Field 27

「そういえば、あなたは名前はあるの?」


 車のバックシートで隣にチョコンといるウサギのロボットに話しかけた。運転席にひとはおらず、ハンドルだけが勝手に動いている。


「名前と仰いますのは、識別コードでしょうか? それでしたら、U-MBRX20……」


「あ、そうじゃなくて……人間のような名前というか、あなたのことなんて呼んだらいいのかなと思って」


 これから一緒に行動するのに呼び名が無いのは不便だった。ロボットだと思って気にしなければそれまでだが、それはそれで不憫な気がする。


「そういったものはプログラミングされておりまんが、付けていただけるのであれば大変光栄に存じます」


 急に名前を付けろと言われても困る。何か良い名前がないものかと窓の外を眺めた。ふと、ビルの壁面に埋め込まれた巨大スクリーンに目が行った。映し出された映像では、女性が満面の笑みでドリンクを片手に微笑んでいる。


「ムタ……」


「ムタですか? さすがです!! とても素晴らしい名前です!!」


「え、そう?」


 ドリンクのラベルに書いてあった文字を読んだだけなんだけど……。

 ピョンピョン飛び跳ねて喜ぶその姿を見ていると本当のことを言いづらい。とりあえず今は黙っておくことにした。


「ムタ、お願いがあるんだけど……」


「なんなりと。どうされましたか?」


 ムタがクリクリな目をこちらに向ける。ウサギを模してるにしては少し短い可動式の耳がアンテナのように動いた。


「私の情報ってなにか持っていたりする? その、なんでもいいんだけど……」


 ムタが少しだけ首を傾げる。


 やっぱ唐突過ぎたかな──。


 主人から自分のことを教えてと言われたらロボットでも戸惑うだろう。ましてやムタはかなり高度な思考回路を持っている。


「いや、その怪我……なのかな? そのショックで記憶が曖昧で……」


「なるほどなるほど! いえ、何故そのようなことをお聞きになるのか気になりましたが、あれほどのことがあったのです。記憶が曖昧になってしまうのは当然のこと。大変失礼いたしました」


 ムタは深々と頭を下げた。

 なんかやり辛い──それが彼の口調なのか、かしこまり過ぎな態度なのか分からないが……。とりあえずムタとの関係をどうするかは後でもいいだろう。今は少しでもこの身体の持ち主の情報が欲しかった。


「私が所有している情報は当社センターに登録されているものに限りますが、開示させていただきます」


 ムタは胸の懐中時計を手に取り、パカッと蓋を開けた。そこにはアナログ時計ならぬ、アナログ時計をデジタルで再現した画面が埋め込まれていた。画面が暗転してホログラムが立ち上がると、一枚の書類が目の前に投影された。


 左上に女性の顔写真が貼ってある。半透明に青白く光るその顔は無表情だが整っていた。アーモンド型の大きな瞳に、少しだけウェーブがかった栗色の髪がよく似合っている。


 写真の隣には、『水無月燈』と書かれている。

 その下の情報をつらつらと読み進める。


 年齢20歳、身長153センチ、体重30kg──。


 身長は低めだが、それにしても痩せすぎでは無いだろうか。通りで身体が軽く感じられるわけだ。


 学歴のところに、『理智大学 神学科 二年生』と書かれている。大学はたしかこの時代の高等教育機関だったはずだ。神学科とはどんなことを学ぶのだろうか。


 その下の欄には家族構成や簡単な生い立ちが書かれている。

 四人家族の長女で下に三つ違いの妹。父は水無月エンジニアリンググループCEO、母は同社のIT部門研究員。

 水無月燈が生まれたのは2038年7月7日。渋谷区初台に一人暮らし。実家は南青山──。


 所々、見慣れない単語がある。CEOってなんだっけ……映画のセリフで出てきた気がするがいまいち思い出せない。あとでムタに聞いてみるしかなさそうだ。


 この身体の持ち主──水無月燈の年齢が20歳で、生まれたのが2038年だとすると、今はその二十年後の2058年ということになる。


 私は座学で学んだ年表を必死で思い出そうとした。たしか、仮想空間ユニット"イドラ"の存在が政府によって発表されたのがここから更に数年先の2063年だったはずだ。


 2058年には、その発端となったパラダイムシフト社による仮想空間ゲーム『バディ・ソウル』が発売された──。


「ムタ、バディ・ソウルの情報ってなにかある?」


 ムタは懐中時計を閉じると、こちらを見上げた。

 

