断章1 とりあえず私のことを語ってみた。

 夕青さんと、夜の横浜で偶然出会う日の夕方、私は入院している母のもとを訪ねていた。毎日のように働いていたからか、冬に体調を崩していた。それから数か月が経ってもあまり病状は改善しておらず、余命を気にするほど重症ではないものの普通に生活できるほど体が、特に肺に元気がなかった。

 大きくてきれいな病院の廊下を歩き、母の病室に入る。4人部屋で、今は確か母以外に2人いたはずだったけど、今は母しか病室にいないみたい。

「お母さん、来たよ」

そう声をかけると、外を見ていた母はこっちを見て「いつもありがとうね」と言った。元気なころに比べると、だいぶ線が細くなってしまったが、でも一時期のひどいときに比べれば健康的に見える。段々とよくなってきていることが見てわかる。

 母の入院している病院は、家からもほど近いところなので、時間があって、なおかつ時間が合えば母のところに行くようにしている。着替えを用意とか、そういうことは特にないので休みの日はスマホと財布と鍵だけ持って歩いて行くような感じだ。

 私は推薦で大学が決まっていたので、年明けには既に受験勉強を終えていた。母が体調を崩して入院したのはそんな時期だったから、まだ入院直後のドタバタもなんとかできた。絶対にまだ受験終わっていなければ、勉強に身が入らなくていきたいところに落ちていたかもしれない。

 病院にきて母と話すことと言えば、まあ当たり前だけど前にあってから今まで何があったとかそういうお話。特に今日は大学の話をたくさんした。授業が始まってからは忙しくて来れていなかったので。

 私が小学校に上がったころに父が亡くなってから、何もかも母に面倒を見てもらっていたことがあって話しているだけでも心が落ち着く存在だ。お父さんがいないことを弄られて不登校になりかけたり、我が家のある団地の階段から転げ落ちて大けがを負ったり、いろいろと迷惑をかけてしまった。

 他愛もない話ができるだけでも日ごろのストレスが和らぐ。今日も気づけば面会時間の終わりになっていて、同室の他の患者さんも気づけば帰ってきていた。ちなみにもう1人いた人はもう退院したようだ。

「陽菜、今日もありがとうね。」

「うん。また来るからお母さんも頑張って元気になってね。」

 そう笑顔で言って病室を後にした。そのまま病院を出たわけだが、私の顔はどんな感じだっただろう。

 多分、虚無だったんじゃないかな?


 そのまま誰もいない家に帰ると、私はシャワーを浴びる。そしてそのまま何も着ないで自室に向かい、クローゼットに隠すように用意してあった普段は着ないような服を引っ張り出す。それはまるで見られるために作られているような、モデルさんが身に着けているような下着。その上に着るのは下着がギリギリ見えそうなほど短いミニスカートと胸元を強調するような攻めた服。さすがにこれで地元を歩きたくはないので、上から着れて膝近くまで隠れる上着も用意する。そして部屋の真ん中にある机に化粧道具を広げて別の自分を作り上げる。

 すべての用意を終えて、姿見に映った私は、春先にしては露出強めの近寄りがたい雰囲気を醸し出すお姉さんだった。割と幼い顔立ちの私でもこんな風に「化ける」ことができるのだと、改めて化粧のすごさに気づく。

 大学に行くときは面倒だから化粧はほぼしない。高校の時に親しかったメイクの上手な友人に教わったことを思い出しながらやってみた。

 そして家を出るときにはヒールを履き、上着を着て、繁華街・横浜の「裏」に向かった。


                  ***


 横浜駅から少し歩いたところに普通にあるラブホ街。その一角には聞いていた通り女性が何人かスマホをいじって柵や壁によっかかっていた。それを見て改めて、これから初めてそういうことするんだ、と漠然と思った。


 そもそも、高校時代に彼氏を作ったり、親が家にあまりいないことにかこつけて夜遊びしたり友達を連れ込んだりしたことがあるわけでもない私が、ラブホ街で男の人に買ってもらうのを待っているという状況は母が倒れる前の自分からはとても想像できなかった。

 母が倒れ、近い将来お金が足りなくなる未来が見えたのが1つ、そして大学が相当学業に重きを置いているため、バイトにたくさん入るということができなさそうというのがもう1つ。この2つがあって、私には「時給\1500以上」「出勤日に自由が利く」というのがバイトの条件として必要だった。で調べてみたらいくつか見つかったんだけど、そもそもそういうお店は親の同意書が必要になってくるようで、これを自分で偽造することも全然できるけど、ばれた時のダメージが大きすぎる。とはいえ、週2日で数時間しか働けない人間は雇ってもらいづらいし、あまりにも稼げない。

