第2話

 しかしそんなのんびりとした時間は誰かに途切れさせられる。今日は自宅の飼い犬だった。窓の下に有る庭に居た犬は優斗の姿を見付けると、時間が解っているのか散歩に連れて行けと吠えている。

 一年前に戻って以来、別段事情が無い限り夕方の散歩は優斗の担当に命ぜられていた。休みの今日とは違い仕事の日でも夕方が近付くと、優斗の帰りをちゃんとおすわりをして待っていて、姿を見付けると飛び跳ねて喜ぶ。そんな健気な姿を毎日見ているので優斗は黄昏時間を終わらせ一度背伸びをすると一階ヘ降りる。

「うるさいよ」

 リードを持って玄関から出ると犬が飛び付いてくる。それはどの犬にも言えることなのだろうが、馬鹿みたいな喜びようだった。優斗は散歩の何が楽しいのだろうと思う。しかし考えてみればこの犬にとっては散歩の時間だけ、世界が広がるのだ。普段の家の敷地だけというのはつまらないだろう。都会で会社とアパートの往復だけの世界で居た優斗とって、感慨深いものが有った。

 そんな事を考えていても犬は急かす様に足元におすわりして、優斗の方をそのつぶらな瞳で見ている。優斗は考えを辞めると、さっくりと犬にリードを着け門を開ける。犬にとっての世界が広がった。

 家の前、海岸沿いの道を散歩する。この辺りは非常に山と海が近い。人々はその合間に家を構えて住んでいる。先人の人々はどうしてこんな所をわざわざ選んで住んだのだろうと、優斗は不思議に思って仕方が無い。もっと便利で広い敷地の所も有ったのだろうに。

 そんな細い道は時々しか車も通らないのでゆっくりと犬の為の散歩をしていると、どうでも良い事ばかりを考えてしまうが退屈しのぎには丁度良い。犬にとっては未知の世界の探検なのだろうが、人間にはとても暇な時間でも有るのだから。

 暫く歩いていると知った顔を進む方向に見付ける。さっきも見つけた人。茉由奈だ。畑の石垣に座って海を見ている。考えてみると遠い昔、中学生の頃もこんな姿を良く見た気がする。

 声をかけてみようかと思いつつ、犬に引かれるままに前を通り過ぎた。

「篠崎、無視するん?」

 懐かしい。気兼ねなく昔から彼女はこうして自分の事を呼び捨てにしていると優斗は思い足を停める。散歩が急に中断された犬は不服そうに振り返って優斗を見つめていた。優斗の視線はそんな犬とぶつかった。

「久し振り」

 振り返ると優斗は懐かしみながら茉由奈の顔を見た。子供の頃からだとちょっと違うかと言えないこともないが中学、高校の頃となら雰囲気はそんなに変わらない。

 しかし本当に久し振りで優斗が高校を卒業して、大学そして会社と実に九年も会ってなかったのに昨日も話したような口振りなのは優斗にとっては喜ばしい。しかし人間変わってる所も有る。茉由奈はもう三浦では無くなっている。優斗の知らない内に結婚して、遥か遠くに今は住んでいるらしい。

「篠崎、生きとったん?」

「死んではない」

 もちろんその通りだ。しかしこれはあくまで冗談。これだけ近所なので、もしそうなっていたら解っているはず。そんな事だから優斗にも茉由奈が冗談を云ってることは直ぐにわかるのでちゃんと合わせて返せる。

「まぁー、それはびっくり。もう数年見てなかったからてっきり死んだのかと……」

 手振りまで付けて茉由奈は驚いて見せていた。しかしその言葉に本当の驚きのテンションは無い。まるでゆったりとのどかな海の様に話している。

「勝手に殺すなや……それとも、俺が死んでいたほうが良かったか?」

 そんな事を言いながら優斗は茉由奈の隣、数メートルの所に座る。話をするには十分だが仲良くしている風には見えない程度の距離をとった。でも、それに関しては茉由奈も文句は無い様子。話をする事はお互いが望んだ。

 散歩の途中で座り込んだ飼い主を見て、犬がどう勘違いしたのか優斗にじゃれていた。

 二人の言葉はそれからもどうにも冗談ばかりの会話だが、それは今に始まった事ではなく昔からこんな風になっている。優斗は犬からの散歩を続けたいと言う要求を完全に無視して話し込んだ。

 話は意外な程に弾んだ。特に当たり障りの無い、総じて言えば他愛のない話ばかりだったが、二人共が良く笑い話し続けた。

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