「バディ・ソウルは本年の初月からサービスが開始された、オンライン型の仮想空間ゲームですね。ユーザーは現時点で既に500万人を突破しています。開発元はパラダイムシフト社。我が社、水無月エンジニアリンググループの傘下にある会社のひとつです」


「えっ? それって同じ会社ってこと?」


 私がいた時代──社会が崩壊してしまった未来では、会社というものは存在しなかった。元々あったのだろうが、イドラによって滅ぼされたか全て解放軍によって統一されてしまったのだろう。


「グループ会社なので全く同会社ではありませんが、水無月エンジニアリングが百パーセント出資しております。因みに、パラダイムシフト社の代表取締役は水無月杏奈様、つまりあなたのお母様ですが、燈様はご存知ではありませんでしたか?」


 ちょっと衝撃的過ぎて言葉が出てこない。

 私、いやこの身体の持ち主の母親が、全ての元凶となったパラダイムシフト社の代表……。これを偶然と呼ぶにはあまりにも出来過ぎている。


 タイムリンクの対象者について霧ヶ谷局長から説明を受けている余裕は無かった。

 きっと作戦に関するなにか重要な情報が自分には欠けている気がした。


「燈様?」


 ムタが心配そうな表情でこちらを覗き込む。それがあまりにも自然過ぎて、ロボットとは思えない。ムタはそもそもの身体がメタリックなので間違えようも無いが、これが人間の外見をしていたら人と見分けがつかないかもしれない。


「ごめんなさい。大丈夫」


「そうですか……なにか気がかりなことがございましたらなんなりと。おや、そろそろご自宅に着きそうですね」


 窓の外を見ると目の前に豪華な建物が建っている。車はエントランス前で静かに停止した。座席に埋め込まれたデバイスのマップを確認すると初台という文字が目に入った。


「さあ、降りましょう」


 こちら側のドアが自動でスライドする。車を降りて建物を見上げると、想像以上の高さに面食らう。いったい何階まであるのだろうか。


 ムタはさっさとエントランスへと移動する。いつまでも自宅を見上げているのも不自然だ。なにか勘繰られない内に、私も慌てて後を追った。


 エントランスの前に立つとガラスの扉が音を立てずにスライドした。建物内に入ると、だだっ広いホールの先にカウンターが設置してある。カウンターの前には服を着た男性が立っている。


「お帰りなさいませ──水無月燈様」


 無機質な機械音混じりの声が自分をでむかえる。ぎこちない不自然な笑顔。ムタよりも性能が低いのだろうか、こちらは明らかにロボットだと分かる。


「こちらですよ。燈様」


 ムタは既にエレベーターの前にチョコンと立っていた。私が隣に来るとエレベーターのドアがゆっくり開かれる。

 私が住んでいるのは何階なのだろうか……ムタに聞こうか迷いながら乗り込むと、エレベーターのドアが閉まり、勝手に動き出した。


 右手の画面に表示された数字をぼんやりと見つめる。1、2、3──表示のスピードが徐々に上がり、60で止まった。チンという音と共にドアが開く。

 60階──いったい地上から何メートルあるのだろう。ずっと地下で暮らしてきた自分には想像もつかない。


 エレベーターを降りると長い廊下が続いていた。左右対称にドアがずらっと並んでいる。


 自分の部屋がわからない……。いよいよムタに聞くしかないかと、良い口実を考えてみる。


「ごめんなさい……やっぱ頭がぼんやりしちゃって。私の部屋に連れてってもらえる?」


 我ながら苦しい言い訳だと思いつつ、額に手を当てて体調が悪いフリをしてみた。


「これはこれは!! もちろんです! 燈様のお部屋は私のメモリーにインプットされておりますので、ご安心ください」


 ムタは疑う素振りを見せず深々と頭を下げる。さあ、こちらです──と後ろ足を上手く使いながらピョンピョンと飛び跳ねるように移動する。


 本当に信じてくれているのか怪しいところだけど、あのロボットが自分に味方してくれるか見極められるまでは嘘を貫き通すしかない。


「ニンショウシマシタ──オカエリナサイマセ」


 ムタが案内してくれたドアの前に立つと音声と共にロックが解除される。同時に玄関のドアがスライドして開いた。どうやらこのマンションは全てが自動認証らしい。中身が本人では無い自分にとってそれはそれで都合が良かった。


 水無月燈はどんな部屋に住んでいたのだろう。他人の部屋に無断で入るのは少し気が引けた。

 ──ごめんなさい。許して。

 心の中で謝りながら、靴を脱いで部屋に上がった。

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