 で、同意書も要らない、時間フリーでお金稼げるを考えた。そんな都合のいい仕事なんてないってのは思ったんだけど、1つだけ思いついてしまった。それは高校時代に友達が話しているのを小耳にはさんだ記憶から。

「この前、中学時代の友達がホテル街で1日に10万稼いだって聞いたんだけどさ・・・」

 ああ、そうか。そういう手もあるのか、と思いついて、いろいろ調べてみて、様々なリスクと天秤にかけて、なぜかその時にはお金のほうに傾いてしまった。

 通販で使用品で売られている服や靴を買い、いつも借りている母の化粧道具を使って一度それっぽい化粧をやってみて、それから高校の友人と面白半分で買った派手な下着も出してきた。

 多分、この時の私は結構壊れていたんだと思う。精神的な柱となっていた母が病気で入院、高校の友人たちにいろいろと相談をしたいがみんな受験期だから迷惑になってしまう。しかも、みんな受験が終わったにもかかわらず全部自分で抱えて高校を卒業してしまった。

 高校在学中だと、様々問題があるので籍が大学になるまでは行動を起こさず、春先に少し母の体調が悪化した際には、何かあったときのためと延期にしていた。その理性は働いていたのに、自分の体を売ることを一度思いとどまるという理性に関しては一切働いていなかったのだ。


 横浜で声かけてもらうのを待ち始めてからしばらく経って、いかつい見た目の男の人に声をかけられた。

「お姉さん、今ヒマ?よかったら俺と一緒に飲まない?お金は出すからさ」

「・・・うん。いいよ?」

「よっしゃ、カワイイ子ゲット!ってかメッチャスタイルいいね?足とかメッチャ細いじゃん」

「・・・ありがとうございます。一応いろいろ気を使ってるので。」

「よし、じゃあ行こうか?」

 そういって、男の人は飲み屋がたくさんある方とは逆の、ラブホ街の方に私の手を引いて行った。急に手を引かれるものだから、ちょっとびっくりして手を払ってしまう。

「あ、あの。どこで飲むんですか?」

「あーそうだな、お酒買って部屋で飲まない?」

部屋?部屋ってなんだと思ってから「ああそうか。ラブホのことか」と気づく。

 そしてその瞬間に、様々な記憶が走馬灯のように脳内をよぎった。

 それは小学校から中学校、更には高校まで同じで仲よくしてくれた友達。

 大学で知り合い、少し仲良くなった友達。同じコースの人たち。

 そして母。

 そんなお世話になった人たちに、何か迷惑をかけるかもしれない。体を売っていることをよく思っていない人が多いのだから、敬遠されてしまうかもしれない。

 だって、そもそも18歳だからお酒飲んだら犯罪だし、たぶん飲んだまますることするんだろうし・・・

 もう引き返せないギリギリか、もう片足が泥沼にはまっている状態になって私はやっと正気を取り戻せた。

「やっぱり部屋じゃなくて、そこら辺の居酒屋にしませんか?」

「え、いいじゃん、時間気にせず飲めるし、すぐ寝れるしいいじゃん」

 その「寝れる」がどういう意味なのかもよくわからない。

「しかも、お姉さん「やる」つもりでここにいたんじゃないの?じゃあいいじゃん、しようよ。1万とかでどう?」

 目の前のお兄さんは私とやりたくて仕方ないのかもしれない。ちょっと酒臭いから酔っていて、その勢いのままなのかもしれない。

 1万円払うとも言ってきた。多分数時間で解放されるだろう。それで1万、一瞬その金額にくらんでしまった。

 でもやっぱり嫌だ。もう少し自分を大事にしたい。

 やっとその思いに気づき、私はお兄さんの手を払った。

 お兄さんとの間に少し距離が生まれた。その瞬間、少し周りが見えたんだけど、明らかに周囲の視線を集めている。しかもそれは好意的なものではないだろう。「なにやってんのあいつら」とか「ここで待ってたくせに抵抗するのかよキモ」みたいな感じに思えてきて、私はその視線に恐怖を感じた。

 お兄さんの方は私に醒めたのだろう。手を放して「なんだコイツ」とつぶやいている。どうやら私から興味がそがれたようだ。

 もう家に帰ってゆっくりしよう。もうこんなことはしないでおこう。そう思った。

 でも、酔った人は何するかわからないもので、もう一度私の手をつかんだ。

「めんどくせぇな、金払うからやらせろよ」

と。その力の強さに逆らえるほど私は強くないし、周りの人たちも助けてくれない。触らぬ神になんとやらといったところだ。確かに逆の立場だったら関わりたくないと思ってしまう。


