのかは解らないがそんな事を語る。しかも当たっていた。
「悪かったな、こんな歳で結婚もしてなくて、おまけに彼女もいなくて」
言葉こそ荒くしてみる優斗だったが、表情には茶目っ気を残して実際も怒っていない。もうそんな事にも慣れてしまった。しかしそれにしても悲しい所では有る。
そんな優斗を見て茉由奈は楽しそうに笑っていた。そしてまた背中を叩く。でも、今度のはトントンというくらいだった。
「篠崎は今、好きな人居ないの? 適当に相手見付けて結婚しちゃいなよ」
優斗はそんなに軽く言われてもと、若干落ち込んだ。適齢期を過ぎてしまえばそんなのは女の人だけじゃなく、男でも結構傷つくのである。
さっきから茉由奈は事あるごとに優斗の地雷を爆破させている。そんな事を楽しむ様な人間ではない筈なのだが、ずっと続いていた。
「そんな人なんて居ないよ。少なくとも今は……」
自分から話し始めたのに優斗は言葉の度にため息がついて回る。
「今は、って事は昔は居たのか。まあ、当然では有るか……聞きたいな」
酔に任せて茉由奈は楽しそうに優斗の顔を見ていた。次の優斗の言葉を待っている。
これは話さないと終われないのが世の常である。
「聞いたら後悔するぞ」
再び優斗は酒を飲むと睨み返す様に、茉由奈と視線を合わせた。もうどうとでもなれと思ってしまうのは、恐らくアルコールの責任なのだろうと優斗は酔っていながらも考えていた。
「どういう事?」
茉由奈はそんな若干赤みががっている優斗の瞳を見ながら聞いた。
そんな真っ直ぐな眼で見るもんだから、優斗の弱い心なんて直ぐに崩れてしまう。
「俺が結婚したいなって思うほど好きになった人は昔に居なくなった」
遠くを見て優斗は呟く様に語る。遠回しな言い方にしていた。笑い捨てられる様な事でもないから。
そんな寂しげな表情と、さっきの言葉に茉由奈は眉を潜めて意味を考えた。ふーむ、と唸ってさえいる。
「亡くなったの?」
聞いたことを申し訳無さそうにしながら、茉由奈が返していた。だれでもそう思うだろう。
「違うけど、まあ、そんな所かな……」
「わからん……」
眉間の皺を更に深めた茉由奈は視線を目の前のキャンドルに移して、バーボンに手を伸ばす。
「聞かん方が良いって事も有るんだよ」
優斗の方もグラスを見つめて顔を合わせないように、ずっとため息混じりに語る。
「そう言いながら君は言いたそうにしてる! だからあたしは聞く!」
カツンとグラスをテーブルに置くと、茉由奈は優斗を睨む様に見つめる。酔って赤ら顔になっているほっぺたが愛らしくも思える。
優斗は再びため息を吐くとカシスソーダを飲み干し、次の酒を注文する。もちろん茉由奈の分も一緒に頼んでいた。バーテンダーの選んだのは二人共にマティーニ。かなり強い酒だが味が好みなので優斗が最後に注文する品。やはり傍から見ても二人は結構酔ってるとの印象が有るようだ。
「白状しようか……居なくなったってのは言わば比喩かな? 確かに俺の近くからは居なくなったけど、それよりも遠い存在になったって事」
覚悟したのか優斗は茉由奈の方を見ながらスラスラと話していた。しかし、やはりまだ言葉を濁して居るので茉由奈の眉は寄ったまんまになっている。
「亡くなって無いけど、遠い存在? なぞなぞはもういらんよ……」
「こんだけ言えば分かるかと思ったんだけど……俺の好きだった……違うな。好きな娘は結婚しちゃったんだよ」
最後に優斗はニコリと笑うとマティーニを含む。甘くも思えるアルコールの強さが広がる。
対する茉由奈は返答に困って、首を何度もひねって悩んでいた。
「その……まあ、気にすんな……他にも女の子は居るやんか」
やっと考え付いた答えは良く有る風な事だった。それだけを見ても茉由奈の困りぶりが良く分かる。
「そうなんだけど……まだ……じゃなくて、その娘が結婚したと聞いてから更に好きになってしまったんだよ。そりゃもう恋焦がれるくらいに」
マティーニが自白剤だったかのように優斗はまだ語り続けた。
「困ったねぇ」
「困ったんよね」
茉由奈と優斗は顔を見合わせて同じ様に首を傾げていた。二人共にもうきっちり酔っ払いの様子。
「けど、どうんなんやろうね……」
茉由奈はにこやかな表情をしながら優斗を見ていた。
「んっ?」
そんな表情に返すように優斗も笑みを作って返す。
「もう結婚してる人を好きなことって、悪い事……よね?」
「だろうと俺は思うんやけど」
おちゃめそうな顔をして聞くので逆に優斗が首を捻ってしまう。
「あたしはそうとも思わんのよね」
「普通ならそんな事、駄目だろ」
かなり酔っていると思われる優斗はバーカウンターに伏せながら、カクテルグラスを眺める。
「でも、困った事に篠崎はそんな人を好きなんでしょ? じゃあ、それはしょうがないとも思える」
茉由奈の方もグラスを持ち上げて、灯りを浮かべるようにして眺めながら話していた。単なるお酒の筈なのにキラキラと浮かんでいた。
「ありがとう」
「褒めてはないよ。困った事だと……」
茉由奈の言葉に頷きながら、優斗は残りのマティーニを飲んだ。
「解ってる」
そんな優斗の言葉を最後に茉由奈のグラスにも残ってないので、十分に酔っ払っている二人は帰る事にする。因みにこの時の会計争いも優斗の完全勝利に終わった。
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