 彼が来たのはその瞬間だった。





「お兄さんすいません。その子、俺が買おうと思ってツバつけてたんです。譲ってもらってもいいですか?」


私と年代が近そうな若いお兄さん2人組がやってきて、コワモテお兄さんに声を掛けた。私は手を放され、代わりに2人組のもう1人のお兄さんに手を引かれて、コワモテさんから距離を取った。


「おいガキ、ツバつけてたって言ってもな、先着順だから今日は俺があの子を楽しむんだよ」

「いや、としても手引っ張ってたし、嫌がってたじゃん。」

「あーなんか気分悪くなってきたわ」

 そりゃそうだよな。と今になってみればそう思う。やろうと思ってた女になんか急に抵抗され、挙句の果てには別のやつにグチグチ言われたら気分は悪くなるだろう。

「そうかい、じゃあ今日のところは・・・‼」

 そう若いお兄さんが言ったその瞬間にコワモテさんが急にパンチを繰り出した。

 もうボコボコにしたいくらいイライラしてきたのだろう。

 それを私は茫然と見ているしかできなかった。

 すると、防戦一方のお兄さんは

「春樹、杉田さん、走って逃げて!」

と言い、私は「春樹さん」というこっちも私とそう歳は変わらなさそうなお兄さんに手を引かれて走り出す。すぐそこの角を曲がったところで、春樹さんは足を止めた。

「ヒールだと走れないでしょ?背負って逃げるから脱いで!」

 そう言われて、突然のことに混乱している私は「え、ここで服脱ぐの?え?なんで?」となったが、少ししてから靴のことだと理解し、確かにヒールのままじゃ走って逃げられないからとりあえず脱いだ。でも、背負ってもらうなんで申し訳ない。でも確かに私は足そんなに速くない、どうしようと迷っていると

「裸足の女の子走らせるわけに行かないでしょ?とりあえず早く!」

と言われ、申し訳なさを感じながら背負われ、お兄さんは人間1人背負っているとは思えないくらいのスピードで現場から離れるように走り始めた。


 少し走って跨線橋を上ると、どうやらそこは駅になっているようで、改札の脇でお兄さんは私を背中から下ろし、そして一息をついた。

 周りには人はおらず、都会の喧騒とは少し離れた場所のようだが、土地勘がないのでどこだかはよくわからない。

「お姉さん、今大学1年生だよね?」

 そんな静かな時間を遮ったのは春樹さんの一言。

 そもそもこの人に連れられてきてしまったが、いい人とは限らない。でも私には悪い人には見えなかった。

 「そうです」と言おうとしたんだけど、さっきの恐怖や緊張からか声が出ず、とりあえずうなずいた。

「じゃあ多分だけど「シダイ」の人だよね?中山ってやつ知ってる?」

 はじめは「シダイ」ってなんだと思ったが、大学1年か聞かれた後ということから私の通う市立大学の略称「市大」ということだと気づき、これにうなずこうとして、そして大変なことに気づいてしまった。

 春樹さんのいう中山さん、つい最近きいた苗字だと思えば同じ大学の同学年の同じ学部で同じコースの人じゃないか、しかも自己紹介していた時にチラっと見た顔と、さっきコワモテお兄さんに絡んでいった人の顔が脳内で完全に一致した。

 え、大学の知り合いと、その友達に助けられていたの?

 そう気づくと途端に恥ずかしくなり、その場で体育座りして膝の間に顔をうずめてしまった。それが全肯定と取られたのだろう。春樹さんは話を続ける。

「杉田さん?だよな。実はさっき助けに入ったのって「なかやまゆうせい」って今、階段を上がってきているやつが言い出したことなんだ。それだけ覚えておいてやってくれ」

 そう私に言って、それから階段を上がってきた中山さんに向かって

「夕青、いつからあんな度胸を発揮できるようになった?」

「まあ大学生にもなれば、な?」

と、そんな話をしていた。


 それからは、一度中山さんの自宅に上がらせていただいてご飯食べたり、お話をして、散々悩んでいたお金の問題もなんかよくわからない「金配りお兄さん」の力によって解決し、その代価として、しばらく家政婦として雇われることになった。

 そして気づけば人の家、しかも男の人の家で寝るという恥ずかしいことをしてしまったのだが、別に何かされたわけでもないみたいだし、少しの時間一緒にいただけだけど、そういうことをしてくるような人達には見えなかった。

 生きていると何が起こるかわからないもので、男の人たちと部屋で過ごし、いやらしいことなど何もせずに100万円が手に入り、同世代の男友達が2人できた。

 私は改めて周りの人に頼ることの重要さを身に染みて知った。

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